About Shoichiro Takahashi                同様に、ゲーデルか、「ゲーデル」(スマリヤンデル)なのか?

 

二冊届いた。

 本書は,いつは2年近く前に出版されているはずだったが,諸般の事情で大路に遅れてしまった.その最大の原因は役者の怠惰にあり,ここで関係者の皆様に深くお詫び申し上げたい.もっとも,この期間が与えられたおかげで,スマリヤン教授に直接疑問点を確認し,原著に対する書評なども参考にして,日本語版ではさまざまな修正・改良を加えることができた.特に参考になったのは,記号論理学会の原著に対する書評(Journal of Symbolic Logic:60,pp.1320-1324)である.記号論理学会では,この分野で最も信頼のおける学会であるばかりでなく,公平無私な書評を掲載することでも知られ,本書の評者であるモスクワ大学の Uspensky と Plisko も,その伝統に従って詳細にわたる批評を行っている.要約すると,本書は次の点で高く評価されている.

  1. 簡潔にまとめられている(議論に無駄がない).
  2. 想定された読者層が標準的である(要求される知識は第1階述語論理のみである).
  3. 形式化が一般的である(一定の条件をみたす体系に共通する定理が導かれる).
  4. 対象が具体的である(体系P.A.は現代論理学の標準的な研究対象であり,公理も単純化されている).
  5. 内容が豊富である(ゲーデルの第1不完全性定理とタルスキーの定理から,第2不完全性定理レーブの定理を経て,様相論理と証明可能論理まで含まれる).
  6. 構成がエレガントである(ゲーデル・パズルで始まり,ナイト・ネイブのパズルで幕を閉じる).

一方,Uspensky と Plisko が原著にしている問題点は,単純なミスプリント,文献・牽引の不備から,専門的な方法論にまで及んでいる.これにはスマリヤン数学基礎論上の立場や,定式化の方針に関わる指摘含まれるわけだが,原著の内容については,読者の判断を仰ぐほかない.原則的に,訳者としては,原著に忠実な翻訳を試みたつもりである.ただし,次の点については,原著に忠実な修正・改良を加えたことをお断りしておきたい。

PP.214-215,訳者あとがき,ゲーデル不完全性定理,レイモンド・スマリヤン
高橋昌一郎 訳

なお、下線強調は引用者。

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さぁ、いよいよ「眉唾」を指摘しなければならなくなったね。
谷口一平さん。

アロンゾ・チャーチのもとで学んだ数多くの傑出した論理学者の一人。

レイモンド・スマリヤン - Wikipedia

スマリヤンはこんな人。 この 、、 スマリヤンに直接疑問をぶつけたそうですよ。
ちなみに、高橋さんは、『ウェストミシガン大学数学科および哲学科卒業後,ミシガン大学大学院哲学研究科修了.東京大学研究生』という学歴及び研究歴を持っているらしい。博士号はないのかな?
ミシガン大学ってどんなもんなんかなぁって、無知極まりないもので、有名なところだしすごそうだなぁくらいにしかわからないけれど、

藤原正彦と須藤真樹は、非負整数 n に対して、次数 10n + 5 の形式では、一般には局所大域原理が成り立たないことを示した[9]。一方、ブライアン・バーチは、任意の正の奇数 d に対し、ある自然数 N(d) が存在して、 d 次の形式で N(d) 個以上の変数を持つものに対しては、局所大域原理が自明に成立するということを示した[10]

局所大域原理 - Wikipedia

この藤原さんって、エッセイをよく書いているあの藤原さんなんだけれど、

藤原正彦 - Wikipedia

ミシガン大学だったんだねぇ。だから、覚えてたんだな。藤原さんの書く数学者の伝記は好きだ。

藤原さんってちゃんと専門の業績も残してたんだね。

谷口 一平 (Ippei Taniguchi) - マイポータル - researchmap

谷口一平 - 哲学道場_PhilosophyDoJoProject

ゲーデル不完全性定理を説明しているけれど、、、。
おそらく、チューリングのアイデアを間に挟む方がよい。

停止性問題 - Wikipedia

チャーチ=チューリングのテーゼ - Wikipedia

私には論評できません。

集合論の中に残すべき部分からそうでない部分を切り離すためのアプリオリな動機は何か.あるいは矛盾のない原理は何か.明らかではありませんでした.主にラッセルとワイルによって着手され,ブローエルによって結論が下された有用性に関する綿密な研究によって,”一般妥当性”と”存在性”の概念を用いている,集合論を含むほとんどの現代数学の方法は,原理的に不都合であることが示されました.これらの好ましからざる特性から逃れた数学体系,すなわち”直観主義”はブローエルによって発展しました.

