何をやっていたか、忘れてしまった。

目標は忘れていない。シェークスピアの『オセロ』の変数の性質を明らかにすることである。自由変数であるか、束縛変数であるかから、シェークスピアの依拠したロジックを同定し、『オセロ』を規定している、乃至、『オセロ』の含意している(倫理的)目的を明らかにすることで、それが夏目漱石に理解できることではなかったことを明らかにすることである(具体的には、夏目漱石の文学論F+fがなぜ、心理学から導かれたかである)。

今朝、昨日の『チコちゃんに叱られる』を見ていたら、「ダンディー」が出てきて喜んでしまった。男性がリボンをしなくなったのは、革命後の「ダンディー」の時代だったのだ。

チコちゃんに叱られる! ▽おなかが鳴る秘密▽リボンとは▽金魚の謎
初回放送日: 2022年12月16日|NHK

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服飾の特徴として、黒を基調としていたというので、「教授陣のファッションショー」では、美濃部達吉の方が、上杉慎吉よりも「ダンディ」である。
そこで「成金趣味」と言ったのは、派手な衣装を好むということではなく、「服に着せられている」アンバランスなさまのことである。
一昔前に、海外へ行くサッカー選手の一部に見られた。
確かに彼らは、一方で、精神性を重んじている。
それが私の感じた「ダンディ」である。

さて、それを探っているうちに、キャロル図が対角線論法を含むかという問いに答えることとなり、キャロルが誇ったヴェン図との違いの(キャロル図の)真の効果であり、また、明らかにブールに依拠しつつ、(ヴェンに幾度も言及しても)ブールに言及しない理由でないかと、これは憶測に過ぎないが、思うところである—すなわち、キャロルは「宇宙」を構成することが自己の独創性であると主張したが、「宇宙」の構成の仕方こそが独創的で、なぜ独創的かというと、それが数年後に「初めて」明らかになったカント―ルの「対角線論法」を含んでいるからである。

おそらくオックスフォードの気鋭の数学者として専門的に研究していた行列式からの発想であると思うが、ヴェン図に見られなかった「正方形化」がそれを可能にしたと思う。なぜなら、カントール集合とは、以下の通りだからである。

カントールの定理の証明と対角線論法
レベル: ◎ 大学数学 集合,命題,論証 更新日時 2021/03/07
高校数学の美しい物語

高校で学ぶ数学から、数学オリンピックの問題や大学の数学の解説までしている、初学者に優しいサイトである(いつか読もうと本も購入したが、まだ読んでいない。初学者向けであるが、正規の「教科書」というわけではないので、二の足を踏んでいた)。

cf.ケーリーハミルトンの定理とその厳密な証明をわかりやすく|数学の景色
 正則行列とは~定義と性質11個とその証明~|数学の景色

 

ヴェン自身による、5文字用のヴェン図の説明はこの通りである。

私に提案できる最もシンプルな図はこのような図で、中央の小さな楕円はcの外部を表す。その部分は、その部分は、四つの区分の重なりがbとdの中にあるが、cとは重なっていないという意味の部分だ。ただしこのような図は、人々が願うほど簡単に描けるものではないことを、認めざるをえない。

P230,論理パズルと逆説,『数の国のルイス・キャロル

要は、ド・モルガンの法則について言及している。

【数学IA】3つの集合の要素の個数|大学入試数学の考え方と解法

数も5つになると「描くのが難しい」という話である。

二元集合L ={ ⊥ , ⊤ } をブール代数、⊥ を最小元とすれば、⊤ は最大元となる。そのとき、最小元 ⊥ は偽な命題、最大元 ⊤ は真な命題、結び ∪ は論理和 ∨、交わり ∩ は 論理積 ∧ 、補元 c は否定 ¬ を表すことになる。そして、ブール代数に関するド・モルガンの一般法則から、命題論理に関するド・モルガンの法則を導くことができる [1]

また、空でない任意の集合(対象領域)D を一つ固定して考えれば、D から L への写像は 1 変数の述語となり、全称作用素 ∀x や存在作用素 ∃ x を定義することができる。そして、ブール代数に関するド・モルガンの一般法則から、述語論理に関するド・モルガンの法則を導くことができる [1]

ド・モルガンの法則-Wikipedia

[1]松原

名著であるらしい。
⊥と⊤が出てくる体系で、命題論理でも、述語論理でも可能である。

晩年はスピリチュアリズムに傾倒し、透視など超心理学の研究を行った。クルックス管の発見で知られるウィリアム・クルックスは、ド・モルガンの影響でスピリチュアリズムに傾倒したとされる。

オーガスタス・ド・モルガン-Wikipedia

ド・モルガンはケンブリッジに属していたが、ロンドン大学へ転じた。

オーガスタス・ド・モルガン       1806年06月27日 - 1871年03月18日
ジョージ・ブール                         1815年11月02日 - 1864年12月08日
ルイス・キャロルことチャールズ・ドジソン
                                 1832年01月27日 - 1898年01月14日

夏目 漱石                                       1867年02月09日 - 1916年12月09日

インドの論理学はギリシアの論理学とともに世界の論理学の二大源流となっている。インド論理学はナヴィヤ・ニヤーヤ学派(英語版)という形で近世まで発展を続けた。

インド論理学-Wikipedia

夏目漱石の心理学への傾倒が馬鹿にできないのは、このレベルの著名な数学者だって傾倒する時代だったのもある。日本では、ド・モルガンの「インド論理学」が、禅に当たるだろうか。

