「写」

Project Gutenberg’s An Investigation of the Laws of Thought, by George Boole
PP.164-166のジョージ・ブールによる、スピノザの解説を読むにあたって。

カントの存在論的証明批判, 長田 蔵人

2019年12月 カントの存在論的証明批判 日本カント研究 | researchmap

この長田という先生は、さしづめ、現在の「京都学派」だろうか。知らない。
カントを長年研究されているようだ。


バールーフ・デ・スピノザ  1632年11月24日 - 1677年02月21日

イマヌエル・カント     1724年04月22日 - 1804年02月12日
ジョージ・ブール      1815年11月02日 - 1864年12月08日

 

ここでは、ブールが、スピノザに言及するにあっては、間にカントが居ることを踏まえるべき、という立場で読解に努めるものとする。

それは以下のことに特に留意することを意味する。

  1. カントは、ガザーリーによる、神学(者)による哲学(者)批判を逆転させた
  2. 数学における、カント・プログラム

1は、表面上はデカルトに対する「存在論的証明」への批判である。
カントの哲学の有名な形容に「カント以前の哲学はすべてカントに流れ込み、カント以後の哲学はカントから流れ出る」といったものがある。不思議な言葉だと首を傾げていたのだが、要は、イスラム神学のことを指すレトリックだったようだ。
2は、そうして主体から述語を分離したのちの、フレーゲラッセル、カント―ル、ゲーデルら数理論理学者たちからの、実質的なカントへの批判である。
要は、ブールは、カント・プログラムの遂行者であるとの仮定に立つ。
この4人にペアノらを加えても、ラッセルが目立つ。ブールとラッセルは、ウェールズイングランドという出生に関する違いはあるが、ともにケンブリッジで教えている。ヴィトゲンシュタインはオックスフォードに招かれたが、ルイス・キャロルことチャールズ・ドジソンもまた、オックスフォードで教えている。後に、ハーバート・ハートらオックスフォードの「ヴィトゲンシュタイン派」とも呼ぶべき日常言語学派は、ケンブリッジ形式論理学派と肩を並べることとなった。

チャールズ・ラトウィッジ・ドジソン      
              1832年01月27日 - 1898年01月14日
第3代ラッセル伯爵、バートランド・アーサー・ウィリアム・ラッセル              
              1872年05月18日 - 1970年02月02日


デカルトの所謂「コギト」を論理の方程式で表すと、以下の単純なものである。

  1. S=t [実在]
  2. S=e [実在]
  3. t=e [明証]

1と2から3が当然に謂えることを示したものである。デカルトの「明証」とは、思考が外形を伴う(外形を伴って明白である)ことを言っている(「思考」と「存在」の実在性 reality の等しさ)。
なお、このとき、(特にパスカル、すなわち、新プラトン的な考え方との比較において)”t”すなわち思考が、所与ですでに完全であることが特徴であるが、これは、主体の基本的性格から当然のこととしてある。

デカルトの方程式は至極単純なのであるが、単純な割に、或るいは単純であるがゆえに、よくわからない。理由は単純かつ明白で、「思考」も「存在」も、ともに実在であるがゆえに、等式が成り立つのだが、「存在」と「実在」の区別がわからないからだ。
なぜ、わからないかというと、主体である「存在」を、主体性である「実在」と、ともに対象化するがゆえに、混同してしまうからだ。
そもそも「私」が主体なのは、直感的に、わかる。
「思考」や「存在」が主体とはどういうことなのか。これは、論理的な意味において、「述語」なき世界、ということだろうと思う

これを、ブールによるスピノザ解説から考えてみたい。

Substance is prior in nature to its affections,”

the proof of which consists in a mere reference to Defs. 3 and 5, there seems to be an assumption of the following axiom, viz.,

“That by which a thing is conceived is prior in nature to the thing conceived.”

