1950年 『思想・評論選 』、『文学作品における形象の問題―「山月記」の取扱い方について―』、そして都立日比谷高校男女共学化

明治40年生まれだとそんなものだろうか。

自然と陶冶する方向に持って行くというね。それ「戦前」じゃないの?
いや、国語には道徳が期待されているか。
山月記』は純粋に鑑賞してよいんじゃないかなぁ?

参考にした海外の作品と比べるのもよいけれど、勉強にしたいなら、素直に『雨月物語』『藪の中』と比べたらよいよね。

芥川が「我我人間の特色は神の決して犯さない過失を犯すと云ふことである」(「朱儒の言葉(人間的な)」(遺稿)、『全集9』、p.353)

「薮の中」に現れた道徳的な罪の認識--歴史小説に現れた罪の認識との比較を中心に
尹 相鉉
言葉と文化 (4), 129-144, 2003-03
名古屋大学大学院国際言語文化研究科日本言語文化専攻

(以下、尹 相鉉『藪の中』)

山月記』は元の古典の一部を書き直している。実はその書き直されたことこそが『藪の中』の主題に近づく内容だったのだが、中島はそれを棄却したのだ。

中島には芥川のようなシニシズムで脚色する傾向はなく

中島敦 - Wikipedia

 『傾向がな』かったのではなく、シニシズムの根底を支える道徳から作品を解放する『傾向が』あったのではないか。

たとえば『弟子』では子路の人物や性行を愛して描き出している[1]。なお、この子路の純粋な没利害性や、己の信念に準じた性格のモデルは、伯父の中島斗南だということがしばしば指摘されている

(同上) 

一方芥川は『1919年6月10日、十日会という新進 文士の会で知り合った秀しげ子夫人』(尹 相鉉『藪の中』P131)の影響をうけたのではないかと論じられている。
芥川の主題は、古典に題材をとった美しさであり、そこに「真実」があるとして、福田も大岡もそう解釈している(尹 相鉉『藪の中』P130)。そしてそう考えたとき(現実の)「矛盾」は解消されるのだ。

或異常なる事件を不自然の感じを与え ずに書きこなす必要上、昔を選ぶと云ふ事にも、さう云ふ必要以外に昔其もの の美しさが可也成影響を与えてゐるのにちがひない

(尹 相鉉『藪の中』P131)

そうならば、芥川の語り手の構造と中島の語り手の構造の違いこそが考えるべき目標となる。『人間性の欠如』を主題と考えるのは、芥川と重なって、影響を受けすぎだろう。芥川と中島は同床異夢ではなかったか。

増淵恒吉の文学教材指導理論に関する研究
―「山月記」報告の「挑戦」の内実と動機を軸に―
後 藤 志緒莉
国語科教育 87(0), 32-40, 2020
全国大学国語教育学会

また『藪の中』は芥川が悩まされた女性の倫理観(への芥川の思い)も底意にあった。『山月記』に出て来る女性は主人公の妻である(子の性別はわからずただ「子」である)。このような女性理解を比べるのも、ちょうど男女共学の始まりとともに「『山月記』の読解」も始まったのであるから、興味深いと思うが、そこまでは理解されていなかったらしい。。。というよりももとより「信じられない語り手」による『ナルシズム』であり、昭和では妻を泣かすことは芸事或いは「枯れすすき」程度のことだったのだ。 

 今なら熟年離婚だな。

 

markovproperty.hatenadiary.com

 

中島は耽美派を研究したらしいじゃないか。
だったら、言葉が意味を支えられなくなった世界に於いて、ただ詩の美しさが「在る」ではないか。それをこそ、読者に問うている(なにしろ、フツウの読者は、漢詩が読めると思えない。いや、読めるだろうか)。しかし、それは、文脈上の評価ではない。詩そのものの評価である。
それが「鑑賞」でなくて何なのだ。

増淵のやったことは、いろいろと理由を付けてはいるが、終いには『藪の中』の犯人捜しをやった大正、昭和の人たちのふるまいではないのか。