当時、独逸學は、国家の指針だった

 

加藤弘之 - Wikipedia

(第七章 国体ト政体ト相異ナルノ理並ニ政治ノ善悪公私必スシモ政体ニ由ラサルノ理)
国体新論 - 国立国会図書館デジタルコレクション
国体新論 : 全 - 国立国会図書館デジタルコレクション

加藤は、美濃部達吉と同じ兵庫の出であるが(出石藩 - Wikipedia)、日本海側である(出石町 - Wikipedia)。

経歴を見ても、この「国体」の語用はドイツ法学の影響だろう。

獨協同窓会|3代校長 加藤 弘之

ちなみに、初代西周、二代桂太郎に続いて、三代校長らしい。
私の着目ポイントは、👇である。

1864年(元治元年):旗本となり開成所教授職並に任ぜられる。

加藤弘之 - Wikipedia

天皇機関説」の本質は「混合政体」であり、内実は、「旗本から官僚へ」である。

宣教師の資格をもって来日したスピンネルは、ユニークな教師だった。明治18年、獨協教師として赴任。他方、自由神学系の教会で理知に光る社会倫理講話を獅子吼し、明治の知識人青年に与えた影響は大きかった。(国立国会図書館所蔵)

獨協同窓会|page4

グイド・フルベッキ - Wikipediaは、オランダ出身でニューヨークのカルバン主義者らしい。カルバン主義者というとわかりにくいが、改革派で、比較となるのはツヴィングリが(「人間の協同」「共在説」で)袂を分かったルター派だろうか。「自由」の扱いが異なる。

カルヴァンの思想は、ルターの聖書中心主義とともに、スイスの宗教改革者ツヴィングリの福音主義を発展させ、またエラスムス人文主義の影響を受けていたが、その最も独自性の強い主張は予定説といわれる宗教理論であった。

カルヴァン

ところで、社会進化論唯物論なのだろうかマルクス思想はキリスト教の言い換えに過ぎないから、そういうことなら、わかる。なんでもかんでも「唯物論」で片づけるのは、政治的であり、極めて違和感がある。
今なら、加藤は、心理学が科学として成立することが伝わった、すなわち、元良 勇次郎や松本 亦太郎が活躍する前に学問を修めたヒトであり、「唯物論」というよりも、これは美濃部も同じであるが、素朴実在論という方が実際に近いと思う。だから、「公理主義」(の考え方に繋がるモデル思考)ということが、ついにわからなかっただけだろうそもそも社会進化論は、ダーウィンの進化論とも違って、ただの(抽象的な)社会思想であり、自然科学ではない

 

現代にも続く「国体」とは、日本人がまとまる秘訣のことだった! | 国体文化

 西村裕一は、八束の国体概念とラーバントの用いたドイツ国法学上の概念である Staatsform とを比較し、前者が後者の翻訳語であるとする見解に対して慎重な姿勢を示して いる(西村裕一「日本憲法学における国体概念の導入について―明治 15 年の憲法学序 説」高橋和之編『日中における西欧立憲主義の継受と変容』岩波書店、2014 年、55 頁以 下)。なお、西村裕一「穂積八束を読む美濃部達吉教育勅語と国体論 ―」岡田信 弘・笹田栄司・長谷部恭男編『憲法の基底と憲法論 思想・制度・運用 高見勝利先生古稀 記念』信山社、2015 年も、併せて参照されたい。

P146注記,穂積八束とルドルフ・ゾーム 坂井大輔

 

正直、立花はジャーナリスト、ルポライターであって、「知の巨人」とは持ちあげられすぎであると思う。

立花は、栗本慎一郎と同じ「ニュー・アカデミズム」という(「白樺派」のような)「派閥」に過ぎなかったんじゃないかな。

申し訳ないが、真面目に受け取ることはできない。