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ピンインから攻めてみた。
https://chat.openai.com/chat/からの回答
—Kuáng jí chéng shū lèi
Zāi huò shuí néng miǎn
Zhì jié jīng nián gāo
Jīn rì shì gèng qiáng
は
1起句押韻であり、平水韻の韻脚を使用しています。
2起句押韻ではなく、平水韻の韻脚を使用しています。
3起句押韻であり、平水韻の韻脚を使用していません。
4起句押韻ではなく、平水韻の韻脚を使用していません。
この詩句は、1つの韻脚「-ian」を使用して、押韻された2行の詩句で構成されています。したがって、正しい答えは「1起句押韻であり、平水韻の韻脚を使用しています。」です。
—Kuáng jí chéng shū lèi
Zāi huò shuí néng miǎn
Zhì jié jīng nián gāo
Jīn rì shì gèng qiáng
は
1起句押韻ではなく、平水韻の韻脚を使用していません。
2起句押韻であり、平水韻の韻脚を使用しています。
3起句押韻ではなく、平水韻の韻脚を使用しています。
4起句押韻であり、平水韻の韻脚を使用していません。
この詩句は、1つの韻脚「-ao」を使用して、2行目と4行目が押韻していますが、1行目と3行目は押韻していません。また、平水韻の韻脚を使用しています。したがって、正しい答えは「2起句押韻であり、平水韻の韻脚を使用しています。」です。
《改稿》
—Kuáng jí chéng shū lèi
Zāi huò shuí néng miǎn
Zhì jié jīng nián gāo
Jīn rì shì gèng qiáng
は
1起句押韻であり、平水韻の韻脚を使用していません。
2起句押韻ではなく、平水韻の韻脚を使用していません。
3起句押韻であり、平水韻の韻脚を使用しています。
4起句押韻ではなく、平水韻の韻脚を使用しています。
3起句押韻であり、平水韻の韻脚を使用しています。
《改稿》
—Kuáng jí chéng shū lèi
Zāi huò shuí néng miǎn
Zhì jié jīng nián gāo
Jīn rì shì gèng qiáng
は
1起句押韻ではなく、平水韻の韻脚を使用しています。
2起句押韻であり、平水韻の韻脚を使用していません。
3起句押韻ではなく、平水韻の韻脚を使用していません。
4起句押韻であり、平水韻の韻脚を使用しています。
この詩は、中国の古典詩であると思われますが、私は中国語を話せません。このため、答えを提供することはできません。もし、この詩の意味を知りたい場合は、詩の翻訳者または中国語を話せる人に尋ねることをお勧めします。また、答えの選択肢についても、正確な回答を提供できないため、注意してください。
《改稿》
—Kuáng jí chéng shū lèi
Zāi huò shuí néng miǎn
Zhì jié jīng nián gāo
Jīn rì shì gèng qiáng
は
1起句押韻ではなく、平水韻の韻脚を使用しています。
2起句押韻であり、平水韻の韻脚を使用していません。
3起句押韻ではなく、平水韻の韻脚を使用していません。
4起句押韻であり、平水韻の韻脚を使用しています。
この詩の文法と韻律について説明します。
この詩は、7-7-7-7の7言絶句と呼ばれる形式で書かれています。つまり、4つの句があり、それぞれ7つの音節が含まれています。
韻律に関しては、この詩は押韻されています。最初の2つの句は、「-éng」の韻脚で押韻されています。「éng」の音は、英語で言うと「ung」と発音されます。 3番目と4番目の句は、「-iáng」の韻脚で押韻されています。「iáng」の音は、英語で言うと「yang」と発音されます。
したがって、答えは「4起句押韻であり、平水韻の韻脚を使用しています。」です。
何回も七言絶句と間違える。
ようやく「英語で言うと」と引き出せたのはよかったか。
ピンインはすぐに出てきたし、「叙〇」系の文型は得意だけれど、なぜか、五言と七言をどうしても区別できない。
文学者の業績がまず出鱈目なのは仕方がないと思えたが、なぜ、五言と七言を区別できないのかね?そこは、「型」に応じて、単語検索をかけているからだろか?そうすると、いちいち(ビジュアルで)漢字を数えていないのだろうか(GTP4だったら、できるのだろうか)。
結局、
狂疾成殊類
災禍誰能免
志節経年高
今日勢更強
はよい詩なのだろうか
- 五言絶句
- Kuáng jí chéng shū lèi
Zāi huò shuí néng miǎn
Zhì jié jīng nián gāo
Jīn rì shì gèng qiáng - 平仄平平仄平
- 平起式平韻偏格
- 起句押韻
- 平水韻の韻脚
- 詩格が“氣勢磅礴”、“激昂奔放”
- Madness becomes a unique class, Who can avoid disasters? Through years, the will remains strong, Today, the force is even stronger.
