個性が際立つ

少年隊が当初の意気込み通り全米デビューしていたら面白かったと思う。錦織さんがブロードウェイで躍る様を報道で知る日は来なかった。
最近、you tubeのおかげもあって、「少年隊」が(10代20代の間で)リバイバルしているらしい。変な言い方をすると、体幹の良さで、中田や長友より先に世界を驚かせていたかもしれない。
華の在る人で、とにかく面白い。なぜこんなに面白いのかと訝しくなるほど喋り出した途端に面白い。「天才(的エンターティナー)」っているものだと感心することしきりである。

hinative.com

markovproperty.hatenadiary.com

そうして、つまり、常見さんに対して私がアンチテーゼを掲げて相互に参照することで、一体として、世代感溢れる、、、、、、文章になったのではないかと思う。
或いは若い世代の方たちの作文とは異なっていないだろうか?


私のよくわからない作家に村上春樹がいる。
村上のエッセーはリラックスして筆のすべりがよくなると面白いが、作為的に書く文章には、どこかしらぎこちなさが漂う。
誰かが教えてくれた。
村上春樹は海外の翻訳者の仕事が素晴らしいらしい。
そういえば、日本でデビューしたときも、素人はだし、、、、、、の彼が「デビューさせてもらった」経緯が編集者との間にあったのではなかったか※。

japanknowledge.com

※ここで「素人はだし」は、「下駄を履いた」ことから、本当ははだしでしょと言いたいだけのことである。下品でまことに申し訳なく思うが、(造語による)皮肉である。

crd.ndl.go.jp

dictionary.goo.ne.jp

自然言語の論理構文に対比構造がある。対立軸を共有しつつ対立点を明確にする(構成する)文章技術だ。基準とパラメータ(対照させる操作群)がなければ物事の評価ができないということであるが、表現のうえで、際立たせる効果も持つ。スイカに塩を振るようなことだ。或いは、ボケとツッコミか。

meganenosenri.com

村上春樹を担当して世に出した編集者はその後何を思ったのか村上との間に事件を起こして斯界を去った。自負が崩れたということがあったのだか何だったか。つまり、意に反して、村上春樹は作家として独り立ちできたわけだが、だからと言って、彼の功績が無に帰することはなかろうて。「わかりにくい」ことが世の中にはあると思う。

海外の編集者によると村上春樹の文章は実に日本的で、それは日本の読者の印象と異なる。日本の読者の間では「無国籍的」あること、少なくとも「「世界」を意識して書かれている」ことが常識的に語られていないだろうか。
際立つ個性があるのだろう。

 

村上の、というよりも村上を推す人たちの「世界語」が鈴木の「中央語」に近づくとき、まことに日本的だろうか?

それはまた地方から中央への道筋でもあった。
(略)
ただ、それは漱石の言う「命のやり取りをするするような維新の志士」の如き「烈しい精神」に応ずるものであるかは別である。

ーおわりに(P21)

地域性と文学 : 鈴木三重吉「千鳥」「山彦」、「小鳥の巣」を中心に
槙林滉二
広島大学近代文学研究会

👇なるほどフランクフルト憲法か。歴史学派だったんじゃなかろうか?

ヤーコプ・ルートヴィヒ・カール・グリム (独: Jacob Ludwig Carl/Karl Grimm, 1785年1月4日 - 1863年9月20日) は、ドイツの言語学者で文学者および法学者。

ヤーコプ・グリム - Wikipedia

フリードリヒ・カール・フォン・サヴィニー(Friedrich Carl von Savigny ドイツ語: [ˈzavɪnji] フランス語: [saviˈɲi][1], 1779年2月21日 - 1861年10月25日)は、ドイツのローマ法学者。近代私法(民法・国際私法)の基礎を築いた法学者であり、大学教授、またプロイセンの枢密顧問 (Staatsrat)、裁判官、法律改正大臣でもあった。

フリードリヒ・カール・フォン・サヴィニー - Wikipedia

ヤーコプ・グリムはゲルマニステンの一員。

歴史法学においては、法の歴史性と民族性を強調した。だが、歴史法学創設の中心人物であったフリードリヒ・カール・フォン・サヴィニーは、当時において歴史上唯一のドイツ統一国家であった神聖ローマ帝国がローマ法を継受し法制としたという事実を重視して、ローマ法を重んじた。そのため、ロマニステンと呼ばれた。

これに対して、ゲルマニステンは、ローマ法の継受こそがドイツ民族=ゲルマン民族固有の法制度を破壊した元凶であるとしてこれを非難して、ドイツ民族固有の法はゲルマン法以外にあり得ないと主張した。

ゲルマニステン - Wikipedia 

マルキシャンである内田が理想としたことは? 
こうやって見ると、マルクスの思想なんて、ほぼどうでもよいと思う。時代の気分の写し鑑として重宝されている。見えてくるのは、グリムでありサヴィニーである。

 

村上春樹が翻訳した文章には奇妙な訳語があるらしい。ありていに言えば誤訳だ。誤訳の仕方が奇妙で、日本語の選択があまりに本来の意味からかけ離れていておかしいというよりも、その社会に現に住む中で、そういう風に考えていたら生活が神妙過ぎて暗くならないだろうかと心配になる誤訳である。
反対から言えば、いくらアメリカ人だって、生活するうえでは日本人と同じであっけらかんとしたものである。水はアメリカ人にとってもシンプルに水であって、まことに機能的な扱いを受ける。いちいち感慨深げだったら、アメリカ人も眉を顰めるだろう。「(おちついて)一杯cold waterを飲め」と忠告されそうである。hot waterではない。
神妙になるのは、waterに機能的な意義を巻き込んで訳してしまっているからのようだ。彼にとっては water は water() でなければならないのだろうか。アメリカ人は、日本人にとっても、hot()である。water という被造物(概念)に窓はない。 逆転しているらしいのだ。

以前そういえば、  の翻訳を参照したことがあった。
あれは自分の勝手訳なので、それを以て村上を批判するのは恥ずかしいが、あれが「日本的」だとすると、確かに奇妙に日本的で、つまり、世界の理解の仕方が『そして』に現れていたかもしれないと思う。奇妙に並列的なのだ。それを『そして』で繋ぐ、積極的な意義づけを避けて受動的な態度というか、構造的な理解を避けてしかし疑似構造的で倒錯的というか。『そして』は統合的であって分析的でなく、継時的であって分析的でない。
ただ、彼は、好きなように書いたら、意外にしっちゃかめっちゃかな印象を抱かせる(『女のいない男たち』)。これが本来の村上春樹で、『そして』は十分訓練して身に着けた技術なのかもしれない。それが彼の文章における際だった特徴となっているのかもしれない。

村上春樹の父は国語の教師だったらしい。高校で教えていたのだったか。どういう教え方をしていたのか興味深い。
内田樹は1966年に日比谷高校に入学している(次の年、退学している)。彼が増淵の影響を受けたと考えてよいだろうか?