PP.164-166,Project Gutenberg’s An Investigation of the Laws of Thought, by George Boole

「~へ(ad-)何らかの行動を起こす(facio)こと(-io)」がこの単語のコアの語源。 」(affection 意味と語源|語源英和辞典 英単語のコアの語源が理解できる辞書

英検対策講座【2級】大問1: 短文の語句空所補充問題

※三上文法の「象は鼻が長い」も「主体」と「主語」の混同に過ぎない。主体{述語(主語)}なのだ。〈は〉〈が〉はコピュラなのであるが、標準的な説明だと、「コピュラ」は「である」を指すこととなっているが、それは論理的には不思議な話である。なぜなら、藁谷の言う問題があるからだ。「コピュラは属性=述語なのか」。
この文は、アリス文と比較され得る。

  ∃x[∀y[Girl( y )↔( y = x )]⋀ Funny( x )

或る個体が在る[すべての個体について[Girlという特質を持つとき、Girlという特質を持つ個体がその或る個体であると必ず同定でき]かつ、その或る個体はFunnyという特質を持つ]
これを「その女の子は面白い。」という。

なかなかわかりづらいが、理解の出発点を、すでに内部化された命題論理に置くとよいかもしれない。

Girl is Funny と謂うとき、G=F(G:Girl,F:Funny)が「矛盾を生じる」と考えると、G≠Fが同時に成り立つことである。
これを、S⋀¬S=(G⋀F)∧¬(G⋀F)と考えられるとする。
このとき、U(宇宙)の内部で、Sと¬Sをそれぞれに割り当てられるはずのところ、同定して成り立っているとみなすとき、それを「矛盾」と呼ぶ。
これが”=”と”⋀”のニュアンスの違いであるはずで、”=”は”∨”を背景に追い遣っていることがわかる。すなわち、S∨¬Sは、「矛盾」ではない。
その背景を呼び出すことを「条件化」と呼ぶならば、「条件化」に際して、各々の数え上げられる対象に関して、逐一評価を付す(割り当てる)ことができるとき、「条件化」を主語化、「各々(数え上げること)」を量化、「逐一(評価を付すこと)」を述語化と呼ぶ。

Girl is Funny を Girl() is Funny() と言い換え、主語と述語の順序性から存在を再帰的に同定できる、、、(ここで、主語は述語の形容であるが、主語に着眼して述べている〈私〉たる判断主体が明示的な説明文上の「宇宙」として背景化されている)。

これを操作から言うと「写す」となり、「写される」集まりを「主語」、「写す」ことで「主語」が説明されることを「述語」と言うが、「写す」こと自体は「述語」のことなので、「主語」が「述語」の(操作に関する)説明の(被操作の)対象となるとき、その(被るところの、順序性ゆえの)帰属が問題となる。それが「自由」と「従属」の別である。

※「写」以上に抽象度が高い操作に「射」がある。「射」は「写」(具体的には、「+」「×」などの操作記号)をも対象化するようだ(反対に言うと、「写」はこれらの記号をそのまま対象とせずに、「関数」というひとつの数の内に含まれて対象とする。これが、方程式を駆使しつつも、デカルトの十分発見できなかった関数であって、デカルトは、これを実在化しない中途の状態と考え、本質的に重要であるが、それ自体の表現を持つことではないと考えたようだ)。

Girlの内(Girl())に個々の存在を認めて、各々に評価(Funny/not Funny)を付すことが、夫々の評価(Funny()/not Funny())へ写す操作で行われるとき、その一方にある特定の評価(Funny)が付される或る存在に着目して(その存在についてだけ、Girl ⋀、として)言及できる(すなわち、同定できる)。

という機序を持つのが論理であるようだ。

反対から言うと、「主語」は「背景」に含まれることを指示する。
この「背景」が主体である。
それでは、あくまで「仮初め」にであるが、ブール体系にある〈∨〉からキャロル図の〈2〉を戯れに導き出してみる。

  1. (G∨F)∧(G⋀F)について、「∨」に「×」を「⋀」に「+」を割り当てる
  2. (G∨F)∧¬(G⋀F)について、同様

L10|(G+F)×(G×F)              ;
L11|=G(GF)+F(GF)        ;
L12|=(GG)F+G(FF)        ;
L13|=GF+GF              ;場合分け(∨eli L11
L14|=GF                 
intにより、(G∨F)∧(G⋀F)→GF

L20|(G+F)׬(G×F)
L21|=(G+F)×(¬G+¬F)          ;
L22|=G(¬G+¬F)+F(¬G+¬F)  ;
L23|=G¬G+G¬F+F¬G+F¬F    ;⊥=0
L24|=0+G¬F+F¬G+0        ;1
L25|=1+1                ;
L26|=2                  ;

(あくまで戯れであるが)L13とL24の操作で違いが出てくるのではないかと思う。