P.18,数学者,作用素環の数理,J・フォン・ノイマン(長田まりゑ 訳)

 10年間このプログラム(註:ヒルベルト・プログラム)を行う試みをした後,ゲーデルは注目すべき結果を得ました.この結果をここで明確に述べることは専門的すぎて,いくつかの条項と補足説明なしには絶対的な正確さで述べることはできません.要点のみを言えば,それは次のようなものでした.もし数学体系が無矛盾ならば,その事実をその体系内の手続きで証明することができない.ゲーデルは数学の厳密性の最も厳しい基準を満たしました.それは直観主義の基準です.

PP.19-20,同前

 ここで,問題の分析をするために第三の例を挙げましょう.ただしこの例は,数学と自然科学の関係というよりは,数学と哲学または認識論との関係に関するものです.それは,”絶対的”な数学の厳密性という概念そのものが不変でないことを衝撃的な形で物語っています.数学を構築する際,数学的な抽象性以外の何かが関与しているに違いないことが,厳密性という概念の変化によって明らかにされたのです.”基礎論”に関する論争を分析してみると,この余計な構成要素が経験的性質を持っているという結論を下さざるを得ないのですが,私はそのことを自分自身に納得させることができませんでした.少なくとも議論のいくつかの側面においては,そのような解釈を強く支持することはできますが,私はそれが完全に説得力を持っているとは考えていません.いま,明らかなことが二つあります.
 第一に,経験科学,あるいは,哲学,あるいは,その両方ともに関係がある非数学的な何かが,本質的に入り込みます.そして,もし哲学(あるいは,より明確にいうと認識論)が,経験と無関係に存在し得ると仮定しなければ,その非経験的な性質も成り立つことはないでしょう(この仮定は必要であるだけで,それ自体で十分なものではありません).第二に,”基礎論”における論争の最も良い解釈が何であるかに関わらず,以前の二つの例(幾何学微分積分学)のように,数学の起源は経験的なことにあると,実例によって強く支持されています.

PP.15-16,同前

 数学の本質には,非常に特徴的な二面性があります.その二面性を理解し,受け入れ,対象の考察の中に取り入れなければなりません.この二面性が数学の特徴ですから,事態を単純化したり,ユニタリアン2)的な見方をすれば数学の本質を毀損してしまうと私は信じています。

2) [訳註]unitarian:三位一体説を退けるキリスト教の一派

P.10,同前

長田まりゑさんは、理学博士(東京工業大学)の学位を持っている。

長田 まりゑ (Marie Choda) - マイポータル - researchmap

『数学者』の翻訳は高橋も行っている。

「数学の本質には、その意味で非常に特殊な二面性があるのです。この二面性を理解し、受け入れ、それと同化しなければ、数学について考えることはできないでしょう。この二面性こそが数学の表象なのです。この点を無理に単純化したり単一化してしまうと、本質を見落としかねません。」(PP.23-24)

なお、下線は引用者に依る。
どうなのだろう?

  1. 1は数である(L’UNITE EST NOMBRE)
  2. 数は不連続量では決してない(NOMBRE NEST POINT QUANTITE DISCONINUE)
  3. 点がそれ自体としては線ではなく線に付属するように,0はそれ自体としては数ではなく,数に付属する
  4. 0が〔数の〕真のそして自然な始原である(le 0 est vrai & naturelcommencement)
  5. 定義1 十分の一法は,10進法の考えに基づいて考案された,それを用いてどのような数でも書き表すことができる通常のアラビア数字を使用した算術の一種であり,実務で出会うどのような計算も,それによって,分数を用いることなく整数だけで遂行することができる.
  6. 定義2 前に置かれているすべての整数は始原⓪を有する.
  7. このやりかたをかぎりなく進めてゆくと,われわれは求める数にかぎりなく近づいてゆく(Et procedant ainsiinfiniment, l'on approche infiniment plus pres au requis)

