夏目漱石とカントのギリシャ哲学

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面白かった。

「非人情」な何かを考えたときに、自分などは自然主義を考えてしまうが、そうではない、ということ。

しかし、(学究の性質上当たり前で、不当な方法を取ったわけではないが)漱石にフォーカスが当たり過ぎて、素人には少しわかりにくいと思った。

明治36年1903年)に『草枕』が発表された後、明治39年1906年)に『ふらんす物語』が発表されるのだ。

芸術のための芸術 - Wikipedia

ということがあって、今なら小説内小説という技法は珍しくないが、いわば、エッセイ内小説、或いは、芸術論内で小説も動かしているような小説である。
これが珍しいかと謂うと、

別に珍しくはない。

読んではいないが、大江はどうだろうか。

夏目漱石 草枕

でキーワードを探そうとすると、やはり、風呂場のシーンとラストである。
それが、

気韻生動(きいんせいどう)の意味・使い方 - 四字熟語一覧 - goo辞書

「気韻」であるが、

suzumodern.exblog.jp

こういう人が居て、

大正11年・1922年, 芸術創作の心理 - 国立国会図書館デジタルコレクション

こういうことを言っている。永井荷風

永井荷風 - Wikipedia

漱石と交流を持っていた。

漱石の友人で『吾輩は猫である』に登場する美学者・迷亭のモデルとも言われる。

大塚保治 (美学者) - Wikipedia

大塚保治はハルトマンを講義したらしい。

ニコライ・ハルトマン - Wikipedia

草枕』は実はものすごく簡単だと思っていて、主題は、「あわい(間)」もしくは「幽玄」である。

 

日本の伝統芸能である「能」で用いられる「面(おもて)」は、古くから「能面のような」という言葉で知られるように「無表情」の代名詞とされている。

名大と東大、「能面」が多様な表情に見えるのは「情動キメラ」が理由と解明 | TECH+(テックプラス)

そうすると、志賀直哉の『城の崎にて』と対比できる話なのだと気づく。
ところが、問題は、一読して「そうは読めない」ということなのだ(☟)。

『オセロ』と或いは似たようなことで、背景がよくわからない。
もっとはっきり言えば、「新カント派」がよくわからないのだと思う。

漱石による『文芸の哲学的基礎』ではこう説明されているという(『草枕』のあらすじ・解説!漱石が目指した「非人情」の文学とは何か?

『明治四十年(引用者註:1907年)四月東京美術学校において述』(夏目漱石 文芸の哲学的基礎)『草枕』が明治39年1906年)9月であるから、その次の年である。

実は、同年1月に、友人の美学者大塚がこのような論考を載せている。
「知」「情」「意」には、或いは、規範学をなす論理学、美学、倫理学が相当しそうである。

明治37年1月・1907年,大塚保治,規範学とは何ぞや,教育者の修養 - 国立国会図書館デジタルコレクション

カントを「大失敗」と断言している。
実証的な説明から始まり、規範学から分かれる記述(説明)学を説くに至る。

そうして考えると、漱石もカント批判をして、情から非人情を措定して記述的に書こうとして、それが矛盾を生んだのだが、その矛盾は大塚P.46で取り上げられる「矛盾」と同じではないかと思う。それは無駄なことではなく、矛盾を取り上げることで同定に意味をもたらすようなことである。
美術とはドゥいふ者かと云ふ一定の成見を立てて議論して居る、故に記述學も其實は一種の規範學である、只表面上躰裁上規範を立てて居らぬばかりである、是は甚だしい矛盾であるといつて攻擊して居る、けれどもさういう些末な點を捉へて彼是言ふはよくよく大躰に通ぜぬ論者である

こういう話ができるのも、カントが「近代」を始めたからで、要は、主体から主語を分離して、そうして述語の意義を想定したからである。
いましている話もすべて述語の話である。

こうして、デカルトが主体間(物:造物と被造物)の大きさを比べたことを指して、「存在論的論証」と批判したのだが、デカルト自身はそう考えられる以前の人であることは言うまでもない。
この「物」感をルイス・キャロルことチャールズ・ドジソンも共有していそうである。


 

ジュール=アンリ・ポアンカレ(Jules-Henri Poincaré、フランス語: [ɑ̃ʁi pwɛ̃kaʁe] ( 音声ファイル)、1854年4月29日 - 1912年7月17日)
大塚 保治(おおつか やすじ、1869年2月1日(明治元年12月20日) - 1931年(昭和6年)3月2日)
夏目 漱石(なつめ そうせき、1867年2月9日〈慶応3年1月5日〉 - 1916年〈大正5年〉12月9日)

 

