About Shoichiro Takahashi                同様に、ゲーデルか、「ゲーデル」(スマリヤンデル)なのか?                  対応を巡るmappings(写)とmorphisms(射)の違い

 

セクシースヌーピー
★☆☆☆☆ 本当に「入門」なのか?タイトルが内容と一致していない気がします
2015年10月18日に日本でレビュー済み
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はじめのうちは興味深く読むことができました。が、60ページくらいからいきなり難しくなり、 筆者が何を言っているのか全然わからなくなります。以下、一部抜粋

命題は像である。像を構成する諸要素は、それによって写像されるものの持つ諸要素に対応する。だから、命題を構成する諸要素も、命題によって写像されるものの持つ諸要素に対応することになる。命題は対象の名前である名辞から成り立っており、命題における名辞の配列の仕方は事態における対象の配列の仕方に対応する。つまり、世界の構成要素と言語の構成要素とは対応しているのであって・・・

うーん、全然わかりません。つまりどういうことなのか、身近な具体例を持って人に説明しろと言われても理解できていないのでできません。 これで「入門」というタイトルをつけるのは適切ではないと思います。残念ながら途中で読むのをやめました。 18人のお客様がこれが役に立ったと考えています

このコメントに云々するつもりだった。

  1. 命題は像である。
    命題は(写像ではなく、それ自体は述語を持たない)像(想起する内容;imagery)である
  2. 像を構成する諸要素は、それによって写像されるものの持つ諸要素に対応する。
    述語(
    写像;mapping)の目的(対象;object)となる要素(element)を幾つか含む
  3. だから、命題を構成する諸要素も、命題によって写像されるものの持つ諸要素に対応することになる。
    命題(真偽の確定する文或いは記号列)は写像(mapping)の対象となる
  4. 命題は対象の名前である名辞から成り立っており、命題における名辞の配列の仕方は事態における対象の配列の仕方に対応する。
    像の諸要素には名前が付いており(概念を形成する内包を持っており)、それらは順序(乃至構成)を持
    つ(set the order)。像の外側にある世界の説明である「事態」(事実として成立していない説明のこと。説明が成立して事実となる。)の順序(乃至構成)に関して、「写」として対応(Correspondence:the pairing or matching of elements between sets)している
  5. つまり、世界の構成要素と言語の構成要素とは対応しているのであって
    (省略)

「反対」(所謂『論考』に対して、所謂『研究』)からになるが、一文にまとめると、物心二元論で意味・主観を実体化して説明されているので「わかりあう」らしい。

 1929年にケンブリッジに復帰し講義をもつ。以後、一世を風靡した『論考』の基本思想、とりわけ「事態と命題の(同型対応)」、「要素命題の真理函数としての複合命題」という思想は再検討され、「ザラザラした大地への復帰」が追及されていく。なかでも「世界」の一部として対象化しえぬとされる「主観」の問題、そして各主観が「言語」を介して了解しあうという問題が徹底的に問われてゆく。
 「語の意味とは語の使われ方なり」というテーゼで知られる本書は、そうした後半生の思索の跡を断片的に記した軌跡であり、第二部は死後公刊された。本書では従来の物心二元論(事態と命題、語〔表現〕と意味、心と身体の二元論)が徹底的に(現象学的・行動論的・言語行為論的に)精査され、それまでの意味・主観を神秘的に実体化した上で説明されていたところのわかりあうという現象は、「生活様式の一致」という観点から捉えなおされ、新たな超越論的反省の地平が切拓かれている。
(略)
大庭健)。

P.331,哲学研究(Philosophische Untersuchungen,1953;翻訳書・藤本隆志訳・大修館),その他の哲学・思想の古典名著,『世界の古典名著総解説』,1993,自由國民社