(『小数と対数の発見』,山本義隆より.ページ数は順に、79,90,89,89-90,69,69,93)
なお、強調は原文(および、それを引用した本文)のママであり、下線は引用者に依る。
2人の翻訳はそれぞれ考えさせられて、甲乙つけがたい。「特殊」(高橋)よりは「特徴」(長田)ではないだろうか?「対象の考察」(長田)よりは「表象」(高橋)だろうし、「同化」(高橋)よりは「ユニタリアン的」(長田)だろう。「見落とす」(高橋)よりも「毀損する」(長田)だろうと思う。原文を見ていないので、なんとも言えないが、全体としては長田の訳の方が好感が持てるし、そもそも「作用素環の数理」の前に置いたその意義が素晴らしいと思う。それでも、「表象」と訳した高橋の理解とセンスは、これに劣らないと思う。

7は「はさみ込み法」(無限十進小数の収束)について言っているが、それについては以下の説明がつく。

ブルバギの『数学史』の言うように「ステヴィンはボルツァノの定理〔中間地の定理〕の明晰な概念を(おそらく初めて)つかんだ人であり,さらにこの定理が,数値方程式を系統的に解くための本質的な武器であることを承知していた人である.そしてそれと共に,そこには数の連続体に関する明晰直観像の生まれていることが認められる」のである.ブルバギによれば「それは非常に明晰で,この像を決定的に正確化するためになすべき事は,もうさほど残っていなかった程のものである」*32

*32 Bourbaki『数学史』下,p.20

P.93,4方程式論をめぐって,第3章数概念の転換,『小数と対数の発見』

下線強調下線強調は引用者。

これを読むと、ブルバギは手放しでステヴィンを褒めたたえたようだがそんなことはなく(前段は意外に淡々と古い考え方を指摘している。)、しかし、それでも評価しているのであった。

「すなわちステヴィンにとって数とは量の大きさ(測度)を書きしるすもので,本質上それは《連続》であると,彼は考えている(ただし《連続》という言葉には正確な意味を与えていない.)そこでステヴィンが《幾何学的数》と《数論的数》とを区別していても,それは,それらの数の定義の様式が,たまたまそうなったというだけのことで,彼からみて,そこに性質上の違いがあるというわけではない.」(P.19,実数,『ブルバギ数学史 下』,ちくま学芸文庫。以下同じ)それでも「あらゆる実数をどこまでも細かく近似し得る計算手続き(アルゴリズム)の役にも立つことを,はっきりと認めていた.」(〃)のだが、数を本質(1)でなければ偶有性(2)と見做したプラトンアリストテレス(可算的な「数(多さ)」と可測的な「延長(大きさ)」を認めた。)、ピュタゴラスアルキメデスから見れば革新的だったと言える。
そして、ブルバギがこの時点においてさえ、実は、評価が低いわけではなく「この人(註ボルツァーノ)はまた(コーシーより前に)《コーシーの判定基準》を明快に述べ,それをある議論を用いて根拠づけようとしているが,実数というものに対して数論的な定義がなかったため,その理論は循環論法に陥ってしまったし,またそうなるほかなかったのである.しかしひとたびこの点を承認すれば,彼のやったことはまったく正しく,また大いに注目してよいものである.すなわちそこには,(そこで初めて与えられた)連続関数に関する現代的な定義があり,さらに多項式の連続性の証明があったばかりでなく,実数を元とする任意の有界集合の下限の存在証明まであったからである.」(P.15)ステヴィンはどうかというと、「コーシーもまたその『解析教程』([56a],(2),3巻)の中で,実一変数または多変数の連続関数を定義し,一変数の連続関数は,0という値をとらないままで符合を変えるわけにはいかないことを証明した.この議論はまさしくステヴィンの用いたものそのものであって,連続性ということさえ定義されれば,コーシーの判定基準はもう使えるのだから,当然正しいわけである.(あるいは,コーシーの判定基準のかわりに,彼がその場所でやっているように,《区間縮小法》という同等の同等の原理を許すことにしてもよい.無限十進小数の収束ということは,いうまでもなく,この区間縮小法の原理の特別な場合にほかならない.)」(P.26)と激賞し、「なすべき事は,もうさほど残っていなかった」※との感想に繋がったのである。
※山本の翻訳とちくま学芸文庫の翻訳は言葉運びが多少ことなる。

