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シャーロット・ブロンテは批判したらしいけれど、
一方で同じ女性作家のシャーロット・ブロンテは、情感に欠けると非難し、マーク・トウェインは動物的な嫌悪を感じるとし、D・H・ローレンスも批判的であった
”cry”が「ほえる」ではなく「ほたえる」だったら、彼らも満足だったろうか?
先の期待でけへん会社やけど、静かにほたえていきたいと思います。
和訓栞(1777‐1862)「ほたゆ 俗語なり〈略〉またほたほたともいへり」
②泣きわめく。▽卑しめて言う語。
③どなる。わめく。▽卑しめて言う語。
👇何か関係あるだろうか?「おもはゆ」から「おもほゆ」への変化
いや、だいたい「ない」のが相場だけれど?わからない。
「ほたえる」だと社会道徳的な角度が出る。つまり、その場合、cryの主は揶揄されているのだ。
ということは反対に、”cry”の意図は「ほえる」だったのではないかと思う。
ただ、それももう、(作者の意図を離れて)時代がかった解釈かもしれない。「ほえる」はあくまで日本語なのだ。
つまり、それが、最初に見た訳者の語感への感慨だったのかもしれない。訳者には日本語にちょうどよい言葉が見つからなかったのだ。