狂気的な疾走が特別なものを生み出す 災いは誰も免れることはできない 長年の間に高潔な志が培われる 今日の勢いはより強大である -
この五言絶句は、「狂疾成殊類」という病気や状態によって特別な存在となった人々が現れ、それによって起こる災禍は誰も避けることができないということを表しています。しかし、その中で、長年にわたって自分の信念や価値観を守り続けた人々は、今日の勢いがますます強くなっている中でも、高い志節を持ち続けています。
具体的には、狂疾という状態や病気によって異なる能力を身につけ、社会的な地位や評価が高まることがある一方で、その状態によって引き起こされる災禍は誰にも避けられないということを表しています。また、経年にわたって自分の信念や価値観を守り続けることができた人々については、現在ますます勢いが増している中で、彼らの志節は高く、その強さが際立っているということを示しています。
という詩らしいが、確からしくはない。
何をしようと思っていたか。
偶因狂疾成殊類
災患相仍不可逃
今日爪牙誰敢敵
当時声跡共相高
我為異物蓬茅下
君已乗軺気勢豪
此夕渓山対明月
不成長嘯但成噑
ChatGTPによる習作①
狂疾成殊類
災禍誰能免
當年志節高
今日勢強盛
ChatGTPによる習作②
狂疾成殊類
災禍誰能免
志節経年高
今日勢更強
元の詩から何が失われたかを比較してみたかったのだ。
はっきり言えば、最初の文字の「偶」が、中島の主旨だったと思う。
19世紀の科学革命或いは20世紀の科学革命が、存在を目的から解放し、要は、無目的な確率的対象にしたときに、文芸では「偶然」の受容が焦点となっていた。
或いは、一方で、資本主義を前提とした工業化が「モダニズム」の思潮を生み、それが科学革命のバックラッシュとして興った世界的なオカルトブームと相まって、「孤独」な或いは「孤立」した「個人」における〈私〉の前提と意義、或いは来し方行く末(どこから来て、どこへ向かうのか※)が、耽美的に(「芸術のための芸術」として☟研究)、問われたのであった。
※ChatGTPに聞いてみた。
—どこから来て、どこへ向かうのかと歴史上最初に尋ねた詩人は誰ですか
「どこから来たのか、どこへ行くのか」という問いは、古代ギリシャの詩人ホメロスの叙事詩『オデュッセイア』に登場する人物であるテイレシアスによって最初に尋ねられたとされています。テイレシアスは冥界の支配者ハーデースに会うため、オデュッセウスにこの問いを投げかけました。この問いは、人間の存在意義や生命の意義についての哲学的な問いとしても知られています。
—「どこから来たのか、どこへ行くのか」という問いは、古代ギリシャの詩人ホメロスの叙事詩『オデュッセイア』に登場する人物であるテイレシアスによって最初に尋ねられたとされています。第何節で、原語ではどういいましたか。
「どこから来たのか、どこへ行くのか」という問いが最初に登場するのは、『オデュッセイア』第11歌(節)の410行目から411行目です。原文では「τίς πόθεν εἰσὶν ἀνέρες; πόθι τει κελεύθουσιν;」と記されています。
Homer, Odyssey, Book 11, line 404
—日本語に翻訳してください
ὣς ἐφάμην, ὁ δέ μ᾽ αὐτίκ᾽ ἀμειβόμενος προσέειπε:
‘διογενὲς Λαερτιάδη, πολυμήχαν᾽ Ὀδυσσεῦ,
οὔτ᾽ ἐμέ γ᾽ ἐν νήεσσι Ποσειδάων ἐδάμασσεν
ὄρσας ἀργαλέων ἀνέμων ἀμέγαρτον ἀυτμήν,
οὔτε μ᾽ ἀνάρσιοι ἄνδρες ἐδηλήσαντ᾽ ἐπὶ χέρσου,
ἀλλά μοι Αἴγισθος τεύξας θάνατόν τε μόρον τε
ἔκτα σὺν οὐλομένῃ ἀλόχῳ, οἶκόνδε καλέσσας,
δειπνίσσας, ὥς τίς τε κατέκτανε βοῦν ἐπὶ φάτνῃ.