話をノイマンに戻す。
ノイマンの興味深い点は、「論理主義」「直観主義」「形式主義」を並べて評価した点にある。レオポルド・クロネッカーがカント哲学を数学に持ち込んだ結果生まれたのが、直観主義ということらしい。「クロネッカーの青春の夢」と言えば「ヒルベルトの第12問題」でありいまだ未解決であるが、高木貞治が「高木の存在定理」として知られる類体論の基本定理を発見するなど重要な貢献を果たした。

クロネッカーカントールの「無限集合」や「無限基数」といった概念そのものを否定し、「集合論」は数学ではなく「神秘主義」だと批判した。

P.56

神秘主義」はラッセルがウィトゲンシュタインに放った言葉である。

 

興味深いのは三位一体を、 信じないのではなく 、、、、、、、、、 信じる 、、、 ところだが、あのフォン・ノイマンは何を言っているか。

  1. 部分的にでも、経験主義を認める
    1. カント・プログラムの否定
    2. エウドクソス・アルキメデスニュートンボルツァーノ・コーシーの無限小解析路線の肯定(デモクリトスライプニッツルクセンブルクの「実無限小」路線の無視)
  2. 直観主義を認める(ヒルベルト・プログラムの否定)

その実例が「作用素観の数理」だと言ったのだ。これはデカルトにとって『方法序説』が『曲線論』の序論だったことに相当する(と思う。→訳者あとがき)。カントの主張した完全演繹体系は実は本論を欠いていた。これは奇妙なことだったのだ(それによって、それを実証する「カント・プログラム」が始まった、後の「ヒルベルト・プログラム」のように)。とくに、下述のオスカー・ベッカーやカッシーラーとの関係では、ノイマンの講演において暗に当然視された、1-2が問題と成っている。

 このころ,ゲッチンゲン大学で,自然数の無矛盾性に関する講義をしていたフォン・ノイマン(1907-1957)が,ある日青くなって講義室に現われ,「ゲーデルの論文を読んだが,彼の結果は正しいようで,自然数論が無矛盾性の証明は不可能であることが証明された.したがって私の講義はこれでうちきりにする」と宣言したと伝えられている.(一松信,『ヒルベルト数学の問題』(共立出版)より)

P.157,集合論,19世紀,『数学100の発見』

こちらはヒルベルトの講演の全訳である。

確かに実数,すなわち連続体の概念は,これまで特徴づけられていたような,すべての可能な十進小数の全体とか,基本列の要素からつくられるすべての可能な規則の全体ではなく,設定された公理を満たすような対象の集合であり,その公理から有限回の論理的推論で導かれるような結果の全体,そしてそれだけが正しいものである.このような意味においてのみ,私のいう連続体の概念は,論理的に厳密につかみうる.事実上そうしてこそ,われわれによく経験と直観を与えてくれると私は思う。連続体の概念やすべての函数の概念の集合もまた,有理整数や高級なCantorの〔超限〕数や濃度の集合とまさしく同じく意味で存在する.なぜなら後者の存在もまた,連続体と同じく,ここで私が述べた意味で証明されるからである.―これに対してすべての濃度の集合とかすべてのCantorのアレフ数〔超限数〕の集合といったものは,私の述べた意味で無矛盾の体系ではないことが示されるので,私の意味では,数学的に存在しない概念なのである.