カントを考えるにあたって、あらためて読もうと思って買ってきた。

ただ、アンリ・ポアンカレの方がはっきりと言っていた。

ちなみに、どちらも女性が翻訳をしている。

P.73
『したがって,幾何学の公理は先験的総合事実でもなければ,実験的事実でもない。
それらは,規約である.すべての可能な規約の中からわたしたちが選択したものである.その事実は実験事実に導かれてはいるが,つねに自由であり,あらゆる矛盾を避ける必要以外にこれを制限するものはない.』
そうして『幾何学の公理は(算術の公理は問題にしていない)定義が変装したものである』という。

ポアンカレは説明がうまい。

【備忘録】☞検討

  1. アリス文との比較
  2. 矛盾の説明(矛盾とは、因数分解ゲーデル数化して具体化したような話でー負数~虚数イデアル~・・・、分岐構造の仮定を排除できないこと。if仮定条件文の問題)
    科学者に「虚数は見えるか」と聞くと「見える」と云う。それは実数との分岐構造を踏まえてのことで、それを具体化できるという話だろうと思う。
    これを反対から言うと、「実数が見える、ならば、虚数も見える」と言っているに過ぎない。我々が聞きたいのはそういうことではない。「虚数が見えるか」とは、この文で云う、「実数が見える」をX化して「Xならば、Y」のとき、虚数が見える(、ならば、Y)」かと聞いているのに等しい。
    それは実は、具体的に言えば、「イデアルが見えるか」(虚数見える、ならば、イデアルが見える)と比較したうえで、「そうすることで何かが損なわれていないのか」ということである。
    例えば、2階述語論理が1階述語論理にある「  性」を持っていないとは、具体的にどういうことなのか、を多階述語論理との比較で考える様に似ている。次々に内部構造を「暴く」とはそういうことである
  3. 実験事実ではないが、そのような分岐構造を以て内部化できる機序の具体的事実を経験することはできる。これは矛盾を用いる(if文で仮想する)ので、先験的統合事実ではない
  4. ポアンカレは、以上を、(ヴェン図に量化要素を組み入れて相互参照可能にしたアリス文のように)三段論法を参照することで(アリス)文化できている。
  5. 「そうは読めない」とはこういうことで、「読める」とは単に国語文法乃至「読解力」のことではなく、このような「数問答」(「虚数は見えるか」)のことであると思う。単に論理構造のことでもなく、それを持った文構造を説明する際の経験事実から暴かれることであるだろうと思う。
    漱石が新カント派に属するとは、具体的にどのような経験を持ったのかであり、それが「カント批判」で現れる時(カントを批判するからと言って、漱石が新カント派に属していないわけではない※。或る矛盾するからと言って数が存在しない乃至その仮定が数構造から排除されるわけではない内部化の様子のことである。)、
    ※このとき、例えば、西田幾多郎らの仏教研究は「新カント派」の系譜に連なるのか、ということである。そうでないとも言えるし、そうとも言える。つまり、内部化されているので、新カント派の「流れ」に属するとは言える。
  6. ごく大雑把に言うと、カントは、アリストテレスのように、矛盾を「論理」から排除してしまって「倫理」に分別したが、「矛盾」は(if文を通じて)論理的に使えるということであり、その分、新プラトン主義に近づいている、ということである(したがって、フォン・ノイマンの『作用素環の数理』の巻頭に掲載されている有名なエッセイ『数学者』が、カントを名指ししてこそいないが、カント批判であるとはことのことである。それは、カントが「近代」に登場して以降の、演繹に関する「カント・プログラム」への批判でもある※)。
    ※カントは、ともすれば誤解されているかもしれない点であるが、デカルトで云うなら、曲線論を欠いて、『方法序説』しかものにしていないのであって、本論を欠くのであるから、本来、信頼に値しない哲学者であったはずである。
  7. こうして、なぜ(カント派ではなく)新カント派なのか、を問える、ということである。
  8. そういった意味で、漱石とは、悪く言えばい「いっちょ噛み」な人物であるが、よく言えば、経緯的な文学観を以て文学を企図した人物であり、そのような具体化することが小説であると喝破した人物であると思う。

以上は、かねてからの主張である、「夏目漱石は同時代のアルフレッド・ノース・ホワイトになり損ねた人物」説の説明でもある。

実際彼の「イデア」にあたる「永遠的客体」(eternal object)はむしろアリストテレスの「内在形相」に類するものであり、彼にとっての真なる実在「現実的存在」(actual entity)はアリストテレス的な「個物としての実体」にあたり、その限りではむしろ彼はアリストテリアンと称すべきであろう。

アルフレッド・ノース・ホワイトヘッド - Wikipedia

ケンブリッジ・プラトン学派 - Wikipedia