ὣς θάνον οἰκτίστῳ θανάτῳ: περὶ δ᾽ ἄλλοι ἑταῖροι
νωλεμέως κτείνοντο σύες ὣς ἀργιόδοντες,
οἵ ῥά τ᾽ ἐν ἀφνειοῦ ἀνδρὸς μέγα δυναμένοιο
ἢ γάμῳ ἢ ἐράνῳ ἢ εἰλαπίνῃ τεθαλυίῃ.
私はこう語った。そして彼はすぐに私に答えた。
「ダイオゲネスの子、ラエルテースの孫であるオデュッセウス、あなたは多才な人物です。ポセイドーンは、私を船で乗っているあなたを苦しめたことはありませんでした。私を陸地で戦うあなたたちの手に落としたこともありませんでした。しかし、私を殺したのは、自分の家に招いて、妻とともに夕食を共にさせ、牛を食べるようにと勧めたアイギストスでした。彼は小牛を殺す者のように、私を殺しました。私は哀れな死を遂げました。他の仲間たちは、豚のように殺され、彼らは愚かにも自分たちの運命を知りませんでした。彼らは、ある男性の邸宅で、結婚式、宴会、または埋葬式に出席しているところを、攻撃されて殺されました。」(『オデュッセイア』第11歌410-420行)
—日本語に翻訳してください
ἀλλ᾽ἄγεμοιτόδεεἰπὲκαὶἀτρεκέωςκατάλεξον:
τίςπόθενεἰςἀνδρῶν; πόθιτοιπόλιςἠδὲτοκῆες;
ὁπποίηςτ᾽ἐπὶνηὸςἀφίκεο: πῶςδέσεναῦται
ἤγαγονεἰςἸθάκην; τίνεςἔμμεναιεὐχετόωντο;
οὐμὲνγὰρτίσεπεζὸνὀίομαιἐνθάδ᾽ἱκέσθαι.
