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明治(乃至大正)と終戦時は、キリスト教の受容期でもあって、戦前は文学(等の書物)を通じて(研究者から)戦後は憲法を通じて(アメリカから)入ってきたのであるが、戦前は対象化されていたのに対し、戦後はもとより(制度上)内面化されていたのかもしれない。
つまり、戦前は、「修養」としてアウトプットできたのに対し(もちろん、これに限らず、「修養」には様々な要素がある。)、戦後は「国語」の題材に「読み込む」こととなった。すなわち、「国語」も憲政下のいち制度なのだ。
程度問題だが、戦後からの戦前への理解で顕著なのがテキストに当然に表れるクリシェへの無理解(乃至、左翼の影響を受けた別様の理解。表現物に社会関係の痕跡を認めるのはクリシェでも同じなので構わないが、クリシェはもう少し演技的で、それゆえ意図的であるのが異なる。)であることを考えると、より潜在化
中島自身は戦後のそういった影響をまだ受けてはいなかったのであるから、そういったことも勘定にいれてよいと思う。
要は、増淵は、世代は異なるが、伊藤や板倉と同じように(「戦後」に関して)意欲的だったのではないかと思った次第である。