カントによる幾何学の扱い
- カント・プログラム
- ヒルベルト・プログラム
カントからゲーデル以降に至る論理学の流れにおけるウィトゲンシュタインの位置
- 完全性定理
- 不完全性定理
ゲーデルのヒルベルト・プログラムへの貢献について
- 証明
- モデル
形式的操作と
- 陰伏的性格
- 超越的性格
- 超越論的性格
カントールの神学的性格について
- 矛盾
- 無限
「無矛盾性」の意味と「選択公理」に関して
スマリヤンに関して
つまり、Wikipediaを私のような素人が理解しようとしたら、追加の語彙が必要だろうと思った次第である(体系の語彙ではなく、周辺や経緯の説明から入った方がわかりやすい)。
そのうえで、哲学者に「誤解される不完全性定理」に関して言えば、
- 俗説的
- 俗論的
- 真論的
が
- 超越論的
- 様相論理的
- 直観主義論理的
ならば、
- ウィトゲンシュタイン(に沿った理解)
- スマリヤン
- ゲーデル
そのうえで、ゲンツェンの「有限主義の拡張」に関して、倉田令次朗は、直観主義論理を定式化したものであると説明している(P36,『数学の天才と悪魔たち』)。
なお、ここで「俗説」とは、巷の説明で正しくないもの、「俗論」とは俗的な視野で説明した正当なもので、(異論はあるらしいが)古典論理を拡張した様相論理を使ったことを評価して(直観主義論理は古典論理の前提である排中律を矛盾に置き換えることに意義があるので、代替的な別体系として理解される☞戸田山)。
鳥が鳥であることの本質は「飛ぶこと」ですが、べつに鳥が飛ぶからといって、形而上界まで飛んでゆけるわけではないですね。人間が人間であることの本質が「言語」だとして、それがつまり何であるかということは、変わらず謎のままです。 https://t.co/c5McVfT90K
— 谷口一平 A.k.a.hani-an (@Taroupho) February 2, 2024
ゲーデルの不完全性定理が、俗説の誤解と異なり、何かしら数学の可能性を広げたなら、具体的に何ができるか。私の想像では、
- 直観主義論理で四色定理が解ける
(排中律の代わりに)矛盾の導入により、(内部に)生成する無限を選択的にカットすることで、局所的に解ける。これは、ブラウワーが直観主義を以て幾何学にもたらしたことで在り、「層」で考えることに等しいと思う。 - 直観主義論理でヒルベルトの第12問題が解ける
ゲーデルが謂った「実際に、スコーレム論文から完全性定理を導くためには、「非有限主義的な方法」が必要とされるが、論理主義と形式主義の流れの中にいた論理学者には、この方法が見えなかったのである。」(P.148,『ノイマン・ゲーデル・チューリング』,高橋昌一郎)ことに(反対に)高木貞治の「完全」な成功をなぞらえて、今度は、不完全性定理で、無矛盾な別の体系から具体性を導出できないか?ということである。
あと、倉田は、ヒルベルトの形式主義的公理主義の有限的性格に触れて、「1890年代にはじまるヨーロッパにおける知的再生、すなわち歴史主義と実証主義から解放されて人間精神固有の領域へと向うあの運動」(P.23,『数学の天才と悪魔たち ノイマン・ゲーデル・ヴェイユ』,倉田令次朗)の中に、一般相対性理論に数学的基礎を提供した非ユークリッド幾何学の成立も入れて欲しかった。