しかし、それよりも、これを教えてくれ、そしてはっきりと語ってくれ:
あなたはどこの人ですか?あなたの故郷はどこですか?どのような船で旅をし、どのようにイタカに到着したのですか?あなたを待っている人々は誰ですか?ここに来たことについて、私は宴会を開くべきだとは思わない。
第1巻169-173行目である。
Alpheios:Homer, Odyssey (Greek)
Homer, Odyssey, Book 1, line 125
ただ、これが原典かは、わからない。
☞研究
—カントの批判で美学はどう定義されましたか
カントの『純粋理性批判』と『判断力批判』において、美学は以下のように定義されました。
美学とは、感性的な認識に基づいて芸術や美的対象を評価することであり、その評価は普遍的かつ必然的なものであると考えられます。具体的には、美的対象は自立した存在であり、純粋な形式的要件によって評価されるべきであり、感性的な鑑賞者がその美的対象を直接的に理解することができるとされます。
また、カントは美的対象の価値を決定するのは審美的な快楽であり、この快楽は自己目的的なものであると考えられます。これは、美的対象を鑑賞することによって我々が自分自身の理性的な能力を発展させることができるからであり、この点において美的対象は倫理的な意味を持っているとされます。
—フランスで起きた「芸術のための芸術」運動とはどのような内容を伴って、どのように推移しましたか
「芸術のための芸術」運動は、19世紀末にフランスで起きた芸術運動で、芸術作品は芸術の表現としてのみ存在し、実用性や社会的意義などの外部的な価値を持たないとする思想を中心に展開されました。
この運動は、アンリ・フェラ、ジャン・モロー、ジョルジュ・ルオーなどの芸術家たちによって主導され、1890年代から1900年代にかけてフランスの芸術界に大きな影響を与えました。彼らは、芸術作品は単に美的な喜びをもたらすことを目的とし、それ以上の社会的、実用的な目的を持つ必要がないと主張しました。
この運動は、芸術の表現自体が価値を持つという概念を強調したことで、抽象絵画やシュルレアリスムなどの現代美術運動にも影響を与えました。しかし、第一次世界大戦後には、「芸術のための芸術」運動の限界が指摘されるようになり、より社会的、政治的な目的を持つ芸術運動が興りました。
—フランスで起きた「芸術のための芸術」運動の思想的背景を説明し、代表的な思想家を挙げてください
19世紀末のフランスにおいて、「芸術のための芸術」運動は芸術を自律的な領域として位置づけ、芸術自体がその目的を持つことを主張する運動です。この運動は、産業革命以降の社会の合理化と実用主義化に対する反動として発展しました。芸術は市場原理や社会的役割によって決定されるものではなく、自らの内部的な美的原理によって独自の価値を持つと考えられました。
代表的な思想家としては、アンリ・ベルクソン、ジャン・モラン、ロジェ・フライシュ、ギ・ド・ボルトンらが挙げられます。アンリ・ベルクソンは芸術において直感的な認識が重要であり、芸術は知的な把握ではなく、直感による共感を通じて理解されるべきだと主張しました。ジャン・モランは芸術において表現者と観客の関係性が重要であり、芸術は表現者が自己を表現することと観客がそれを共感することの相互作用によって成り立つと考えました。ロジェ・フライシュは芸術における美的価値を客観的なものとして認め、芸術作品は美的価値を自ら持ち、その美的価値は普遍的であると主張しました。ギ・ド・ボルトンは芸術における表現自体が重要であり、芸術家が自らの内面を表現することによって、芸術作品に普遍性が生まれると考えました。
—カントの『判断力批判』とこれらアンリ・ベルクソン、ジャン・モラン、ロジェ・フライシュ、ギ・ド・ボルトンの主張の関係を解説してください
カントの『判断力批判』では、美学的審美判断が普遍的な原理に基づいているという考え方が示されています。カントは、美的審美判断が普遍的な共通原理に基づいて行われると主張し、それが美学的審美判断の客観性を保証すると考えました。
一方、アンリ・ベルクソン、ジャン・モラン、ロジェ・フライシュ、ギ・ド・ボルトンは、感覚や直感、創造性などの主観的な要素が美的審美判断に重要な役割を果たすと主張しました。彼らは、感性や直感による美的審美判断は普遍的な原理に基づくものではなく、個人的な主観によって形成されると考えました。
このように、カントとアンリ・ベルクソン、ジャン・モラン、ロジェ・フライシュ、ギ・ド・ボルトンの主張は、美的審美判断に対するアプローチが異なるため、対立することがあります。しかし、現代美学においては、感性や直感、創造性などの主観的な要素が美的審美判断に重要な役割を果たすという考え方が一般的に受け入れられており、カントの理論とも相補的な位置づけで議論されています。
レオン・ワルラスはおそらくカント寄りである。
「☞研究」は研究者レベルの「研究」ではなく、高校生レベルでの「研究」を意図している。『理解できる数学』における藤田先生の「基礎」「発展」「研究」との分け方がわかりやすかったので、踏襲しただけである。