P.14,2算術の公理の無矛盾性

下線強調は引用者

読んだのは、これ1冊らしい。

www.kosho.or.jp

dl.ndl.go.jp

登録して個人サービス利用すれば閲覧できる。同じく、

dl.ndl.go.jp

田邊元 - Wikipedia

京都学派を西田幾太郎から受け継いだ田辺元も著している。1954年で増淵が行った都立高校での『山月記』教育と同じ時期である。

markovproperty.hatenadiary.com

山月記』以前の国語教育の一例。

国語の新生 : 国語教育はどう改まるか,垣内松三,昭和22 - 国立国会図書館デジタルコレクション

言語学提要,石黒魯平, 昭和22 - 国立国会図書館デジタルコレクション

言語形象性を語る,垣内松三, 昭15 - 国立国会図書館デジタルコレクション

国語教育理論 : 国語教育と言語哲学との聯関 , 輿水実, 昭11 - 国立国会図書館デジタルコレクション

垣内松三 - Wikipedia

輿水実 - Wikipedia

このビデオ以降の話になるが、修士論文ではオスカー・ベッカーを研究したらしい。

谷口 一平 (Ippei Taniguchi) - オスカー・ベッカーにおける非本来的根源性 (修士論文) - 論文 - researchmap

オスカーベッカーとは?

エルンスト・カッシーラーとオスカー・ベッカー : 記号的数学の基礎づけの様式における両者の対立とその体系的‐哲学的意味|東京大学学術機関リポジトリ

orion-n.hatenablog.com

ベッカーは、L. E. J. ブラウワーの直観的論理の形式化への取り組みを開始しました。彼はヒュッセルの現象学に基づく直観的論理の意味論を発展させ、この意味論はアレント・ハイティングが自身の形式化で使用しました。ベッカーは直観的論理に適した排中律の否定の定式化に苦しんでおり、ある程度成功せずに戦いました。最終的にベッカーは古典的な否定と直観的な否定を正確に区別することはできませんでしたが、彼はその第一歩を踏み出しました。ベッカーは数学的存在に関する彼の著書の付録で、直観的論理の形式的な計算を見つける問題を提起しました。1950年代初頭の一連の論文で、彼はモーダル論理、直観的論理、確率的論理、およびその他の哲学的論理について調査しました。

ベッカーはモーダル論理(必然性と可能性の論理)への貢献も行い、ベッカーの公理と呼ばれる、モーダルな状態が必然であるとする主張(たとえば、Pの可能性はPの可能性の必然性を意味し、また必然性の反復も含む)は彼にちなんで名付けられました。ベッカーの公理は後に、アメリカのプロセス神学者であるチャールズ・ハートショーンによって神の存在の形而上学的証明の形式化において使用され、論理実証主義者であり、その証明を否定する者であるルドルフ・カルナップとの対話から刺激を受けました。

Oskar Becker - Wikipedia

つまりは、

直観主義論理 - Wikipedia

への前駆的な貢献が認められているらしい。これを完成したハイディングの名を冠したハイディング代数は、これは現代数学における「層」の研究に必要らしい(岡潔からアンリ・カルタン、或いは、アレクサンドル・グロタンディークから佐藤幹夫の研究がある。これは備忘録に過ぎないが、「四色定理」は、層で証明できると思う)。
むしろ、「ベッカーはなぜ成功しなかったのか」が鍵である(隣接する話で、古典論理学にとどまったルイス・キャロルことチャールズ・ドジソンを最大限評価したのは、ラッセルである)。

興味深いのは、

  1. ベッカーの指摘する「数え上げる」数学を「論理化」したのが「デカルト頌」(デカルトの死後、アカデミーフランセーズが論文を募集して開催したデカルトを褒めたたえるコンテスト。)でデカルトであると言われていること(『疎まれし者デカルト』)
  2. ゲーデルも「神の存在証明」をしていること(にも関わらず、生前は、ほとんど顧みられなかったどころか—これは私の読解によるが—彼の「汚点」もしくは、彼は最終的には精神を病んでしまうのだが、その「課程」程度に位置付けられたこと(『ゲーデルノイマンチューリング』)

1に関して言えば、デカルトを哲学就中ギリシア哲学から言及するのであれば、もはや、ガザーリーを無視するのは、不自然である。ましてや、有限/無限、それどころか、プラトン的数/アリストテレス的数を論じるのであれば。

もうひとつ言えば、ベッカーは、ドイツ人のせいか、

史上初めて0を基数としたステヴィン乃至その業績への言及がない。

Oscar Becker (5 September 1889 – 13 November 1964)

