うわーさすが京都やな。善いもの、持っている。

www.kanazawa-museum.jp

鈴木大拙の改訂版の方の完訳が出たということで。

1959年のこちらのことだな。イントロダクションで、Swordmanship(剣道)とthe Art of Tea(茶の湯)とHaiku(俳句)について書き足したよって言っている。

興味深いのは、鈴木大拙が、

禅匠が論理家ロジシャンらしい振舞をすることがあるとすれば、それは普通の推理法や評価基準を全く逆にしたものである。シェクスピア(原文ママ)が何かの戯曲中の一人物にいわせたように『美は醜であり、醜は美である』ばかりでなく、『汝は我であり、我は汝である』というのである。いわゆる事実なるものは無視され、価値は顚倒する。

マクベスを見ると、

Fair is foul, and foul is fair:
Hover through the fog and filthy air.

Macbeth Act 1 Scene 1 対訳『マクベス』第一幕 第一場

これをどう訳すか。

tu fui ego eris

エピタフ - Wikipedia

こっちは単純に、墓なんだから、墓=スフィンクス(死を見守る存在)で、

スフィンクス - Wikipedia

その答えは、「人間」でしょう。

三段論法とは - コトバンク

論理的に考えると、、、、、、、、ソクラテスも死ぬ。
さて、『マクベス』だが、帝王切開と中絶とへとそれぞれ適用したダブル・エフェクト原理がかんけいしているのかな?ただし、経血や瀉血も関係あるのかなぁ?というところか。

院長の偏屈コラム | https://www.shin-toku.com/

帝王切開 - Wikipedia

吸血鬼の物語

Menstrual Blood(経血)

瀉血 - Wikipedia

二重結果の原理 - Wikipedia

ここでもう一度、カトリック教会における妊娠中絶に対する見解についてふりかえってみる。カトリック教会は母体が危険にさらされている時にすら妊娠中絶を認めていないが、それは胎児の命を母親の命と対等とみなすカトリック教会にとって、母親の命を救うために胎児の命を奪う妊娠中絶は、ダブル・エフェクト原理の第一および第二の条件に合致しないからだ。母親の命を救うことはもちろん良い目的だが、どれだけ良い目的のためであっても胎児の命を奪うことはカトリック教会の見解では「殺人」にあたるし(第一条件違反)、その「殺人」によって胎児の命を奪うことが母親の命を救うための手段であると解釈される(第二条件違反)。

それに対し、妊娠中の女性に子宮がんが見つかった場合、彼女の命を救うための子宮切除が認められる(その結果胎児が死ぬのも容認される)のは、女性の命を救うという行為そのものが道徳的に良い行為であり子宮切除という手法も道徳的に問題がなく(第一条件)、手段は殺人ではなく子宮切除であり(第二条件)、胎児の死は子宮切除にともなう副次的なものであり(第三条件)、母親の命は胎児の命と少なくとも同等の価値がある(第四条件)というように、ダブル・エフェクト原理におけるすべての要件を満たしているからだ。

macska dot org » 「トロッコ問題」記事への追記――思考実験の功罪、ダブルエフェクト原理、フィリパ・フットの真意

赤字強調は引用者。
ここで言われていないことが、

緊急帝王切開を行う理由で多いもののひとつは、妊娠中や分娩進行中に赤ちゃんの元気がなくなることです。 また経腟分娩を目指して分娩が始まったものの、赤ちゃんの体が途中でひっかかってうまく降りられない場合にも、緊急帝王切開をすることがあります。 また、お母さん側の理由で、緊急帝王切開が必要なこともあります。

Q1. どんなときに帝王切開をしなければならないのですか? | 一般社団法人 日本産科麻酔学会

と関係して、

    カトリック教会は母体が危険にさらされている時にすら帝王切開を認めていない(か)

かどうかと

    カトリック教会は胎児が危険にさらされている時にすら帝王切開を認めていない(か)

かどうか(知らない)。

そしてこのダブル・エフェクト原理が、「キリストが神であることの擁護証言(神の存在証明)」のバリエーションになっていることである。
すなわち、アンセルムスは神を「最も大きなもの」としたが(G<φ;G:神,φ:ない※)、ここでは、「被造物(母と子)の救済(実在的平等)」(価値言明において、φ<m<φ;m∈M:人間,φ:居ない※)が言われている(※論理学的に正しい表記ではない)。
前者は、可能(命題)であるがゆえに「言えなくなる」ことを帰結したが、後者はより多重に構造化されて、可能の様態に応じて「どちらとも言えなくなる」ことを帰結している。

aniram-czech.hatenablog.com

そうしてようやく多少「醜」に近づく。生と死の間に在る可能性の表現のことだ。
ただ、それだと美が何なのか、よくわからない。

until / by / tillの違いを図解!英語の語源も合わせて、一瞬で解説! | HACKeng

"about"と"of"の違いに近い。「5日までに提出」と言ったときに、5日に提出してよい。
ところが、

tillの語源 ~受験生を悩ます(?)byとtill(until)の使い分け~ | ことば今昔物語

どっちなんだ、ということである。

byの意味・使い方・読み方 | Weblio英和辞書

さらにややこしくなる。「以降」である。リンクをたどると、ahterでonと対比されるので、含まない。以後は後、以前は前と対比されて、起算点を含むのであるが、ここでは含んでいないようだ。

