その「追い込まれる」が極めて深刻な問題で、メリトクラシーが通用する社会ならそうかもしれないが、それが通用しない底辺では、「追い込まれたら」他人を「追い込む」のです。 それしか 、、、、 ない。

貴方はそれなりに辛酸をなめたかもしれないが、底辺がなぜ地獄なのか、ご理解いただけているだろうか。底辺には相手を追い込むしか「ない」から地獄なんです。

つまり、底辺は「福祉を食い合っている(共食い)」だけなんです。
何の希望もないんですよ。そもそも。
現役世代の負担軽減は、底辺における(×0)の社会状況よりは、幾分か希望が持てるのでしょう。そう理解しています。社会劣化の 進行を 、、、 幾分か緩和できる希望です。


戦前の帝国陸軍の惨状がまさにこれです。
あれは指導部が愚かだったとは限らない。
そもそも底辺はこれが常態なんです。この状況を改善する義務が指導部にはあったのですが、その責任を果たしかどうかなんです。
そうではなく地獄を招いたでしょう。

底辺では「共食い」が常識なんです。そのための道徳もあるんです。
だから、地獄なんですよ。地獄は無規範ではないんです。

おそらくそれを勘違いされている。
「戦前」というのは、それくらい日本社会にとって、大きな問題なんです。

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この老人のやったことはただの「員数合わせ」です。
もちろん、住民の福祉に応えるために、政策を準備するのが行政の役割で、住民自治を本分とする末端行政では、これが望まれたでしょう。
また、一般的に言っても、自治体間の競争によって、行政が効率化されることも期待されているでしょう。しかし、それは注意喚起であって、「誇れること」は、ほとんどないでしょう。これは伝統的な、民主主義の補完制度である、VoiceとWatchのうち、Watchの役割を代替します。それだけなんです。
これは、本質的に「員数合わせ」で、国政では何の解決も示せません。
簡単に言うと、与えられたπの奪い合いはできるが、πの大きさ自体は国で考えろ、ということです。これは原理的な制約です。

それを国政に云々できると思うのが、おかしいのです(市政の立場で云々していた前言を翻して国政の立場で云々することの方が、自然です)。
異なる政策のロジックなのです。

私は、別に明石市住民が間違っていたとは思わないし、明石市行政が間違っていたとも思いません。
ただ、この老人の言っていることは、根本的におかしい。
「戦前」は遠い過去の話ではないのです。
朝日のような連中がいる限り。