「修身」や「教育勅語」を目の敵にしてもさほど大衆には響かない理由

作者の気持ちねぇ。

それはたぶん、「ごんぎつね」じゃないかね。
「ごんぎつね」はかなり論争があったようで、そこで「修身」が間接的に関係してくるかもしれないね。

「ごんぎつね」は新見南吉だけれど、「修身」(への誤解※)というよりも、大正新教育だから、云々ということはある。

※「修身」と「教育勅語」はその意味で誤解されていて、大正新教育のターゲットが規範的な教育で、方法論上の革新を目指したから、(「修身」や「教育勅語」が批判されるとすれば)批判されるけれど(それでも起草者の井上毅自体が批判的であった、過渡的な措置に過ぎないのだから当たり前の話である。)、規範教育自体がだめじゃないのは、戦後の「修身」を切り離した国語教育からしてそうであるし、そういった混乱もある。
「修身」は「西洋化」の賜物であって(ここらへんが一番誤解されているのではないだろうか。)、別に日本古来の規範意識をもっぱら叩き込んでいたわけではない。しかもその「日本古来」には朱子学も含まれる。それはもちろん「あはれ」などとばかり言っているわけにも如何だろう。
その規範的な方法論が批判されたのであったのは(いわば「鹿鳴館」に象徴されるファッション近代化)、明治維新も落ち着いて、中身を充実させる意気込みが沸いてきた時期のハナシであって、それ以上ではない。
要は、ポストキリスト教社会であるにも関わらずキリスト教への理解を欠いたまま近代化を成し遂げた日本に、そろそろキリスト教への理解が根付いてきていた一方で、その挫折者が社会主義に転向していた時期である。

 

だから「修身」を(直ちに)持ち出すのは、少し慎重であってよい。

だから遠藤周作を持ち出すのがなかなか絶妙である。

 

例えば、昭和に入ってからの、海軍士官学校の入試(国語)であったり、陸軍幼年学校の入試(国語)であったりには、大正期以降の変貌した「修身」の姿を見るかもしれないが※、それはたぶんに、「修身」のもともと持っていた近代化への便宜性が発揮されたからではないかと思う(から受験生、要は、エリート受験生にもなると、「心得た」もので、それはイギリス人のキリスト教の近代的受容もそうであったようだが、口説というニュアンスが近くなる。しかし、その「口説」には口説なりの意義ー社会統合のーがあると了解する)。それを非エリートたる大衆が「真に受ける」のとは区別して理解する必要が出てくると思う。

 

「日本精神」などとは語る相手が日本人だから殊更にそう言うのであって、イギリス人がイギリス人相手に「イギリス精神」(そんなもの或るかは知らないが。)と同じ内容にもかかわらず言っても不思議ではないのであった。
世界中から適当に見繕って、日本語のファッションで仕立て上げたあげただけのことであって、そういう便宜のハナシである。


「修身」や「教育勅語」はそれでも(起草者の井上自身の思惑を外れてその後も)珍重されたのは、「群衆化」を経た「大衆民主主義」に寄与したからだろうね。

つまり、「レンジでチン」が主婦を開放したような社会的ニュアンスがある。
すなわち「マニュアル」は誰も排除しないという意味で、極めて「民主的」なのであった。

だから、「修身」や「教育勅語」を「悪」として非難しても、それほど意味があるのかわからない。
ただ、イイ大人(成熟した近代社会の成員)がいまだに「アンヨは上手」をせなダメかね?と疑問を呈することはできる。
「からるでしょう」と言うと、「わかる」がどういう効果を持つかわかってしまうのであった。

「修身」や「教育勅語」に反対したがる人たちが何に反対したいのか、さっぱりわからないのであった(自分は今更おかしいだろうと思って、反対である。それはまさに昨日の話であるが「男の子」扱いする差別:抑圧につながるからである。でもその反対に大正新教育を持ってきたところで「ごんぎつね」であるし、それに反対する社会主義を持って来たところで「オルグ」である。規範教育の必要と難しさがそこにある)。