(メモ)死刑は許されるかについての、正当防衛による非難可能性の解除

ちなみに、人質事件等で犯人が立てこもり、人質の命を救うために警官が発砲することはやむ終えないと感じております。
しかし、死刑とは事件が起きた後に更に被害者を増やす仕組みですよね。
プライオリティーの問題ですよ。

(稲荷聖人のコメント)

 

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〚途中経過〛


「プライオリティ」「被害者」から考える。

Ⅰ)(A⇒B)∨(B⇒C)  BがCを殺そうとしたときに、AはBを殺す
Ⅱ)(B⇒C)∧(A⇒B)     BがCを殺したがゆえに、AはBを殺す

ー行為評価をどう量化するか
《害》に当為(非難)を含む。正当性を欠いた状態
プライオリティ:≻ アロー参照 推移律等
ゲーム構造

ー論証手順
Ⅰ)
国家の正当性を奪って、非難可能性が同様に付与されている。
したがって、AからBへの加害も、BからCへの加害も、ただそれだけでは、同価値であり、無差別(区別がない)。
②それでもなお、AがBを殺すより、BがCを殺すことを優先するのは、行為の非難可能性が減少して、かつ、正当性が付与されている。
《非難の量化による比較可能性付与》
《正当化の非難可能性からの独立と付与》
から量化を考える。
ℵ(B⇒C)≻ℵ(A⇒B)|→ ω(A⇒B)|→ A⇒B
ではなく
ℵ(B⇒C)≻ℵ(A⇒B)∧ ω(A⇒B)|→ A⇒B
或いは
ℵ(B⇒C)|→¬ℵ(A⇒B)|→ A⇒B (ただし、無限退行契機を孕む)
Ⅱ)
ω(A⇒B)|→ A⇒B
或いは
¬ℵ(A⇒B)|→ A⇒B(ただし、無限退行契機を孕む)

正当化は独立に付与されるのであるから、BがCを殺したことと、AがBを殺すことは、その非難可能性について比較されない。
〇正当化がある(付与)《ならば》非難可能性がない(解除)
✖非難可能性がない(解除)《ならば》正当化がある(付与)
つまり、正当化の付与は積極要素であり、非難可能性の解除は消極要素 

単純に死んだ人数ではないことを論証する。
Ⅰにおいて、B⇒Cに非難可能性がないならば、Ⅱを導引しないため、最小人数にとどまる。
そうではなく、そこに非難可能性を認めかつ非難可能性の量の比較(正当防衛)も認めかつそれにとどまらず行為の正当化を認めるから、A⇒Bが選択されるに過ぎない。人数は、正当防衛の結果に過ぎず、それが理由ではない。

非難可能性=回避可能性にとどまらないことを論証すればよい

正当防衛とは(相手方の)非難可能性そのものを滅却するから可能か
行為評価か結果侵害か
正当防衛は殺人未遂に終わるわけだが、
結果侵害だけ見れば、ℵ(殺人)≻ℵ(殺人未遂)であり、正当防衛による殺人は許容されず、正当化根拠を必要とする。つまり、正当防衛は(結果侵害の)非難可能性だけで説明されず、行為評価を必要とする。すなわち、正当防衛は(その殺人が)正当に評価されるべきという正当化根拠を持つ。
そのとき、正当化根拠が社会的判断であるならば、つまり、社会的には殺人はすべからく同じ意味を持つのではなく、あの殺人とこの殺人の社会的意味を分けられるなら、死刑についても同様である。
したがって、結果として死ぬ人数のみを理由として、直ちに死刑を廃止する根拠とはならない(少なくとも、社会的な決定ー死刑で行われる殺人が社会的に無意味であるとのーを待たなければならない)。


(備考)
〇正当防衛と一応位置づけたが、それでよかったか。

正当防衛論の基礎

正当防衛論の基礎