学生は教員に忖度してレポート書くくらいのこと分かれ勢が世の中にたくさんいて、まぁその気持ちもわからんではないが、学生は俺の気持ちを忖度してまずは段落の冒頭一文字は字下げするあたりから取り掛かってほしい。引用は一重鉤括弧またはブロッククォート、日本語書籍タイトルには二重の鉤括弧、
— ursus (@ursus21627082) June 18, 2022
なるほど
一言で言うと、
清書してください
ということだろうか。
ちなみに、
これはまぁ、まずは「読み込む」のを避けて、僕の場合なんかだと、もうざっとスクリーン(目視)にかけて、絵面から機械的にピックアップするけれどね。
最初に全部、語尾と、括弧に〇をつける。
それから「適合検査」だ。それは作業だね。アタマ使っちゃダメ。
考えると間違える。
ここで書いているのは、練習用の落書きばかりだから。思い付き重視。
「(内心の)独白」と(実際に話しかけているのではないが)「訴え」(たいの)とのごちゃまぜ。
実際にヒトに提出するもので、そんなわけにはいかないよな。
履歴書を書いているつもりで、出さないと。
「資質と人格を見られているよ」ってことだけれど。
注意が要るのは、まさに「忖度」で、コンビニ敬語じゃないけれど、何か敬意に関して物足りなく感じても、断定は、正調だから、それだけで敬意を払っているのと同じなんだよ。つまり、敬意の底に在る感情は、語調のような、相対的なことだけで決まるとは限らないんだ。正しさも、コミュケーションとしては、似たような働きをするものなんだよ。ただし、説得的な内容を伴っていないと、ダメだよ。その努力が大事。
正しい内容を伴って断定してゆく、それも敬意の伴うことなんだ。そのときに、語調で、敬意を足そうとしなくてよい、それは無礼なんだよ。
反対に、「話しかける」ときの丁寧さを主たる文章に据えるとするならば、それに統一しないと、態度のころころと変えることになるから、また無礼だ。
そういうことだな。
文体に関しては、必要に応じて、書き分けるほかない。それも練習だよね。
そんなもんだと開き直って。先生も若いと厳しいんだけれどね。それは偏見か。