芦部って長野県出身で、金沢師団ということは第9師団なんかね?
「長野」って保守的で、僕は幼稚園の年長と小学校1乃至2年の3年間だけ居たのだけれど(長野市)、兄の東京進学をやめてこっちに引っ越すとき、僕の担任の男性教師は非難し、兄の担任の女性教師はうらやましがったようなことがあったなぁ。
こっちは女性教師の立場が低くないって。全然違うって言っていたよ。
(いや、兄の担任のハナシは、母親から間接的に聞いたんだけれど。)
云十年前のハナシに過ぎませんが。
やっぱり東京に近いから進学できることもあって、幼稚園のときだって、某幼稚舎に行った子いたしね。軽井沢があるからそこらへんはわかりやすいか。
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『雪国』は越後湯沢(新潟県)らしい。
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栗林が硫黄島で展開した一連の防衛戦術は、(栗林学生が)陸大当時に兵学教官であった蓮沼から教わった戦術を基本としていることによる。
で、たぶん、日露戦争(旅順攻囲戦 - Wikipedia)があって、研究を重ねていたんじゃないかな。
一方第9師団は
後に当時大本営作戦課長であった服部卓四郎元大佐が第9師団抽出を「魔がさしたとしか思えない。一世一代の不覚であった。」と述懐している。 第9師団は武勲高い歴戦の師団であるが太平洋戦争時、一度も交戦することが無かった。
これは瀬島の画策じゃないかと勝手に思っているが。
例えば、南部仏印進駐を見合わすべきという服部卓四郎(はっとりたくしろう)作戦課長に宛てた上申書を本当に書いたのか。
「ラッキー」と「アンラッキー」の間のようなことになった。 芦部に関しては特攻隊にも選ばれたので、実感としては「九死に一生を得た」感じだったろうか。
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👆人事があって政策がある。戦略策を官僚組織の扱う実現可能な政策としてまたそれを実現する人事(組織)から捉え直している点で画期的。 そう考えると、石原伝説の少なくとも一旦は崩れる。石原は東條とだけ反目していたわけではないのだい、そもそも人事を「握る」アイデアは、藩閥打倒のために、様々なサロンを形成しては共有していたことであった。石原にしても恩恵を受けている。それに重要なことは、「天皇制」を社会制度として極めて尊重していたが、思想として彼らの身体を支配していたわけではないことで、顕教/密教の区分は、むしろこの時期の陸軍に当てはまる。なぜなら、天皇主権/国家主権/国民主権のように、これは理論形成上惹起する問題に由来して等しく比べられるハナシではないからだ。ただそれもどこまで評価してよいかはわからない。ただのクリシェかもしれないのは、サロン(形成)+政治にまい進するということは、離合集散の中で、幾重にも重なったつながりもできるのであって、集合で言えば2n個の可能性のハナシであるからだ。石原は虚弱体質だから武藤のような偉丈夫には逆らえないのだが、むしろ東條の「いじめられっ子」傾向の方が気になる。
前田利為から「器ではない」と罵られたが、そりゃ前田のお殿様※1は眉目秀麗の美丈夫であり(或いは、美丈夫然としている。写真を見ると、見栄を切っているようにも見えて格好良い)、彼らの謂う「器」が、「主君押込」※2と関係もある見た目のことであるなら、ホモソーシャルな関係において彼らには東條の「線の細さ」(懐の狭さも含む。懐にゆったり余裕がある様は尺の合わない背広を着ているのとはワケが違う。)が気になったのかもしれない。
東條はと言えば、盛岡藩士を祖先に持つ武家出身だが※3、ただ一方で、父の英教の出世について、
なお中将で予備役となった直接の理由であるが、近年の研究では、日露戦争の時に犯した作戦ミスが原因の一つとされている
(略)
1904年6月に蓋平攻撃と連動して起きた分嶺水の戦闘で消極策を取り独断専行気味に兵を引いたという際、師団司令部と対立したといわれている。
とも言われ、内部で政治団体が割拠していた陸軍にあって、なかなか微妙なハナシである。日露戦争の社会的影響を無視できないからだ。
※1 前田利為は加賀藩宗家の第16代当主であるが利為は七日市藩主の子であって
明治維新後、加賀藩本家は侯爵、富山藩主家は伯爵、大聖寺藩主家・七日市藩主家は子爵、土佐守家は男爵となった[5][6]。
前田侯爵家は華族きっての大富豪であり、1898年の高額所得者ランキングでは第3位になっている。
利為の兄が七日市藩第13代藩主。七日市藩は現在の群馬県富岡市七日市にあったらしい。
加賀前田家の分家の一つである旧七日市藩主家に、最後の藩主(藩知事)前田利昭の子として生まれる。 1894年、日清戦争に歩兵中尉として従軍。1902年、東京帝国大学法科大学を卒業
