問題が出されておる。
初出『帝国文学』の該当個所でもそうなってます。
— Kotani Eisuke (@kotani_eisuke) June 22, 2021
ただ、それの前の「着物を着た死体」は「着」なんですよね。表記が揺れてますね。 https://t.co/sLN78nskJQ pic.twitter.com/fEU0SLVVZb
ただ、日韓辞典で「きる」を調べると「着る(著る・被る)」とあるのと、 「著る」をコピペして日韓翻訳サイトで調べると「イプタ(着るの意)」の活用形が出てきましたので、 著にも名残はあろうかと思います。
上半身ははだけていたのではないかと思い、国立国会図書館で検索したら。
『陸軍身體檢査手續』が出てきた。
衣服ヲ脱セシメ(眼鏡ヲ著ケ居ル者ハ同時ニコレヲ脱セシム)著褌ノママ
云々。そのあと褌も脱いで検査をし、検査が終わったら衣服を著る。
もしかしたらこのとき、下しか穿いてなかったのではないか。
秋元殿に聞いてみようと思ったら、
一人だけ最初から素っ裸だったりする。何をしているでありますか。
ただ、wikiにもある通り、みな検査場では早々に着褌状態になっていたらしい。
この『陸達第7號』は明治40年だから、『羅生門』(大正4年)発表の前なんだけれど、芥川は徴兵検査受けていないみたい。
はて、ようやく気付いた。
そういえば、女性は襦袢を着けていた。
徴兵検査手続きでも、みな、着物だったはずである。
つまり、肌に着用していたのは、「眼鏡」「着物(主に上半身)」「褌(下半身)」「草履」である。
ならば、女性はどうか。
半襦袢に暑ければ だったかもしれない。ただこの場合はそうではないかもしれない。底冷えのする寒さである。
さて、下人は草履をはいていたらしい。
老婆は檜皮色の着物一枚を身に着けていたらしい(奪われて裸になる。下人は老婆の腕をとりねじ倒して突き放し、右手で襟上をつかみながら、着物を剥いだ。)。
死体の山には、着衣のものもあれば裸のものもあり、男性のものも女性のものもある。
老婆の言うところでは、その死体たちは『それくらいな事を、されてもいい人間ばかり』で、下人も飢え死にしたらおそらくここに捨てられていただろう。
なお、聖柄についての説明 👉BUNGAKU@モダン日本
ただ、死体の着物の説明がない。檜皮色の着物は売れるらしい。実を言うとそれはわからないが(「売れる」とは言っておらず、『引剥』と言いつつも単なる暴力行為かもしれないが、ある理由で売るつもりであることは推測されるー次回後述)、それでも反対に言うと、死体の山にめぼしい着物はない。老婆にしても死体から髪の毛はとっても、着物をとって、檜皮色の着物を売ろうとは思わない。
第10回『伴大納言絵巻』中巻「子どもの喧嘩(けんか)」を読み解く その2 | 絵巻で見る 平安時代の暮らし(倉田 実) | 三省堂 ことばのコラム
(伴大納言絵巻ー腰巻を着けている女性が見える。手前の足駄を履いた草色の着物の女性はこれ一枚だけのように見えるがどうだろう。伴大納言絵詞 - Wikipedia)