ofから生まれたoffとafter: 日本語と英語をつなぐ

afterにはofしたがって、offと同じく、「分離」のニュアンスがあるからだ。
しかし、辞書がより詳細で、そのニュアンスがより出るのは、否定文ということだろう。なお、これはそのまま進行形のアスペクト理解に通じる。進行形は行為の終点を意図的に作って「それまで続く」というニュアンスだ。
このとき、byは、「12時には来ない」と言っていて、12時に来ないのは、論理的に考えて、11時にも来ていないということを含意しているに過ぎないようだ。要は結果として直示を避けた表現となっていて、アリストテレスの言う「新しいこと」(要は、いまだ表示されていないこと)を生む。

要は、byは外延的で、untilは内包的ということらしい。ただし、byは、あくまで「外延的」であって、閉的なのであるから、境界を含んで内部を持つ。論理的なのである。
by fiveはfiveという外延を文法上扱うが、(文法を超えて)論理的なので、{}に入るfourでもよい。untilは外延を文法上扱わずに、内包だけである。
ややこしいのは、5時までと言ったところで、その瞬間を誰も捉えられないからだ。

https://foreignlang.ecc.co.jp/learn/l00031d/

日付になると、より明瞭になる。その日に留まる幅ができるからだ。
こうすると、untilが「0算入」していることがわかる。
要は、until Pと言ったとき、P→0(文法的には、∅:非属)で、by Pと言ったとき、P→1(文法的には、∃:属)のようである。これがどうも一番わかりやすい。

内包はある記号(言葉)が意義とする、対象に共通な性質のことであり、外延は記号の指す具体対象のことを指す[1]。また、外延と内包は各々、概念の外側か内側かという意味合いを持っている[2]。例えば「芸術」という言葉は、「自己表現」「人間活動」などの属性を内包とするのにたいして、「演劇」「音楽」「絵画」「彫刻」「文学」などの非属性を外延として指す

内包と外延 - Wikipedia

∃:属と∅:非属については、Pについて言及しているので、反対の説明になっている。このとき、not by 5は、{4,5,6}の順序を持った全体の集合があったとき、排他的に、{4,5}をくくり出して除き、{6}を残す。これが辞書的な説明の『5時以降』(=after 5;not at five of the clock。例では、on 30th。)となっている。
閉集合、開集合と言いたいところだが、数を扱っているわけではないので、憚られる。


やたらと長くなったのは、わけがある。
属/非属が死命を決するからである。

A bloody Childが言うには、

Be bloody, bold, and resolute; laugh to scorn
The power of man, for none of woman born Shall harm Macbeth.

赤字強調は引用者(以下、同様)。
ここでbearのニュアンスが伴って、語源の「運ぶ」即ち「繋ぐ」ことが含意されているらしい。このとき「大変」だと思えばbearで「離れている」と思えばtransのニュアンスが付く。それでも離れているから「運ぶ」のだ。

ここから、どうも、「運ぶ」ことをショートカットする、切開分娩(帝王切開)は条件から除外されるようだ。ここから実は血縁関係も派生するので、bloodyというのは、意味深だ。
このニュアンスは意外に大事で、というのは、

with- 意味と語源 – 語源英和辞典

withの分離のニュアンスを伴って、

a Child crowned, with a tree in his handが言うには、

Be lion-mettled, proud; and take no care
Who chafes, who frets, or where conspirers are:
Macbeth shall never vanquish'd be until
Great Birnam wood to high Dunsinane hill Shall come against him.

いや、そもそもライオンはイングランドの紋章だろうとも思う(スコットランド王の誰かが用いたらしいことは言われているようだ。詳しいことは知らないが、要は、トリッキーである)。

イギリスの国章 - Wikipedia

和訳してしまうと、これが条件であることを忘れてしまう。
本旨はto以下ではないかと思う。
untilはas fa as(を表す古ノルド語und)とtillの合成語が語源ということで、

till - 語源から学ぶ英単語 ~ 英・語・源 ~

tillには「耕す」という意味があるのだが、実は深淵で、要は「(芽が出る)準備をする」意だから、「まで」なのだ。つまり、このとき、as far as はrisingに係り、進行形ですでにややこしいのだが、誕生や川の流れと近縁である。要は、いままでの話に沿うと、「芽が出切った限りを0算入し、それまで(ずっと)」ということである。
ということは、何を「限り」にしているかが、鍵である。
そうすると、not at and over high Dunsinane hillであって、(排他的に)条件切れである。

要は、

 

  当たり前だろ

 

という話であった(例えば、国境超えるまでは「負けない」というのは、ほぼ開戦前を意味するから、当たり前である。「負ける」ことはないが、「負けない」こともない。もとより勝負がないからである)。
シェイクスピアの好む「虎の屏風」話は良いとして(ヴェニスの商人にしても、同じである。)、魔女の言葉である。美/醜は生/死への働きかけであって、生を授かったものが、死を与えたものと入れ替わり、立替わりするということだろうか?