下線強調は引用者。

そもそもウィトゲンシュタインは、厳密に数学の概念操作ができていたか、相当、怪しい。

 デデキントは論理主義を標榜している.デデキントは,算術を最も普遍的な論理法則で説明可能な学問と見たようだから,たしかな論理主義者であるということになるだろう.その普遍的な論理法則というのは,デデキントにとっては,集合や対応(写像)の概念のごとく普通に使われてきた数学的推論のことを指していたと思われる.つまり数学者的な推論の厳密性・妥当性を組織的に解明するところまで考えていなかった.そのため,フレーゲから厳しく批判されている(拙著 [4],pp.123-125参照)

P.121,4.15デデキントと「数学の危機」,第4章デデキント自然数論,『フレーゲデデキント・ペアノを読む』,足立 恒雄

 フレーゲによる次の批判がデデキントの論理主義の問題を明確に指摘しているだろう。

 デデキント氏の著作は本書で行われているよりずっとわずかの紙数で算術の諸法則を一層はるかな高みにまで追及している。この簡潔さは言うまでもなく,多くのものが実際にはまったく証明されていないということによって達成されているのである。(中略)デデキント氏も,算術も論理学の一部であるという意見である。しかし彼の著作はこの意見を確証するためにはほとんど何も寄与していない。彼が使用している「体系(System)」とか「ある事物がある事物に属する」といった表現は,普通,論理学では用いられていないからである。(『算術の基本法則』,序言)
 「異なる事物 abc,・・・が何らかの理由で共通の観点のもとでは把握され,心の中で取りまとめられているということがしばしば起こる。そうしたとき,それらの事物は体系 S を形成するといわれる」(とデデキント氏は書いている)。ここではなるほど共通の観点ということのうちに,正解への予感が含まれている。けれども心の中の把握,取りまとめは,何ら客観的な標識ではない。だれの心の中においてなのかと私は問おう。・・・私の心のうちで取りまとめられるべきものは,疑いなく私の心のうちになければならない。では一体私の外にある事物は体系を形成していないのか。(『算術の基本法則』,結論)
 われわれが集合を考えるとか,事物の総数を求めるとかいう際に,われわれがどういうことをするかを精密に追求すれば,事物を関連させ,一つの事物を一つの事物に対応させ,または一つの事物を一つの事物によって写像するというような精神の能力の考察に導かれてくる。この能力がなければ一般にどんな思考も可能ではない。ただこれだけに,しかもまったく欠くことのできない基礎の上に数の科学全体が打ち立てられなければならないというのが私の意見である。(『数とは何か』,序文)

 この文章によって,デデキントの言う「論理」とは「集合」と「写像」の概念と(漠然とはしているがそれを操る「人間の持つ推論能力」のことだということがわかるのではないだろうか。
 デデキントの場合は,素朴集合論者(素朴還元主義者)であったが,その集合というのは大変素朴な事物の集まりといった程度のことであったから,原始命題への還元の必要性も感じておらず,集合が集まれば,集合をなすといったことは,和集合の存在を始め,すべての集合の集まりが集合をなすことまで,疑う必要を感じていなかったのであろう。

PP.123-124,4.3ペアノ(1858-1932),第4章現代数学における自然数概念の形成,『数とは何か そしてまた何であったか』,足立 恒雄

ウィトゲンシュタインが、ラッセルの提唱した「論理原子論」に納得していたかというと、自分のアイデアがそれに含まれることには、不満を感じていたようだ。

さきほどの理解で行くと、「像」が「それ自体は述語を持たない」とすると「順序を持つ」とはどういうことか、となる。

markovproperty.hatenadiary.com

ウィトゲンシュタインは述語論理を使っていない、ということに、注意が要る。

論理哲学論考 - Wikipedia

「イメージ」と「イメージリー」は関連していますが、その意味に微妙な違いがあります。

  1. イメージ:

    • 「イメージ」は通常、心によって作成されたり、写真、絵画、またはデジタルレンダリングなどの媒体を通じて捉えられたりする視覚的な表現や画像を指します。
    • それは心の中の絵、反映、または具体的または抽象的な何かの表現である可能性があります。
    • 一般的な意味で、イメージは見たり想像したりできる視覚的な印象です。
  2. イメージリー:

