ohnukitoshio.com

ohnukitoshio.com

中世への誤解はそのまま反転して、近世乃至近代への誤解に通じていて、

デカルト座標の素。光学と関わりながら13世紀の北ドイツで隆盛を誇った立体図形を描く技術から(それ自体はそれ以上の発展性を持たない、或る意味でただの「無駄」だったので、ほかの地域では早々に飽きちゃったのだが、なぜか北ドイツでだけやたら流行したらしい。)、透視図を描く技術が建築方面で発展したと考えられる。
デカルト座標は「実学」だったのだ。
ルネサンスは多方面で独自の様相を持って展開されていたのだ。

kaigablog.com

kaigablog.com

あれ?

ホーラー - Wikipedia

最後に、メロスに赤いマントをかけるのは、「ホーラー」役だったのか。

走れメロスのラストシーンに少女がメロスに緋色のマントを渡す場面がありますが... - Yahoo!知恵袋

勝手に解釈すれば、もともとこの話は、太宰が借金を踏み倒したときの言い訳がネタで(自分が居残って「人質」になればいいのに、なぜか逃げられる方を選んで「信じないお前が悪い」と責任転嫁するのが、まごうことなきクズ属性である。どうせ、返せなかったら返せないで、言い訳を弄するのが関の山である。たまたま返したようであるが返してなかった、これは「友情」の根底の「美(學)」であるから、現実的なことをやかましくいうなという恫喝である。太宰は真正の屑である。

【太宰治とんでもエピソード】「熱海事件」とは?『走れメロス』のきっかけの実話 - ブックオフオンラインコラム

走れメロス』を知るには、「熱海事件」と3種類の「フィリア」を知っていると、なるほどと腑に落ちやすい。原話があるとはいえ、なんで、こんな荒唐無稽な話なのか。

フィリア - Wikipedia

美学について〜美学の定義・歴史・学ぶ方法をわかりやすく〜 | オンライン図書館(哲学・文学・文化人類学)

太宰治と志賀直哉の確執についてです。両者はなぜ対立したのです... - Yahoo!知恵袋

「友情」と「美学」の抜きさしならない〈鏡〉の関係。

志賀と太宰の確執の根底は、ギリシア倫理学の、受容の違いである。
走れメロス』の対極にあるのが『小僧の神様』である。
芥川龍之介の「赤」(『羅生門』)、志賀直哉の「赤」(『小僧の神様』)、太宰治の「赤」(『走れメロス』)。

今のは、たしかに、本当の魚に違ひない。

岡本かの子『鮨』)

鮨の記号学/志賀直哉「小僧の神様」・岡本かの子「鮨」 : 食通小説の世界 (三) | CiNii Research.P172