社会性をだれが身に着けさせるべきか

 

「産業教育」という観点から、『そのせいで、丁寧に書かなきゃと過敏になってて宿題に異常に時間がかかります。』を統語分析してみると、

《統語分析》

1 時間がかかります

2  宿題・に(目的→1)

2  異常に

3   過敏になって・て(理由→2)

4    丁寧に書かなきゃ・と(敷衍→3)

4    そのせい・で(理由→3)

5     全消しする・らしい(4の指示)

6      汚かった・ら(理由→5)

6      うちの子の学校の先生・も(一般化→5)

《意味分析》

1 目的

2  手段

2  反目的的

3   不適合な認識

4    不適切な表出(Errorの表出)

4    Errorを生む理由

5     表出の一体(反個別)評価・統合評価(反分解)評価

6      解除(流通)制約

6      集中管理・監督制度(レガシー)

 

 《統語分析》と《意味分析》を比較すると、《統語分析》では2が1の目的であったところ、《意味分析》では1(自体)の目的が措定されることとなる。
 つまり、家庭での課題付与、つまり「宿題」には、(1)直接的な目的と(2)間接的な目的があって、(1)直接的な目的には、①内容自体の目的(統語分析上の目的)②形式的な目的(意味分析上の目的)が、(2)間接的な目的には、学校の時間/家庭の時間の区分のもと直接に管理される学校の時間と異なり家庭の時間へ間接的な管理を及ぼすことから、②形式的な目的が企図され、特にそれの持つ手続き制が重視されているように思う(要は、「きちんとしたものを出しなさい」)。
 ただ、このとき、指導語彙のトリック(混濁)が行われることもあるだろう。直接それを指示せずに、婉曲的に、示唆的に指導が行われる、または、間接的に、結果的に目的を達成するように指導が行われる。これが錯誤を生むことは考えられる。

 さて、これは、ライフワークバランスと謂うときの背後にある「ライフ」のタスク化で、従来の指導語彙からすると「生活態度の寛容」「生活習慣の定着」であるが、従前は消極的であったところ(「親の責任」とステレオフォニックに強化されてきた)、積極的に関与するようになっていることがうかがわれる。
※Stereotype(固定観念)の発語行為による遂行的な実現。ここでの造語

 こうしてみると、「制度」は、対抗的な場合にあって(所与の)対抗軸を共有することで、その固定化が、発語行為を通じて遂行的に行われることがわかる。
 批判するには、家庭の自由時間を侵食するわけだけれど、それが是か非かを問うことになるだろう。自由の意義が問われる。それは「個人」を通じて(「産業教育」と並ぶ「公民教育」の、その現代的な意義を持つ)「社会人教育」を考えることとなる。
 ならば、「人権教育(個人の尊厳)」~「キャリア教育(環境利用)」~「主権者教育(環境改善)」の一体的な流れの中で、構想されなければならず、もとより学習指導が認知の発達に沿って行われるべきあるから、(発達の)都度十分説得的でなければならない。


[第一次近代化教育ー青少年教育]
知育/体育/徳育の3分類

[第二次近代化教育ー青少年教育]
産業教育/公民教育。ただし、成人教育は別にあった

[第三次近代化教育ー青少年教育]
人権教育/社会環境利用教育/社会環境改善教育

人類社会において人間の発達段階に青年期がもたらされたのは近代社会の成立と関係があるとされている(👇P22)

青年 - Wikipedia

生涯学習と地域社会教育

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エミール 上 (岩波文庫)

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サモアの思春期

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