つまり、19世紀に生まれたベッカーはオカルトの影響下になかったか。

ドイツ現代思想 - Wikipedia

当たり前だが、フランス人のベルクソンに触れていない。

アンリ・ベルクソン - Wikipedia

「根本」と言うならば、大正生命主義を無視できない。
これはよくまとまっている。

note.com

ただし、以下の点で不満がある。

  1. 明治の第二世代である上杉慎吉らの国家主義、すなわち欧州内陸の生んだドイツ公法学に忠実な※国家主義の説明がないこと。
    ※その後の、(第二世代乃至)第三世代以降の留学組による(英学派、米学派、仏学派、その他に圧倒的差をつけた)独学派の席巻の先鞭をつけたこと
    i.g.それが日本の習合文化に根ざす(あくまで、日本の)中世的勝手解釈と対立したこと
    i.g.上杉慎吉が居なければ、日本社会に於ける「男女平等」が、著しく後退していたこと(実際の政治の場では、美濃部達吉の影響の方が大きかったかもしれないが、理念上は、観念的な上杉が指導していた—その点では、上杉と美濃部は、同僚として協調関係にあった。そもそもこの二人は仲が悪くなかった。上杉は学会から一方的に「虐められて」いたらしいが、こと「男女平等」の、 当時にあって 、、、、、、 世界に比しても先進的であったことに関しては、「現実路線」の吉野作造ではなく上杉である。これは、左派やフェミニストが何を言おうが、優れた業績である—ただし、上杉自身も一般論として言及したように、やがて「豹変すべき」ときは来たーそれもまた、近代の社会進化の受容の一側面である)
  2. 19世紀科学革命のバックラッシュとして起こった、世界的なオカルトブームの説明がないこと
    i.g.それが「対象化」される事物に反発した、幾何的世界観の再興であること
  3. 日本のオカルト受容が、廃仏毀釈の影響で伝統仏教が衰退したときに、新仏教がギリシア哲学を初めとした西欧哲学との融合乃至調和として興ったとき、一方で参禅体験の知的階層への普及が
    仏教が重要な役割を果たしたこと。また、オカルトの国際運動が、仏教の海外進出を後押ししたこと
  4. もともと新仏教では「生活」を重視していたが、改元を挟んで、学校教育にも(仏教と直接関係なく)生活(改善)運動が侵透したこと
    i.g.昭和の日本では、生命観が、おそらくドイツ観念主義の影響を受けて、田辺から  に変遷したように、生活観も新仏教のそれから国家制度的なそれに変遷し、昭和に至って、生命主義は日本主義、太陽主義に分派し、或いは(『走れメロス』に見られるような)熱血主義を生み、或いは(『大菩薩峠』に見られるような)仏教的虚無主義を生み、新しい生活主義とともに、右派の思潮を形成したこと

なお、「i.g.」は「id est」(ラテン語)の略式記号で「つまり」「言い換えると」「要は」であるが、ここでは私の意見を述べている。

👇は、教育論の中の大正生命主義 : 小林秀雄と芸術教育論 有田和臣 文学部論集 85号 1-9 2001/03/01

archives.bukkyo-u.ac.jp

2について言えば奇妙な話で、もともとゲーデルにとって数学こそ余技であって(そういった意味で、アインシュタインや数学者たちの期待は勝手なものに過ぎない。)、本来は、こういうことをやりたかったはずであった。
ウィトゲンシュタインとその師のラッセルとの確執もあって、「神秘的」なことをめぐる近代的な問題でもある。
永井均ウィトゲンシュタインから入ったか?


谷口は大学教育を受けていないのが珍しいのだが、それが彼が学説上の「文脈」を軽視する態度を生まなかったか。「学説」とは学問上の説明のことで、方法的に体系されている学問における意味を問うには、文脈が必要と成る。何が文脈に当たるかは、その学問に依るが、だからこそ、谷口の修士論文の執筆に際して師の永井がどう指導したのかが興味深い。

ところが、残念ながら、私にはその論文が見られない。
それを直接の対象として研究した論文でもない一般的な、古い戦後すぐの、教科書を1冊読んで「説明できる」と考えていた谷口は、その後、ちゃんと引用出来ていただろうか?
永井が本当に教えたことは何だったのか。鍵はそこにある。