なるほど。興味が出た。
books.j-cast.com

傑作らしい。

もっぱら受動的なようでいて、状況を動かしてゆく存在って、古いモチーフだと思ったけれど。

思い出せない。

相当運びが上手いらしい。

こちらは、食えずに死ぬ犬の話。

 

釣りバカ日誌』の浜ちゃんか。
なんかちょっと違う。


私の読書量だと、感想すらない。

どうしたものか、と思ったら、インタビューをいくつか受けていた。
本谷有希子『ぬるい毒』『静かに、ねぇ、静かに』を挙げていた。

そういうことか。なかなか如才ない人のようだ。

 

bunshun.jp

 

内容の評価はできないから、

第167回芥川賞受賞作。

「二谷さん、わたしと一緒に、芦川さんにいじわるしませんか」
心をざわつかせる、仕事+食べもの+恋愛小説。

職場でそこそこうまくやっている二谷と、皆が守りたくなる存在で料理上手な芦川と、仕事ができてがんばり屋の押尾。
ままならない人間関係を、食べものを通して描く傑作。

 

これって、「ケア」の話だったんだ。読もうかな。

 

「文学作品の読解過程における基礎的研究」 ~テクストを形成する能動的読み~  
大阪教育大学大学院 修士課程 国語教育専攻 国語学専修 学籍番号 959202 北尾友美

読み方を考えねばならんか。
基本的に、小説を書ける人は「すごい」と思っている。流行語だと「レベチ」だと思ってる。それを脇に置いて一読者として、読みたいように読むと。

そんな想像は捨て去って「行くぞ」と言える、支店長のああいうところはすごいと二谷はまっすぐに感心してしまう。

『おいしいごはんが食べられますように』本文3ページ目

なるほど。

 

   そんな想像捨て去って「行くぞ」と言える、支店長のそういうところはすごい
   と二谷はまっすぐに感心してしまう。

 

じゃないんだね。
これは二谷の性格描写になっていると思うけれど、支店長との間の心理的距離と、対人に関して二谷自身の感じ方を説明しているようだ。
すなわち、支店長の主体性が消えて「想像は」となっていて、彼のエゴを示しているけれど、それが「まっすぐ」と表現されている。「まっすぐ」というのは、所謂行間を置かない、つまりは、自己中心的なタイプのようだ。

それが食事にも現れているのが、この小説の肝のようだ。それでいて、食事は、それぞれの「戦術」として配置されているらしい。そういった意味では、漫画っぽいとも思った。

二谷は曖昧に、と自分では思っている速度で頷き返すが、藤さんからするとそれは首を縦に振っている同意の仕草であって、曖昧に濁した感じは伝わっていない

それはそうだろう。「頷く」とはそういう意味だ。単純に作者のミスだろう。
頭を揺らしたのだろう。二谷の主体性を出したいところである。

その後、藤さんが、芦川さんのペットボトルに口を付けることで、芦川さんが性的消費の対象であることを伺わせる。二谷は、直ちにそれを受け入れられないが、なんとなく察する。芦川さんは単に支店長に食事を無理強いされるだけでなく、こういう対象だったのだ。要は「女」の記号である。

そして、案の定、芦川さんは、記号化された女性性を示してゆくことになるらしいが、そこまでは読めない。