Emma

教科書見ないでやっているから、あんまり自信はないんだけれど、でもまぁよかろう。
ずぼらなのはよくないけれど、拘り過ぎると進まない。
もう少しフランス語の方をやりたくなっているので、英文法まで手が回らなくなってきた※。

※A and Band C that の thatはどこにかかっているかを考えたときに、これらのandが、「並列」を支持するのか「選言」を支持するのかであるが、「AやBやCと言った、彼女資質のどれをとっても」と「AかつBかつCと言った、そういった内実を持った彼女のひとつの資質」とどう違ってくるか、の話である。
すなわち、「並列」の場合、Athat and Bthat and Cthatと言えるところ、「選言」の場合、そうは言えないとなる。

文法と論理の接続は、ブールに照らして、おいおい考えてゆくことにする。
『フランシス・ソヴァ―ル』もまったく進まなくなった。

markovproperty.hatenadiary.com

なんて言うんだろう。
日本人が『エマ』を読むと、太宰治になるのかね?

いまいち人気がないのも、背景がよくわからないからじゃないのかな。
実は『オセロ』から繋がっている話だったという。
そういう読み方をまずしないんじゃないかな?
ということは、イギリス人の読み方と何かが違うんじゃなかろうか。

『オセロ』との繋がりは或いは深淵で、ローマ皇帝

"peace through strength or, failing that, peace through threat."

と言ったことが、オースティンにあっては、

”well and happily through its little difficulties and privations.”

となったときに、具体性が付与されている(☟note)。
これが「敬虔」ということだろうか。
主体間のバランスが、主体の内のバランスに置き換わっているのである。
そろそろ近代的個人が生まれてくることである。



[note1]リアリティーについて

"peace through strength or, failing that peace through threat."

を見て、何がどう”failing that”かを考えたときに、”strength”に在るリアリティーに気づく。要は、顕在的なor 潜在的なという比較ではないかと思う。

ただし、これは、関係する相手方の行動の支配が目的であって、自己を目的とするオースティンと異なる。

誰でも知っている格言がある……もしボナパルトラテン語に詳しければ、おそらく格言を逆さにして……Si vis bellum para pacem. (汝戦を欲さば、平和への備えをせよ)と言っただろう。

汝平和を欲さば、戦への備えをせよ - Wikipedia

Peace through strength - Wikipedia

Hadrian - Wikipedia

ハドリアヌス - Wikipedia

『エマ』ウィーン会議がまさにリアルタイム(1814-1815)で起こっていたそのときに書かれたのであり、夏目漱石はオースティンを絶賛しているのだが、その目を通して『オセロ』をみなかったか?
すなわち、イアーゴーの「悪」の問題が、個人へ帰着する所以である。

人間は一者ではなく二者から成るものである……善悪の二面性に焦点を当てた世界的名作。

が、その70年後(1885-1886)に書かれた、

の紹介文にあるが、つづく

アンドルー・ラングは「スティーヴンソンの奇抜な言動と風貌は男たちを虜にした。彼は私が会った男たちの中でも、男たちを恋に落とす力を飛び抜けて持っている人物であった」と書いている。(中略)クレア・ハーマンは「スティーヴンソンは、特に女性とともに過ごすことを好んだ」ものの「自らが同性に対して持つ性的魅力に彼が気付いていなかったとは考えにくく、むしろそれを楽しんでいた節がある」と解説している。彼自身はいわゆるストレートだったものの、そうした秘密の男世界については熟知していたのだろう。無論、ふたつの人格を持つ不気味な人物が巻き起こす恐ろしい事件を描いた怪奇小説として読んでも本書が十分に面白いのは間違いないが、そうしたことも踏まえてページをめくってみると、本書の持つ面白みがいっそう深まるのではないかと思っている】(訳者あとがきより)

赤字強調は引用者。
を読むと、『こころ』を巡る同性愛の問題を思い出して、興味深い。


[note 2]「驚き」について;プロバブリーの問題

『フランシス・ソヴァ―ル』との共通のテーマに「驚き」がある。
これは、キリスト教における「運」の扱いを背景に持って、教導的であるように思う。
つまり、前近代的な「プロバブリー」である。

この本では、パスカル的な組み合わせ確率からもっぱら述べるが、一方で、

旋律の持つ調和から考えるルートもあったのではないかと思う。

https://clsoc.jp/agora/newbooks/2021/210426.html