15分ほど川を上り、この辺の土手にカヌーを留め、2人は(ヴィトゲンシュタインの提案で)生垣や有刺鉄線を越えて道なき道を進み、Trumpington Hall 辺りに着きますが、もう夜です
— 諸隈元シュタイン (@moroQma) August 3, 2022
でも帰ろうとしないヴィトにリーヴィスは言います
「もう11時頃だぞ」
「僕は普段もっと遅く出歩くよ」
「せやな」イラッ pic.twitter.com/gaVgVkkgRp
ヴィトゲンシュタインは「言語としての正しさ」に所属していたのであって、ボートやは「貧乏」に所属していたのではない、と言いたいと思うだろうと思う。
「ボート屋」で名辞されているところの「正しさ」に、「営業時間」は明示されていない(したがって、営業時間に制限されてはならない)。チップも明示されていない(したがって、表示対価に制限されなければならない)。
「もう11時頃だぞ」は誰の制約として向けられるべきか。
「語りえぬものについては沈黙しなければならない」とは、彼自身のことだったのかもしれない。
そういう(暗に自分を語る)作家は居る。ルイス・キャロルである。
ヴィトゲンシュタインはそのころ自覚していなかっただろうが。
そういった意味で、彼が、社会経験を経て、新しい著作をものにしたことは、興味深い。