About Shoichiro Takahashi                同様に、ゲーデルか、「ゲーデル」(スマリヤンデル)なのか?

このツイートを谷口がリツートしていたが、

そもそも「議論」とは簡単にできることではない。

谷口がしているのはサロンの会話で会って、議論ではない。

理由はシンプルで、彼には大学教育が欠けているからだ。

単純に言って、谷口は、「人格的結合」の段階を抜けられていない。

要は、谷口は、「高卒人材」に近い。そのせいだろうか。わからないが、永井に依拠する。はっきり言って、意味がない。永井を通して学識に通じなければ意味がないからだ。

査読者に対して、「キルケゴールを理解していない」などは、素人の戯言であって、むしろ彼に修士の資格を与えた方が問題と成る事案なのだ。

なぜなら、これは、技術問題だからだ。
査読者の指摘の本質は「議論」に関する「技術の欠如」の指摘である。
すなわち、谷口は、「相応しい議論」が出来ていないことを指摘されたのだ。

言い方を変えると、短答式の問題には答えているけれど、技術を習得していない—それ以前に理解していないために—応用問題を提出されたけれど、そもそもその意味がわからなかったに過ぎない。

フェミニスト」の指摘は「技術的に解け。それが議論だ」という指摘だったのだ。
その挑戦(異議申し立て)から逃げてどうする。
それは議論から逃げたに過ぎない。

「立論ができていない」ことを認めないと話(議論)にならないでしょう。
それは純粋に技術問題です。


ゲーデルゲーデルなのは、具体的には、完全性定理によってアリストテレス以来の古典的な論理学を技術的に完成したと言われ、これはまたヒルベルト・プログラムの肯定的な解決したのであるが(なお、先駆者にジャク・エルブランとテオドール・スコーレムが居て、実質、ゲーデルが「一番」かどうか疑義があるが、独立に、完成した証明を提出したのがゲーデルであるらしい。)、一方で、不完全性定理によってヒルベルト・プログラムを否定的に解決したからで、(古典論理の自明としてきた、排中律などの前提を技術的に問い直す)直観主義論理という新しい技術体系に依って、カント―ルの集合論神秘主義的性格を明らかにして(素朴な集合のもたらすパラドックスの発見によって、実数—或いは、連続体仮説—の無矛盾性が問われる事態になったところ、その証明の演繹性に対して否定的に)、斥けたからである(その後整備された、より厳密な、所謂ZF系、すなわち、ツェルメロ=フレンケルの集合論を以てしても、ゲーデルの業績は覆らない)。また一方で、ノイマンが主張するところでは、直観主義論理を採択している時点でラッセの依拠する論理主義(古典論理)を斥けているが、ヒルベルトの依拠した(公理主義を含む)形式主義を(少なくとも部分的に)斥けたからである。

ここで、「神秘主義」「直観主義」「論理主義」「形式主義」が出そろうが、これらはすべて技術問題である。そしてノイマンは、直観主義論理を絶賛しつつも、さらに、  高橋の言うところでは、「論理経験主義」を採る。
実際、24歳のゲーデルは3歳年長のノイマンを我を忘れるほど動転させたが、その後、56歳のゲーデルも29歳のポール・コーエン(が達成した選択公理の独立性と一般連続体仮説の独立性の証明)に嫉妬にも似た後悔の念を寄せる(ゲーデルは、選択公理一般連続体仮説の無矛盾性を証明してから、選択公理の独立性の方は—コーエンより先に、21年も前に—証明できていたが発表せず、一般連続体仮説の独立性はついに証明できなかった。コーエンに証明を躊躇することなく発表するよう強く促したのはゲーデルである)。より詳細には、クルト・ゲーデル - Wikipedia

それからも或る意味での「混迷」は続いて、様相主義(様相論理)が台頭することになるが、この技術の優れた使い手が、スマリヤンなのであって、直観主義論理主義者のゲーデルは、スマリヤンによって(様相論理の技術で整理し直され)「ゲーデル」となったようだ。それは、かつて、デカルトがアンセルムスを「アンセルムス」とし、カントがデカルトを「デカルト」としたような、西欧に伝統的な技術継承の仕方であると言える。

控えめに言っても正しい理解ではないのだが、そこはいったん大目に見ていただいて、そうすると、つまり、詳細な説明に見られる綺麗な語彙(概念)を使うと、私のような素人にはかえってその意義が霞んでしまうのであるが、

  1. 直観主義(論理)の意義
  2. 直観主義(論理)を必要とした背景
  3. 直観主義(論理)の限界乃至展望(直観主義論理と様相論理との関係)

が問われていると思う。

このたびの「フェミニズム」と「ゼロ内包」の対立から言えば、

  1. 神秘主義(論理)の意義
  2. 神秘主義(論理)を必要とした背景
  3. 神秘主義(論理)の限界乃至展望(神秘主義直観主義の関係)

が問われてると思う。

神秘主義」は、ラッセルが、弟子を激怒させた言葉である。

 ウィトゲンシュタインの草稿がもっとも目ざましい開花を見せたのは、彼の学問上のふるさとケンブリッジにおいてである。それはオスワルト版の翌22年、『論理哲学論』Tractatus Logico-Philosophicus というタイトルで独英対訳本として出版された。ムーアの勧告によるといわれるこのタイトルは、おそらくスピノザの『神学政治論』Tractatus theologico politicus にならったのであろう。基礎的な命題から、十進法で次々と派生的命題を導出してゆく本書の方法は、幾何学的な方法で進んでいく『エティカ』の方法に似ていないこともない。さらに論理主義と神秘主義の共存交流という点に関するかぎり、両者は通ずるところがある。

(P.42,『論理哲学論』草稿,ウィトゲンシュタインの生涯,三人の科学哲学者,『ラッセル/ウィトゲンシュタインホワイトヘッド』)

ラッセルの進めた出版企画に対して)ところが意外にもウィトゲンシュタインはこれを強く拒否する。その中で自分の思想がラッセルの「論理的原子論」の方向に歪められていることに、さらにはラッセルの「階型理論」に対する批判への反批判に、さらにはまた自分の思想に「神秘主義」を嗅ぎつけたラッセルの嗅覚などに、彼は憤慨したのであろうか。

(〃)

実は私は永井均の『ウィトゲンシュタイン入門』を持っている。

 

 

 

比較できるのが、もう一人の友人のアインシュタインで、アインシュタインは26歳の「奇跡の1年」で、光電効果、熱の分子論(熱統計力学)、特殊相対性理論を現したが、

要は、熱統計力学と非ユークリッド幾何学である。アインシュタイン一般相対性理論を打ち立てるにあたって、数学者にテンソルを教わったとのことであるが、数学の新しいアイデアが「予測」「確率」とともに、認知を大きく広げていた時代だったのだ。
その時代にあって、直観主義論理は、「神の論理」と呼ばれた古典論理を「排中律などを自明の前提としないことで」拡張した。

それらが、ノイマンにショックを与え、経験に関する独特の考えを抱かせたのではないかと思った次第である。