シンどろろ ⑨

 

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それにしても、太宰治から梶原一騎への流れって誰も研究してないのは、なぜなのかね。

そうするとさ、太宰と三島由紀夫の関係から、梶原と手塚治虫コントラストも出て、絵面はきれいなんだけれどね。そりゃ、ご都合主義か。

 さて、社会運動についてはどうか。「生命」の観念は、例えば女性解放運動などとも無関係ではなかった。『元始、女性は太陽であった』で知られる平塚らいてうも神秘的生命主義の持ち主であった。「生命」の発現とは社会秩序や道徳に対抗するエネルギーとしてとらえられていたのである。らいてうは先述の梁川にも影響を受けており、自己の内を掘り下げて実在の神そのものを見たという自身の神秘体験を自叙伝でつづっている。

「大正生命主義」から考える生命論|涼月理央

偉いね、この人。ちゃんとまとめている。

 こいしいひとの子を生み、育てる事が、私の道徳革命の完成なのでございます。  
 あなたが私をお忘れになっても、また、あなたが、お酒でいのちをお無くしになっても、私は私の革命の完成のために、丈夫で生きて行けそうです。  
 あなたの人格のくだらなさを、私はこないだも或るひとから、さまざま承りましたが、でも、私にこんな強さを与えて下さったのは、あなたです。私の胸に、革命の虹にじをかけて下さったのはあなたです。生きる目標を与えて下さったのは、あなたです。
 私はあなたを誇りにしていますし、また、生れる子供にも、あなたを誇りにさせようと思っています。
 私生児と、その母。
 けれども私たちは、古い道徳とどこまでも争い、太陽のように生きるつもりです。
 どうか、あなたも、あなたの闘いをたたかい続けて下さいまし。
 革命は、まだ、ちっとも、何も、行われていないんです。もっと、もっと、いくつもの惜しい貴い犠牲が必要のようでございます。
 いまの世の中で、一ばん美しいのは犠牲者です。
 小さい犠牲者が、もうひとりいました。

太宰治 斜陽

「太陽のように生きる」のはこの母娘なんだね。
それを言わせている人格上の倒錯がよく指摘されて確かにそうで、あたらしいキーワードである「虹」によって「太陽」 たらしめる 、、、、、 逆転を滔々と 語らしめる 、、、、、 という、レトリックを使っている。「月光」ではない。

これは不思議で、今まで「太陽」たらしめていたのは「血」でなかったか。
そこで、

虹をよぶ拳 - Wikipedia

「断絶」をテーマとした作品でなぜ「虹」なのか?

傘がない - Wikipedia

なのだが、その前提として、

検索結果 - 国立国会図書館デジタルコレクション

「婦人」と「青年」が出てくる。「青年」が関心を持ったのが「私」と「愛」で、

若き男女の純愛を綴った「愛と死をみつめて」という本が、百万部以上売れ、レコード、映画と華々しさを加え、「純愛ブーム」を作り出した世相を考えるとき・われわれがそう信じて疑わないのも無理からぬことである。この本についての大方の見方は「自分の信じる神もなく、といって社会との連帯の契機も持たぬ、いわば閉ざされた”愛と死”」(31)とか、「.愛と死をみつめて”は、……政治や社会の場をはなれて、それとは没交渉に、その愛をつらぬこうとしている」(32)とかいったものである

(30)鶴見俊輔、星野芳郎「日本人の生き方」講談社、昭四綱、八〇頁
(31)見田宗介「戦後ベストセラー物語“愛と死をみつめて”」〈朝日ジャーナルV一九六六、十二月二五日号

現代青年の価値意識構造(門脇厚司,1967,日本教育社会学会) - 国立国会図書館デジタルコレクション

その少し前に、

この作品そのものよりも、この物語が水溜りにうかんだ油の虹のやうに光彩を放つてゐるとすれば、その水溜りのはうで人を感動させたのだとも言へよう。従つて、この小説にちらりと顔を出す、最も美しい水溜りの一部は、固い腹筋を誇る父の腹にパンチをくらはして血を吐かせ、その償ひに自分のめちやくちやにされた顔を示し、しかもそれが生温かい肉親の心配をしか呼び起さぬのを見て失望する竜哉の別の肖像画である。志賀直哉氏の「和解」以来、かういふ美しい父子の場面は、あまり描かれたことがなかつた。
— 三島由紀夫「解説」(『新鋭文学叢書8・石原慎太郎集』)[11]

11 三島由紀夫「解説」(『新鋭文学叢書8・石原慎太郎集』)(筑摩書房、1960年)。三島由紀夫石原慎太郎氏の諸作品』(『美の襲撃』)(講談社、1961年)に所収。

太陽の季節 - Wikipedia

「虹」と「血」が出てくる。

ひたすら感情のバランス・シートの帳尻を合はせることに熱中し、恋愛の力学的操作に夢中になり、たえず自分の心をいつはり、素直さに敵対し、自分の情念のゆるみを警戒するのは、ストイシズムの別のあらはれにすぎないではないか? 恋をごまかす優雅な冷たい身振の代りに、恋をごまかす冷たい無駄な性行為をくりかへすのは、結局、或る純粋な感情のときめきを描くために、ロマンチックの作者が扇や月光を使つたやうに、扇の代りに性行為を使つただけではなからうか?……これだけ性的能力を誇示した小説にもかかはらず、この主題が奇妙にスタンダール不能者を扱つた小説と似てゐるのは偶然ではない。
— 三島由紀夫「解説」(『新鋭文学叢書8・石原慎太郎集』)[11]

太陽の季節 - Wikipedia

「月光」が出てくる、このとき、三島は太宰を思わなかっただろうか。

心の底では上流社会に憧れてゐる。すべてを関係づける男。「関係と悪魔」だと、彼のことを主人公が戯れに呼ぶ。しかも主人公はこの男を好きだ。この男は、ダムの社会関係を力説し、ダムが資本家の不当利益のために利用され、労働者は搾取され、資本家は多くを外資に仰いでゐる売国的行為であり、ダム建設はアメリカの軍事目的なりといふ。 彼のヒューマニズム、それとダムとの矛盾。ヒューマニズムと、すべてを関係づける思想との関係? しかしあるとき、思はざるダムの事故を救ふために身を挺し、死す。Heroの絶望 瀬山の策動―「関係」の人情論が女を殺す。
— 三島由紀夫「創作ノート『沈める滝』」[1]

沈める滝 - Wikipedia

森鴎外らしい。太宰と言っても驚かない。

太宰治と自殺 - Wikipedia

購入した。三島の解説が理解できなかったからだ。