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ただ、集合論への批判から、直観主義の立場が出て来た。

A かつ B かつ C かつ… を仮定すれば、P または Q または R または… が証明可能である カット除去定理-Wikipedia

論理積から論理和が導けるらしい。まるで対数の発見を導いた  のようである。
そもそも、ドジソンが行ったのは、まさにこのことであって、「数」を要素としたのではばく、「文」を要素としたのだ(このき、実在自身もひとつの「文」である)。それが「命題論理」に留まるのか、「述語論理」を示唆したのかである。

命題が述語化される過程で、パラドックスが発見され、集合論とそれに対抗する直観主義論理が出て来たようだが、ドジソンの操作を集合論で捉えてよかったのだろうかという疑問である。

すなわち、カント―ルの「対角線論法」をキャロル図が含意していたとしても、それが集合論から説明されることなのか、ということである。

右辺が複数であることを許すと含意右を用いて α→α,⊥ から →α,¬α が得られ、排中律が導かれる。右辺を制限した結果として含意右が制限されて直観主義論理の体系が得られる。

直観主義論理-Wikipedia

直観主義論理では、ブール代数ではなく、ハイディング代数を用いるらしい。

シークエント計算 LK は1934年、ゲルハルト・ゲンツェンが自然演繹を研究する道具として生み出した。

シークエント計算-Wikipedia

ライツェン・エヒベルトゥス・ヤン・ブラウワー
                     1881年2月27日 - 1966年12月2日
アレン・ハイティング           1898年5月9日 - 1980年7月9日

ルートヴィヒ・ヨーゼフ・ヨーハン・ヴィトゲンシュタイン 
                     1889年4月26日 - 1951年4月29日

ゲルハルト・カール・エーリヒ・ゲンツェン 1909年11月24日 - 1945年8月4日
太宰 治                  1909年6月19日 - 1948年6月13日

縮約規則と転置規則は、記述順序(転置規則)や同じ式が複数個登場すること(縮約規則)が問題とならないことを示している。従って、列ではなく集合とみなすことができる。

シークエント計算-Wikipedia

これについては、

まず、上述の通り、シークエント群を集合や多重集合と見ることもできる。この場合、転置規則と(集合の場合) 縮約規則は陳腐化する。

シークエント計算-Wikipedia

と明言されている。

集合との違いは順番が決まっている事で、順番を変更したものは別の列であるとみなされる。たとえば列「A,B,C」と列「B,C,A」は異なる列である。

列 (数学)-Wikipedia

カントが言いだしたのは、この「列」(的)なことで、列「A,B,C」と列「B,C,A」が「主体、述語、主語」なら、別の列である、ということとも理解できる。
また反対に、このとき、述語の対象として主語だけを集合で扱うこともできる(が、主体と主語を集合で扱うことはできないと考えると、カントの見通しがよくなる。俗説的な主語の特権性から混乱しがちだが、係る意味で「特権的」なのは、主体であって、主語は述語の説明要素である。そして、主体は背景化する。

集合論直観主義論理がそもそも比較になるのかわからないが、カントールのやり方に反発したのは歴史的事実である。
原理的にどう違うのかいまいちパッと思い至らず、直感的には、新プラトン主義とアリストテレス主義の違いくらいにしか感じられないが、どうだろう、F⋀GとF◦Gのようなことだろうか。確かに、F⋀Gのヴェン図は、何か不思議な感じがする。FもGも写像操作だからだが、この場合、自己への写像も「あり」と考えるとよいのだろうか?すなわち、A=Aのことである。写像を通して理解されることなのか、そのような操作を経ずに所与なのか。

いずれにしても、命題論理は保存されている。
ならば、

  1. 命題論理に従っていることの確認
  2. 命題論理への説明(修正)の確認
    1. 方程式化
    2. 「正方形」化(正規化)
    3. ∀(すべて)の導出

2は、例えば、述語論理なら、命題論理を説明するために、{ ∀ ,  ∃ } を命題論理に加えたと考える(命題論理と述語論理が対立しているのではない)。
特に、2-3に関して、論理積からの導出が、2-2によってもたらされるとき、「対角線論法」と同じことを含意しているかである。

こうして、ジョージ・ブールからラッセルへの流れに、チャールズ・ドジソンを位置づけることができる。ブール、ドジソン、フレーゲラッセルである。フレーゲへのラッセルの指摘は、ドジソンからラッセルが何を受け継がなかったかで、決まったからである。ラッセルがドジソンの貢献として挙げた例が2つあった。

1895年に、論理に関するある問題に取り組んでいるとき、その結末をMind誌に発表しました。それは一見、ユークリッド幾何をめぐるお話のような書かれ方をしていました(4章を見てください)。後年、バートランド・ラッセルはこれと、さきほどの床屋さん問題を、論理学に対するドジソンの最も偉大な貢献であると述べました。

P.235,亀はアキレスに何と言ったか,『数の国のルイス・キャロル

そこで、ラッセルのパラドックスとカント―ルのパラドックスの違いを思い出してみる。

ラッセルのパラドックスとカントールのパラドックスがよく似ている件
現実と数学の区別が付かない

ラッセルのパラドックスはカント―ルのパラドックスではないのだ。
カント―ルのパラドックスには、ラッセルのパラドックスに含まれない内容を含んでいるからである。
そして、それは、「論理学に対するドジソンの最も偉大な貢献である」はずである。
それを、ラッセルは誤魔化した。
いやそれがダメなわけではない。
フレーゲが居たからである。
そうすることで、フレーゲの悩みを解消できたのだ。
より純化して考えられたことが、ラッセルの真の天才性である。