なんか民主主義政治が揺らいでいるような印象を受け👇でも読もうかと思ったが。

👇でもなんとさく察しがつくように、フォーカスが強い人だ。

ウィルソンはひとりおかしかったことはなく、誇大妄想気味ではあるが、キリスト教社会主義が同等に語られる「自由」な趨勢を代表するヒトであって、キリスト教の救世主を気取りながらなぜか、レーニン主義も許容するという混とんとした時代のヒトだった。

 

原敬についてもそうで。👆の二人は似たような時代のヒトだが、「藩閥時代」「学閥時代」「軍閥時代」にあっては「学閥時代」の、大正デモクラシーでは「地方」の側面を代表するヒトだった。そして、それは「地方」であるがゆえに、内務省の影響が大きかった時代でもあった。

山縣は奇妙な人で、藩閥の首魁でありながら、子飼いの児玉らを使って近代化官僚から革新官僚への続く途を内務省を通じて付けたヒトだが、内務省がダントツで力を持ったのもおそらくこの頃の地方の掌握と「対外国内法」によってであって、並ぶところのない存在だった。

内務省に陰りが見え始めたのは、「学閥」のやり方を吸収した「軍閥」が、「地方」と「国際法二元論」を手中に収めたころからで(美濃部と立というライバルの論争があったのは明治44年で、大正年間を通じて、「商法の時代」でもあり、「次の時代」の準備は進んでいたのだった。)、決定的となったのは、内務省の議会に「統帥権」のロジックを完成させたときではないか。ここから軍部の議会へ変貌してゆく。

色を変えながらも近代日本は一連の動きに抗うことなどなかったのだ。

ただ現在、憲政史上はじめて日本が揺らいでいるかもしれない。
原敬は、後から考えてみれば、「(内務省の)国体」の一部に過ぎなかった。
いま原敬は居ないが。