前田利為が飛行機事故で死亡(公務死)したときに相続税を課税するかしないかでついには国会でも揉めたらしく、公務死で「戦死」となったらしい。これは法源に照らして事例を比較検討しないと何とも言えないが、「戦死」となる場合とならない場合があったらしく、「カミソリ」の剛腕で「公務死」とされたことが覆ったらしい。これが本当に私憤からかどうかはなかなか難しい。
というのは、華族の資産形成に関しては👇のようなこともあったからだ。そのうえで、事例検討が加わったのであろう。なにしろ「カミソリ」である(というよりも、東條の「空気を読まない」人柄が想像される。「一概な」と言われそうな態度である)。
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前田家にしてみれば「まだとるんかい。もう払たやろ」と言いたいところである。政府にしてみれば「温情で分割にしたったんや。残分耳揃えて払わんかい」と腹蔵に秘めつつ、事例で詳細に詰めるといったところか。
※2
吉徳はより強固な藩主独裁を目指した。足軽の三男で御居間坊主にすぎなかった大槻伝蔵を側近として抜擢
(略)
悪化を食い止めたことを良しとした吉徳が大槻を厚遇したことで、身分制度を破壊し既得権を奪われた門閥派の重臣や、倹約奨励により様々な制限を課された保守的な家臣たちの不満はますます募り
加賀騒動を面白可笑しく潤色するなどした「巷説の加賀騒動」が流布することになるが、その中で大槻伝蔵は「主君と男色関係にあったことから贔屓され、藩の財政を牛耳り私物化し、正義ある他の藩士を貶め、主君の側室と密通し、さらに主君吉徳と若君宗辰を殺害して加賀藩を乗っ取ろうとした大悪人」として扱われ、そのようなイメージで後世に知られることになった。
わかりやすく言うと、女性の社会進出の前には男性社会においても似たようなことがあったのだ。わかりやすく「男らしい」ことはリスクヘッジでもあった。
ちなみに、軍が好戦的というのは或る意味嘘で、陸軍が好戦的なのは海戦に関してで、海軍が好戦的なのは陸戦に関してっぽいのだが、もちろん口頭では「芋を引かない」ように気を付けるのであった。
それ以前に、「支出を合理化する」ことはとにかく評判が悪く、まったく別のハナシであるが、似たような時期にどこかの学生寮の会計をそうしようとしたら、暴力沙汰も日常茶飯事だった(けれど、やりぬいた。)ということが 雑に掲載されていたのをたまたま見たのだが、それが「武勇伝」として誇らしげに語り継がれていたことに驚いたのであった。
※3 加賀藩では能が盛んで、「空から能が降って来る」と言われた(高所作業中の職人が能の謡を練習していたことから)。
東條氏(安房東條氏)は安房長狭郡東條郷の土豪で[4]、江戸時代に宝生流ワキ方の能楽師として、北上して盛岡藩に仕えた家系である。
後に加賀宝生(かがほうしょう)と呼ばれるほど、金沢では宝生流が盛んになりました。
「器」とは何だったか。まぁ、関係ないでしょうけれど、ちなみに、
能は歌舞伎の「見得(みえ)」のような停止による強調の演技は用いない。
(略)
シテがじっとうずくまっている動かぬ型も、静止ではなく、最高回転時のこまが動かずに見えるように、心の強い働きで支えられている。
さて、長野県と考えた場合、
太平洋戦争末期、日本の政府中枢機能移転のために長野県埴科郡松代町(現長野市松代地区)などの山中(象山、舞鶴山、皆神山の3箇所)に掘られた地下坑道跡である。
当時アメリカ軍の設定した全国180の空襲対象都市の中で、長野市は64位、上田市は144位に設定されていた[2]。空襲の目的は交通機関の要衝としての駅や機関区を攻撃して損害を与え、飛行場の軍事施設を破壊し、人心に大きな脅威を与えることにあったとされる
伊那郡は芦部の故郷だね。
そうか。空襲については親から1度、教師からは1度聞いたかなぁ。あんまり覚えてないな。もっと学年が上がれば勉強したかもしれない。兄からは聞いたかなぁ。覚えていない。
法学の方はと言えば、美濃部の弟子が宮澤で、宮澤の弟子が芦部 。
学説は時宜に伴い変化した。
美濃部に対しては「お前がそれを言うか」と言ったが、その弟子はもっと面の皮が厚かった。
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「芦部の事業」は途中で終わったのだけれど、芦部を有難がるばっかりで※、内実「戦前の体制」に逆戻りしたからねぇ。
「芦部はえらい」なんてどれだけ言ってもしかたがないのに、言うのをやめないでしょ?芦部もびっくりしているよ、たぶん。いや、美濃部の孫弟子から、ほくそ笑んでいるかもしれないが(戦争を挟んでそれはさすがにないか。大変失礼いたしました)。
※これって軍隊だと聞くけれどねぇ。例えば、秋山真之とか。本当は日露戦争後まったく相手にされなかったというね。むしろ、機密を秘匿するためにのカモフラージュにされたんじゃないかってハナシすらあるよね。石原莞爾にしてもどうか。「えらい」なんて言われるとハナシが「終わる」。
芦部が「えらい」「えらい」なんて言っている人の言うことはまぁ、眉唾で聞いている。本当にそう思うなら、もうちょっと違うと思う。