    • 「イメージリー」は、読者や聴衆のために心の中に絵や感覚的な経験を作り出すために鮮やかで描写豊かな言葉の使用を包括する広い意味の言葉です。
    • それは視覚的なものだけでなく、感覚、音、味、匂い、触感などの感覚的な経験を呼び起こすために言葉や言語を使用します。
    • イメージリーは文学、詩、および他の創作的な執筆形式で言語をより鮮やかにし、読者の感覚を引き込むためによく使用されます。

まとめると、「イメージ」は主に視覚的な表現や心の中の絵を指し、「イメージリー」は視覚を超えて言葉を使って感覚豊かな経験を作り出すための描写的な言語の使用を含みます。イメージはイメージリーの一部となり得ますが、イメージリーは言葉を通じて伝えられる広範な感覚要素を含んでいます。

 

論理学において、「インテンション(註内包)」という用語は、概念や用語を定義する固有で本質的な特性や品質を指します。これは、しばしば「エクステンション」と対比されます。インテンションとエクステンションは、ともに用語の意味を説明するために使用されます。

以下は、両方の用語の簡単な説明です。

  1. インテンション(註内包): これは概念を定義するための内部の内容や属性のセットを表します。用語の意味を構成する本質的な特性が含まれます。例えば、「三角形」のインテンションには、三辺、三角形、および内角の合計が180度であるという属性が含まれる可能性があります。

  2. エクステンション(註外延): これは、用語が適用されるすべての具体的なインスタンスやメンバーのセットを指します。例えば、「三角形」の場合、エクステンションには正三角形、二等辺三角形、不等辺三角形など、世界中の実際の三角形が含まれます。

要約すると、エクステンションは概念のインスタンスやメンバーを指し、インテンションは概念を定義する本質的な特性や特徴を捉えます。これらはともに論理学や哲学において重要な概念であり、用語や概念の意味と範囲を議論する際に特に重要です。

 

論理原子論と述語論理は、形式言語と論理的思考の発展に影響を与えてきた2つの異なる哲学的および論理的システムです。ここでは、それぞれについて簡単な概要を提供し、それらを比較します:

  1. 論理原子論:

    • 哲学的背景: 論理原子論は、20世紀初頭の哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインによって発展された哲学的な立場です。これは、複雑な命題を「原子的な事実」または「論理的原子」と呼ばれるより単純で還元できない要素に分析しようとします。
    • 基本的なアイデア: 論理原子論によれば、世界は原子的な事実から成り立っており、すべての命題はこれらの原子的な事実の組み合わせに分析できます。その目標は、世界に関する複雑な記述を単純で基本的な要素のセットに還元することです。
    • 言語: ウィトゲンシュタインは、これらの原子的な事実とそれらの組み合わせを表現するために、彼の『論理哲学論考』で簡単な言語を開発しました。この言語は現実の構造を反映するように設計されています。
  2. 述語論理:

    • 論理システム: 述語論理、またの名を一階論理、は数量子と変数を扱う数理論理の形式システムであり、哲学、言語学コンピュータサイエンス人工知能などで広く使用されています。
    • 基本的なアイデア: 述語論理では、命題は述語(関係または属性)と数量子(「すべて」や「存在する」など)を使用して構築されます。変数は対象を表し、述語は変数に適用されて意味のある命題を作成します。
    • 表現力: 論理原子論の単純な言語よりも述語論理は表現力が豊かであり、数量化や一般的な真理の表現を含む広範な論理的関係を表現することができます。

比較:

  • 還元主義 vs. 表現力: 論理原子論は複雑な命題を単純な原子的な事実に還元することを重視しています。それに対して述語論理は、より広範な論理的関係と数量化の表現を可能にするより表現力豊かな枠組みを提供しています。
  • 哲学的 vs. 形式論理: 論理原子論は現実と言語の性質に関する哲学的な考察とより密接に関連しています。それに対して述語論理は哲学的な意味を持ちながらも、主に哲学以外の様々な分野で使用される形式的な論理システムです。
  • 単純さ vs. 複雑さ: 論理原子論は言語と命題の表現において単純さを目指しています。それに対して述語論理はより複雑であり、様々な論理的構造を扱うことができます。

