近代国家のイメージが強すぎるかどうかが問題

 

やっぱり、上の2冊を購入しておいた。


まだ読んでいないけれど。

〇強弱に関係なくわざわざ外に出向かなければ戦争に負けることはないので「勝敗」を気にするようなことはなく、そもそも戦争は勝てばいいものでも負けて駄目なものでもなく、クニの盛衰のみが重要なので、それぞれのクニの人たちは何に怒り、それゆえ〈対等〉に何の意味があったか(すなわち、〈対等〉は感情の問題)※。

突厥に着目しているが、匈奴を取り上げているか。

遼河文明を取り上げているか。

〇ロジックに着目しているか。

ここらへんが気になる点。あと1点追加するなら(これはたぶん範疇にはいってないだろうけれど)、

〇古代インドを取り上げ、黄河文明乃至長江文明の後進性に言及があるか。

 

※やっぱり「肌感覚」でわからないのかなって気にはなる。
こんなもん別にビビるようなハナシは全くなくって、白村江で負けるのも、まぁそんあもんやろうって気はするし、元寇で勝つのもまぁ、そんなもんやろうって話(戦力以上に、環境克服の方のコストが莫大ー疾病、食糧、移動含めてー比べ物にならないと思うし、戦闘以前にたぶん人間ってすぐに死ぬよ。同じく新進気鋭の長南先生みたいに、軍事を専門的に分析できるなら別ですよ。そこらへんは非専門的なただのイメージなんじゃないの?)。その点、朝鮮半島と日本列島は決定的に違う。同じにできない。
朝貢していたのは資料に明らかな歴史的事実なんでしょ。お歳暮程度の意味なんか、昇進祝い程度の意味なんか。つまり、力の差で〈対等〉な関係が決まるなんて法則は別にないのであってね。〈対等〉な付き合いなんて普通にあるでしょう。つまり、これは意味論を超えることはない。なら、その意味形成を明らかにしないと、理論的ではないよね。
僕はこのとき「怒る」ことに興味があって、それが何かしらの価値体系のアウトプットじゃななかったのかなと思うんだけれど、双方ともに「怒っている」からね。そもそも隋(遼)って(秦と同じで) 異民族だし、日本の「国力」が小さいって、そもそもそんなことを気にする必要がなぜ、あるのか不思議なんだよね。「国力」って、近代国家の用語だからね。別の価値体系じゃないかな?と素朴に思う。

agora-web.jp

これ面白かったよ。
歴史学会どろどろやね。
でも、歴史学者って本当に「歴史学1本」って感じだよね(当たり前だけれど)。
独特の人たちと謂うか。
素人「歴史家」(ただの一家言ある歴史好き)って不思議な人が多いけれど、専門家も負けてねえなって。

平泉ねぇ、大野のヒトなんだね。
大野って、福井県の端に近いところにあって(県境を有する勝山市の隣)、福井県の中でも独特なんだよね。
福井県って東北弁(に近い)地方と関西弁の地方があるみたいだけれど、城下町の大野はどっちでもなくって、独特のプライド持っているよね。歴史については詳しくは知らないけれど。
大野の人みんなが平泉みたいな考えとは思わないけれど。

平泉は勝山出身か。

ほとんど知らないけれど、大野と勝山はまた違うって聞いたことはあるかな。

失礼いたしました。

勝山になると、仏教か。 

平泉寺白山神社 - Wikipedia