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なぜ、favored sonが誤訳されるのか。
【孤犢乳に触れる】ことくちちにふれる
親不孝のたとえ。
「孤犢」は父親のいない子どものたとえ。父親のいない子どもは母親に甘えて乳離れできないので、わがままに育つことから。
さて、「孤犢乳に触れ、驕子母を罵る」とはどういう意味か。
「孤犢」(親を亡くした子牛)と「驕子」(わがままな子)との つながりがよくわかりません
『孤犢乳に触れ』の意味を教えたうえで
(孤犢乳に触れ、)〈 〉驕子〈 〉母を罵る
の〈 〉に適切な語を入れられるかどうかだろうと思う。
僕の回答は
(孤犢乳に触れ、)〈而して〉驕子〈が〉母を罵る
である。このとき、別の説明では、
驕子〈は〉母を罵る
になっているので、この質問者は、『驕子』を『わがままな子』と訳すのだろうと思う。『わがまま』という評価については、
(孤犢乳に触れ、〈而して〉驕子〈が〉)母を罵る驕子〈が〉居れ(ら)ば、
その子〈は〉「不孝」である。
このとき、その子〈は〉『わがまなな子』だろうと思う。
孤犢觸乳指小牛用角觸其母,故以此比喻子女忤逆不孝。
▶ 《後漢書.卷七六.循吏傳.仇覽傳》章懷太子注引〈謝承書〉:「諺曰:『孤犢觸乳,驕子罵母。』」
忤逆不孝
對父母不孝敬、不順從。《通俗常言疏證.家族.忤逆不孝》引〈串戲梆子腔〉:「哥哥,母親告你忤逆不孝了。
孤犢がいつまでも乳離れできないのを許して「可愛がって」いたら、角が生えてきてグサリとやられたという比喩。つまり、これは飛躍であって、本義とは別のことを説明している。この場合、帰納的解釈(場当たり的解釈)であるので、別の意義が外挿されているのであった(それが諺としての意義)。
であるから
であるけれども、古代日本に於いては