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DeepL logo 翻訳ツールと Google翻訳で翻訳したものを勘案。
Ⅱ
私たちは親子親戚であり、しかも幼い頃の思い出で心から愛し合っていたのに、フランシスと私はパリで会う機会がほとんどなかったのです。何を話そうか? 私が彼に再会したとき、すでに彼の地位は確立され、習慣も身につき、フランシスは私以外の小さな友人たちの輪の中で生活していたのです。 しかし、彼は立派で寛大な少年であり、そして、いつも訪れるわけではない偶然に身を任せるだけの機知に恵まれていたので、彼の存在が私の役に立つか、単に楽しいかであれば、私は彼が到着しても決して驚かなかったのである。
訂正。
〈être parent (avec qn)〉(…と)親戚である,縁続きである.
fussions は être の接続法半過去第一人称複数形。
さて、『オセロ』の”pierce”の謎だが、
irritat, mulcet, falsis terroribus implet,
刺激したり,宥めたり,偽の恐怖で満たしたり,
これでほぼ「決まり」じゃないだろうか。
これを英訳すると、
Can rouse me, soothe me, pierce me with the thrill Of vain alarm,
The Satires, Epistles, and Art of Poetry of Horace by Horace|Project Gutenberg
Horace. The Satires, Epistles, and Art of Poetry of Horace (Kindle の位置No.2279-2280). Kindle 版.
に「なる」のだ。implet は implere の直喩法・能相・現在・三人称・単数らしい。
- My heart was pierced by [with] grief. 私の心は深い悲しみに打たれた.
主語は”poeta”(詩人)のようだ。
ut vineta egomet caedam mea
ちょうど私自身が自分の葡萄を切るように
が
Poor bards! much harm to our own cause we do
Horace. The Satires, Epistles, and Art of Poetry of Horace (Kindle の位置No.2283-2284). Kindle 版.
vineta(葡萄)=cause である。
ならば、『オセロ』の訳は「治す」ではなく、方程式を使った、
I never yet did hear(bruised =pierced)
ではないかと思う。時制の一致で was になっただけで
I never yet did hear ” 'bruised' is 'pierced' ”
でないかと思う。
なぜか。
vineta(葡萄)→ wine = blood だからである。要は、ここでは「格言」として、「盗人論」を展開しているのだが、「自分から自分を盗む」ことの説明である。
ここで、詩人とは、アポローンの神殿に捧げものを備える(キリスト教から見て)異教徒である。この供物に葡萄がある。
(ユダヤ教の)神は供物には厳しくて、備えないと、「神の物を盗んだ」と非難される。要は、異教徒の供物は「盗まれた」だけだから、「盗んでよかろう」とポジティブに言っていて、「自分に原因があって傷つく詩人」も異教徒だから「気にしなくてよかろう」という「心持」を語っているようだ。キリスト教徒なら、満たされるはずだからである。笑顔で居れば、よい。このとき、
Sblood, but you will not hear me:
なんだって、君こそおれの言うことを聞こうとしないんだから、'Sblood/zblʌd/ 'God's blood' の略で神(=キリスト)の名を忌避して省略したもの。"but" は imprecation (呪い)の後にくる asserverative(断定する) clause を誘導する。
皮肉となっている。
要は、「こころの「資産(負債)」論」である。
そうすると、
が考えられる。このとき大事なのが、
- 復讐論ではない
- 神の義であって、人の義ではない
ということではないかと思う。