これは興味深いなぁと思っていて。
言語を「完全に「所有」」することができるか。
つまり、言語の道具主義と文化主義だけれど、ラッセル的な「言語の外」をかんがえたときに、
草はほんとうに緑なのだ
バートランド・ラッセル『外部世界はいかにして知られうるか』(中央公論社)訳者解説 - Bertrand Russell のページ
そこに「無知のヴェール」はないのか。
ロールズ|正義論と無知のヴェール,公正としての正義 | Hitopedia
ラッセルとヴィトゲンシュタインの違いは、まさに、ニュートンとライプニッツの「記号論」の違いである。ヴィトゲンシュタインはライプニッツ派で、或る意味で「ユークリッド的」ではない。
要は、言語があくまで比喩的である以上(あるスペクトラムを日常言語で表現するには限界がある。)、原作者は「ようかん」を知っていても使わなかったのか。
小説は誰のものか。
古風な表現に違和感があるのが当たり前。同じ社会に息をしているのではないから。
そうして、古典に「新しい光が当たる」こともある。