途端落ち

 

markovproperty.hatenadiary.com

 


襯染とは、(背景、前提、由来など、)イベント間の既約事項の宣言であるとして。
『百年目』をあらすじをどれだけ読んでも「とたんオチ」の意味がよくわからなかったが、他の『芝浜』『厩火事』『紙入れ』を見て、なんとなくわかった。
とりあえずは
とたんオチ=自己言及オチ
ということらしい。
2項対立を置いて
『芝浜』(夢/現実)
夢かと思ったら現実で、その「現実」が夢かもしれない
厩火事』(邪険/大事)
邪険に扱われているかと思ったら大事にされて、その「大事」さが実は邪険であった
『紙入れ』(バカ/利口)
バカを引き出すために利口にさせ(バカにさせる)、その「利口」さがバカを露呈している(バカにした相手が自分自身でそれに気づかぬほどバカ)

こうやって考えてゆくと。
『百年目』[因(果)/縁(起)]
因と思った縁が因かもしれない
或いはこっちだろうか
本当はよくしられていない番頭さんが、本当はよくしっている旦那さんに問われていった、、、?
本当は嘘つきの遊び人の番頭さんが旦那さんに見つかって、本当は正直な働き者であることを認められ許されるが、そのとき「正直」に言ったセリフが、、、、
これが「百年目」という幇間芸かお座敷遊びでもあれば落ちるが、よくわからない。

やはり、因(果)と思ったら縁(起)で、運が尽きた、、かな。
要は、「(あ)いうえ(お)」の「ん」は無表記のとき、「う(ん)」が消えれば、前半の「い(ん、因果)」の話と後半の「え(ん、縁起)」の話が繋がる。

旦「もはや百年目。運も尽きたかと思ったのかい」
番「滅相もございません
旦「案外、恩知らずだねぇ」
番「ご無沙汰しておりませんので」
滅相(メッソウ)とは - コトバンク