数学はまったくの素人なのでゆっくり「楽しむ」程度。

 

やっぱり、天武の『古事記』編纂はイデオロギーだったらしい。

この先生は、古代文明の多発現象(黄河文明長江文明とは別に、東北の遼河文明)をどの程度加味しているかわからないが。中国の「天」理解とは別の、おそらくモンゴルと共通の理解を指摘している。
それは日、月の同等の扱いに見られるらしい(中国ではそうではないらしい)。

結構面白い本だった。

 

markovproperty.hatenadiary.com

 

レヴィ=ストロースは、交叉いとこ婚から、インセスト・タブーの意義を見出したが。
色と数にそれが応用できないか。
なんか共通することがあるのだけれど。

hurari19.com

www.nhk.jp

www.nhk.jp

古代社会でもいろいろな地域が出て来るけれど広島も確かに出て来る。
なんでだろうと思っていたけれど、製鉄だったのか。

「ヒノカワ」「日野川」「桧伊川」「檜野皮」

第二次世界大戦中の戦艦の性能差は、可動橋の大きさ比較によって判断できます。

昔の日本の鉄・鋼の質の低さ

なぜ「大艦巨砲主義」なのかの説明を補助している。アウトレンジでなければ戦えなかったのか(接近して魚雷を1発撃たれると沈む。そう考えると、戦艦は原爆以前に「抑止力」と言われたが、なるほどと思う。今の原爆と同じで或る意味「貧者」の武器だったのだ。ただそれは原爆と同じでそれほど使える武器ではなかったー使い方をかなり選ぶ。すなわち、「原爆」はただの「空爆」である。大日本帝国にとって戦艦大和は「移動式亜ミサイル装置」に過ぎない。それは今では「地下に隠す」のが常道であるが、かつては「焦点から隠す」のが常道とされたに過ぎない。北朝鮮にとって衛星が、大日本帝国にとってレーダーが大敵だったので、大和は「おとり」以外ではまったく不要な兵器だったのだ。なお、航空機の装甲に関しても言える。
戦争の失敗は軍部のみではない。大学も同じである。現在大学が軍事技術に協力しないのは、倫理的な目的ではなく、単に「役に立たない」ことへの追求から逃れるためだろうーこれは実際に、直接に役に立たないかどうかではない。その追及に関してである。東京帝大が満を持して協力した戦艦大和はまったくの「ブリキのおもちゃ」だったのだ(美的感慨だけは多量にある)。なお、ほかには湯川が殺人レーザーを研究していたのであるから、どっちもどっちだが、湯川はそれを実戦投入することはなかった)。

雑多なページ

無理数の発見の歴史