まとめると、論理原子論は複雑な命題を単純な原子的な事実に還元することを重視する哲学的立場であり、述語論理は論理的関係と数量化の表現においてより表現力豊かな形式的システムです。

 

論理原子論と生成文法は、それぞれ異なる領域、具体的には言語哲学言語学の中で、異なる理論的な枠組みです。これらの2つの概念を比較してみましょう:

  1. 論理原子論:

    • 領域: 論理原子論は主に哲学的な立場であり、特に20世紀初頭の哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインに関連しています。
    • 焦点: 複雑な命題を「原子的な事実」または「論理的原子」と呼ばれるより単純で還元できない要素に分析することを扱っています。その目標は、世界に関する記述を単純で基本的な要素のセットに還元することです。
    • 言語の側面: ウィトゲンシュタインは、これらの原子的な事実とその組み合わせを表現するために、彼の『論理哲学論考』で簡単な言語を開発しました。この言語は現実の構造を反映するように設計されています。
  2. 生成文法:

    • 領域: 生成文法は主に言語学の分野でNoam Chomskyによって開発された言語理論です。
    • 焦点: これは人間が自分たちの言語の構造について持っている暗黙の知識に関連しています。生成文法は、文の構造が一連の規則によって生成されると仮定し、話者が文法的な文を生成し理解する方法についての洞察を提供します。
    • 言語の側面: 論理原子論とは異なり、生成文法自然言語での文法的な文の生成に関する規則に焦点を当てています。これは表面的な言語表現を生み出す基本的な構造に関わっています。

比較:

  • 領域: 論理原子論は主に哲学の範疇に属し、特に言語哲学の一環ですが、生成文法言語学の理論です。
  • 目的: 論理原子論は複雑な命題を分析し、単純化することを重視しており、これは還元主義の側面があります。生成文法は人間が無限の文を生成し理解するのに必要な暗黙の知識を記述することを目指しています。
  • 言語の側面: 論理原子論は原子的な事実を表現するための言語の開発に関与します。生成文法自然言語での文法的な文の生成に関する基本的な規則に焦点を当てています。

まとめると、論理原子論は命題の分析に取り組む哲学的な立場であり、生成文法自然言語での文法的な文の生成を制御する規則に関わる言語学の理論です。これらは異なる学問分野に属し、異なる焦点を持っていますが、いずれも言語構造の研究に関与しています。

 

以下に論理原子論とモーフィズム(註射)を比較します:

  1. 論理原子論:

    • 領域: 論理原子論は哲学的な立場であり、特に20世紀初頭の哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインに関連しています。
    • 焦点: これは複雑な命題を「原子的な事実」または「論理的原子」と呼ばれるより単純で還元できない要素に分析することを含んでいます。その目標は、世界に関する記述を単純で基本的な要素のセットに還元することです。
  2. モーフィズム(圏論における):

    • 領域: 圏論の文脈でのモーフィズムは、圏内の対象間の関係を研究するために使用される数学的構造です。
    • 焦点: モーフィズムは、圏内の対象間の構造保存写像または変換を表します。これは圏論において基本的な概念であり、対象をつなぐ矢印として機能します。

比較:

  • 領域: 論理原子論は哲学に属し、一方でこの文脈ではモーフィズムは数学の圏論に属します。
  • 焦点: 論理原子論は命題の分析とそれを基本的な要素に還元することに焦点を当てています。対照的に、モーフィズムは数学的対象間の関係と変換に焦点を当てています。

まとめると、論理原子論は命題の分析に取り組む哲学的な立場であり、一方でモーフィズムは圏論の文脈で、対象間の関係や変換を表すために使用される数学的概念です。これらは異なる領域に属していますが、それぞれの分野で関係や構造の分析という共通点があります。

 

