ヴィトゲンシュタインは「言語としての正しさ」に所属していたのであって、ボートやは「貧乏」に所属していたのではない、と言いたいと思うだろうと思う。

「ボート屋」で名辞されているところの「正しさ」に、「営業時間」は明示されていない(したがって、営業時間に制限されてはならない)。チップも明示されていない(したがって、表示対価に制限されなければならない)。

「もう11時頃だぞ」は誰の制約として向けられるべきか。

「語りえぬものについては沈黙しなければならない」とは、彼自身のことだったのかもしれない。
そういう(暗に自分を語る)作家は居る。ルイス・キャロルである。
ヴィトゲンシュタインはそのころ自覚していなかっただろうが。
そういった意味で、彼が、社会経験を経て、新しい著作をものにしたことは、興味深い。