伊集院静が嫌いだ

なるほど「だけさ」の歌。

『ギンギラギンにさりげなく』の歌詞の意味を考えてみた!近藤真彦(マッチ)の懐メロ♪ - 京香の日々雑感

冷・熱・涙・笑・革・引・ 寄・バ・ダ・渡・よ・ 雨・抱・そ
ギ・ギ・ギ・(げ)・く・俺・や・方・ギ・ギ・ギ・(げ)・く・(げ)・く・生・だ
G・N・W・R・O
連・ど・孤・出・燃・H・O・お

歌詞の中から強調している音だけ抜き出してみた。
「あ」から「お」に抜ける感じだろうか。強い音を出す濁音が多用されている。
要は、ぶっきら棒な歌である。

私は、伊集院静が大嫌いなのだが、もとは言わずと知れた夏目雅子さんとの関係で、はっきり言うと、(結婚を餌に)SEX目的でいいように「使い」倒したからだ。

夏目さんも、こんな男とはさっさと切れればよかっただけなのだが、それが昭和の暴力的な社会を背景に肯定されて、それがどうにも許せなく感じる。なにか、それが「格好良い」かのような振る舞いがだ。「大人の流儀」だそうである。この言いぶりに嫌悪感を催すのだ。

それがただの欺瞞だからだ。しかも、それを「知った風」な顔をする。許せない。
馬鹿は馬鹿のふりを正直にしていて欲しいと望んでしまう。

しかし、いくらなんでもまったく知らない人を相手に、なぜこんなにも気持ち悪いのだろう?と思ったら、どうも太宰治である。

最初から矛盾した心境を謳っているのだが、歌詞の二番目が酷いことは指摘されている通りで、ただのDVである。それが「昭和」の頃「格好良い」としてきたその傲慢の裏に潜む幼稚さを「大人」と嘘をついているのが、どうにも許せないらしい。

実は、察するところ、伊集院静もそれはわかっていたのではなかったかと思う。
「ぎんぎらぎん」とは童謡だからだ。

検索結果 - 国立国会図書館デジタルコレクション

最初に出てくるのが竹久夢二である。なるほどと思った。
これに太宰的「無頼」を接ぎ木したらしいのだが、一方でそれが梶原的な「悪」を醸そうとして、それが「熱血」を欠いて、軽薄なのだ。自分の中でその欺瞞がまた許せないらしい。
ここで「ぎんぎらぎん」とは装飾だからである。

dl.ndl.go.jp

その軽薄さが、「だけさ」と思春期の口ぶりに現れているからである。
(この教科書では紳士の口調であるが、—酒とたばこの蔓延し問題視されていた—旧制中学の教科書であることに着目した)

「矛盾」とは思春期のことだったのだ。
マッチの『スニーカーぶる~す』はなかなかすぐに火が付かなかったのであるが(デビュー曲でオリコン1位を獲得し、マッチ※の歌の中でも最大のヒットとなったらしいが、売れる前に、歌詞の変更を1度している。隠れた名曲、というか名詞で、松本隆のセンスが光った、屈折したイメージを打ち出した曲だったらしいが、大人しい印象を受けるものだった。)、『ギンギラギンにさりげなく』では爆発した。下手な歌唱法とマッチのイメージにあっていたからだ。

※この「マッチ」の愛称も、近藤真彦の名前の「マ」に人称語尾の「チ」を付けたものまのか、擦ると火が付くマッチから名付けたものなのか、歌手でデビューしたばかりのときは、歌謡番組で当人にマイク(すなわち、広報=パブリックイメージとなっているのであるが。)を向けられても、どっちつかずで濁していたのではなかったかと思う。なぜ覚えているかというと、当然に前者だと確信していて、驚いたからだ。ただし、この場合のマッチは、「火が付く」からではなく「身体が細い」からだと言っていたと思う。これは確か兄が購読していた『中一コース』だったか『中一時代』だったかの中学生向け雑誌で読んだと思う。ずっと気になっていたのだった。


そう考えると、「昭和の男」よりも「令和のイケメン」の方が心情的に受け入れやすいな。

markovproperty.hatenadiary.com