圏論の文脈における『別の対象への変換』と『特定の合成規則』の関係は、モーフィズム(註射)がどのように機能するかを理解する上で基本的です。詳細に解説します:

  1. カテゴリー内の別の対象への変換:

    • 圏論では、モーフィズムは対象間の関係や変換を表します。
    • 「カテゴリー内で別の対象に変換する」と言うとき、我々はモーフィズムがある対象(始域の対象)を別の対象(終域の対象)にどのように写像または変換するかを説明しています。
    • この変換はモーフィズムの作用によって表現され、始域の対象から終域の対象への要素や構造のマッピングや変換方法が指定されます。
  2. 合成規則:

    • 合成は、モーフィズムを組み合わせて新しいモーフィズムを作成する方法を説明する、圏論の基本的な概念です。
    • 二つのモーフィズム、たとえば f: A → B と g: B → C が与えられた場合、それらの合成(g ∘ f で表される)は、A から C への新しいモーフィズムを生み出します。
    • 合成 g ∘ f は、g を f の後に適用することで定義されます。つまり、f によって変換された要素や構造が、次に g によってさらに変換されます。
  3. 関連性:

    • 「カテゴリー内の別の対象への変換」と「特定の合成規則」の関係は、合成によってモーフィズムを結合し、より複雑な変換を作成する手段を提供していることです。
    • モーフィズムを合成することで、一つの変換の出力が別の変換の入力になるような変換の連鎖を表現できます。
    • 合成規則は、結果として得られる合成がカテゴリー内で適切かつ一貫していることを保証します。

まとめると、モーフィズムは変換を表す圏論において、特定の規則に従って合成されることによって、より複雑な変換をモデル化できるという事実に関係しています。これにより、より単純な変換を連鎖させて複雑な変換を表現することが可能となり、その規則はその合成がカテゴリー内で整合性があることを確認します。

 

 

www.nippyo.co.jp

『ベーシック圏論』のレビュー

目玉焼き
★★★★★ 第3章は読み飛ばしてもいいが…
2020年1月11日に日本でレビュー済み
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この本は議論を絞り,圏論の発想法として顕著なものを初学者に向けて説明したものです.
多くの人にとっては,圏は集合と同じくツールであり,研究対象そのものではないですから,「扱い方」を学ぶことが目的となります.その意味で,他の方のレビューにもあるように,この本は優れた誘導を行っていると言えるでしょう.

さて,圏論をツールとして用いるだけなら,第3章は必要ありませんが,他の方のレビューをみるに,少なからず読解力不足による誤解があるようです.
第3章に循環論法などありません.(少なくとも訳者の注釈によっても誘導されています.)
マクレーンがうるさく言っていたように,「数学の基礎づけ」を行う方法論として,圏の発明以後では,公理的集合論(例えばZFC)による方法と,圏による方法のどちらを採用しても現在の数学の形式化を行うのに充分すぎる表現力を持っているということを説明しているのです.
もう少し正確に言えば,標準的な圏論による数学の基礎付けの方法論は,メタ言語として「古典論理の一階述語論理」を,形式の構造を「一階述語論理言語と圏の公理(+圏の公理によって表現される集合の公理)+グロタンディーク宇宙」としていますが,公理的集合論による同程度の強さになる基礎づけの方法は,メタ言語は同じく「古典論理の一階述語論理」として,形式の構造を「一階述語論理言語とZFC(+ZFCによって表現される圏の公理)+到達不能基数公理」としているわけです.
どちらも現在の数学をその中で展開するのに十分すぎるほど強力な表現力を持っていて,前者・後者のいづれか一つを仮定すればもう一方は導けるわけです.だから,見かけの表現は異なるけれど,どちらを前提にしても構いませんよという意味になります.

公理的集合論を前提として圏論を構成することも当然にできるし,多くの圏論の本でやっているように,(集合論を仮定せずに)圏論から集合論の公理を表現して見せることもできるわけです. どちらを採用するとしても,集合と圏の両方が与えられたあとは,どちらも自由に用いればいいのです.