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ここからは憶測だが
どうも老婆は当時の下着代わりの「小袖」を着ずにそのまま檜皮色の着物をつけていたようだ。

よき家の中門あけて、檳榔毛の車のしろくきよげなるに、すはうの下簾、にほひいときよらにて

と言ったのは清少納言で『すはう』とは蘇芳色だが、これは基本的に代用(品)であって、安価で重宝されたらしい。比較的安価とは言っても、鉄を媒色に使うし、出雲(島根県) 、伯耆鳥取県)、備後(広島県)、備中(岡山県)、要は山陽道が有名なのだが、全国で砂鉄は取れただろうということで、どうなのだろう?
蘇芳(植物)にしても土質を選ばず育てやすいみたいだ。

https://www.city.niigata.lg.jp/kanko/bunka/rekishi/maibun/kuni_furutsuhachiman/katsudo/seminar/h29kikakuten-koenkai.files/kikakuten2.pdf
蘇芳色 - Wikipedia
桧皮色 - Wikipedia
「たたら製鉄」の進歩 - たたらの歴史 - 鉄の道文化圏
ハナズオウとは - 育て方図鑑 | みんなの趣味の園芸 NHK出版

これは対になっているらしい。
つまり、『聖柄』と『檜皮色の着物』(と『干魚』)、『鞘走』と『著る』が。
そのつなぎに、『鞘』と『着物』がある。
前者はイミテーションで、後者は裸の暗示だ。それを覆うのが『鞘』と『着物』だ。
そうすると、「なぜ、刀を売らなかったのか」の答えもあぶりだされるような気がしてくる。売れない『白髪』と対になる『白い鋼』の刀も所詮は売れないだろうことが暗示されているのではないか。
これは、面皰を気にしながら、くしゃみには頓着しない稚気を湛えた「少年」が成長する「悪の教養小説」なのだが、古来から『仏像や仏具を打砕いて、その丹にがついたり、金銀の箔はくがついたりした木を、路ばたにつみ重ねて、薪たきぎの料しろに売っていたと』云われるように、虚(勢)を実(勢)に転じて生を得る物語であったのだ。
下人の行方は誰も知らないが生存を期待するだろう。市女笠や揉烏帽子の有様は誰も知らないのである。

 

ちなみに、蘇芳色(檜皮色はこれのひとつ。)は凝固しかけた血液の表現として今昔物語では使われているらしい。これが若々しい面皰と対になっている(のは以前触れた)。『羅生門』が今昔物語からとられたことは今更言うまでもない。


こうやって読むと、『羅生門』は凝り過ぎているな。
すごく映像的で(ある種のモンタージュ的。)、ロジカルな点が斬新で感動するが、意味なくレトリカルに過ぎる点が太宰に引き継がれたのだろうか。長文が書けなかった芥川の限界を感じた。