夏目漱石とカントのギリシャ哲学

 

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PP.213-217に紹介されているルイスキャロルのThe Game of Logicのひとつをやってみたら、著者の説明がやたらと面倒で、最初、何を言っているかわからなかった。

ようやくわかったのは、この著者は、

  • 「順序」を入れているからややこしくなっている
  • 「順序」を入れないと、連立方程式を解くに過ぎない
  • アリストテレスはおそらく「順序」を考えずに「矛盾」を考え(て排除し)た

ここから、考えられるのは、チャールズ・ドジソンは、「矛盾」を「順序」という新しい元に置き換えて拡張している可能性があって、すなわち、古典論理から形式論理への橋渡し的な存在になっているかもしれないということ。すなわち、古典論理とは、「量化されていない」ために説明能力が低かったところ、述語化することで、古典論理を対象として扱うことができるようになったのが形式論理であり、説明能力があがったことは、アリス文で見て来た。

ドジソンは、(ヴぇン図に対抗するキャロル図を以て)三段論法を駆使するが、実は、「量」を扱っていないわけではない。
ただし、ALL/SOME/NOの三値である。三値関係の解決のために「順序」を入れたのだ。例では、NOを優先させている。

  1. Some new cakes are unwholesome.
  2. No nice cakes are unwholesome.

について、以下のように解く。

  1. Some new (cakes) are M().
  2. No nice (cakes) are M().

 

オリジナルでは、グレートとピンクの駒を置く。

サンプルを読んでいると、"Subject"のほかに"Predicate"という語が説明に出てくる。
他に"Universe"が"cakes"のこととして説明されているので、これは、

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主体/主語/述語の区分をした、カントのことのようだ。

再び、

『明治四十年(引用者註:1907年)四月東京美術学校において述』(夏目漱石 文芸の哲学的基礎)『草枕』が明治39年1906年)9月であるから、その次の年である。

実は、同年1月に、友人の美学者大塚がこのような論考を載せている。

ということであったが、ドジソンが"The Game of Logic"を出した、20年後のことであった。
漱石の説明では「物」となっているのでわかりづらいが、或いは「被造物」のことである。なぜ、「或いは」と言わなければならないかというと、「造物」たる神も「物」として入っているからだ。これについて、ドジソンは、

私の図解法はヴェン氏のそれと似ていて、それぞれの区画がいろいろな物事の違いを表現し、それらの区画に「何かがある」と「何もない、空」のどちらかを表すことができる。しかし、氏の方法と違って私の図解は、一つの閉じた領域で"その論述の宇宙"を表すことができる。ヴェン氏の自由放任なやり方では、宇宙という物が無限大まで広がりうるのに対して、私の図では宇宙は一定の有限の区画に収容され閉じ込められる。
つまり宇宙は、そのほかの物事とまったく同格な"物"になる!宇宙はこの図の上で、きっとがっくりしているだろう!

P.230,数の国のルイス・キャロル

と言っている。これは、本質的には、プラトン学派乃至新プラトン学派の「真空」を認めたうえで、すなわちカントによるデカルトへの「存在論的論証」批判と同じことを言っているように聞こえる。
カントは、だいたい18世紀の人なので(1724-1804)なので、19世紀生まれのドジソン(1832-1898)の影響をカントが受けたのではないことはほとんど疑いようがない。漱石(1867-1916)が講演したのは、ドジソンの死後(10年)である。

オッカムは影響を受けているが、カントがまた隠れて神学的であると指摘されるのも、ガザ―リーが説明する、同じ「一者」についてである。これは、ラッセルの「外部」とラッセルによるヴィトゲンシュタインへの「誤解」へ繋がる。

それはよいとして、そもそも、ドジソンはオックスフォードの気鋭の数学者だったわけだが、彼はもともと代数的幾何学から行列式の研究に移った人で、とりわけ行列式の「箱型」のアイデアが、この論理ゲームにも生かされていると感じる。いや、知らない(巷間「ゲーム理論」というと、フォン・ノイマンオスカー・モルゲンシュテルンの複雑な計算ではなく、簡便な「正方形」であることを思い出す。いや、知らない)。

ちなみに、ドジソンは、論文を書いて、当時揺らいでいたユークリッド幾何学を擁護した人で、ニコライ・ロバチェフスキー(1792-1856)とボーヤイ・ヤーノシュ(1802-1860)の明らかにした非ユークリッド幾何学を「現実の幾何学的世界と無縁と考え、拒絶」(p.110)したのだが、

ニコライ・ロバチェフスキー - Wikipedia

ボーヤイ・ヤーノシュ - Wikipedia

人に歴史あり。ボーヤイの父親はガウスの同窓で、息子と同じように、平行線公準を研究していたが、ガウスに間違いを指摘され挫折していたのだ。

(III)カントは単なる概念体系としての非ユークリッド幾何学を認めることはできたが,実在空間の学としては唯一ユークリッド幾何学のみを認め,空間が直観であると示すことによってこれを証明した。そしてカントにとっては,空間=直観というテーゼは非ユークリッド空間の可能性を否定する力を持っていた。

カントと非ユークリッド幾何学

カント(1724-1804)は、敢えて言うなら、ユークリッド擁護派である
ドジソン(1832-1898)はカントリアンであり、「カント・プログラム」の遂行者であったと考えると、わかりやすいかもしれない。
もちろん、オックスフォードなので、ドジソンも宗教上の務めを果たしたのだが、カントにしたって、信仰を捨てたことはないようだ。

 

これが「幾何学」ではなく「幾何学的世界」であるところに特徴が表れているように思う。先の、擁護論文は、非ユークリッド幾何学への直接の批判ではなく、「ユークリッドのやり方を無味乾燥で形式的すぎる」(P.102)批判をする「アンチ・ユークリッド」(同前)に対してのものだったが、「アンチ・ユークリッド」は、

  1. その厳密に論理的な書き方
    1. 分かりにくい
    2. 初心者向きでない
    3. 最少の公理集合に無理やり固執するの
      1. 不自然である
  2. ユークリッド
    1. 形式的で人間の自由な思考を抑圧する
    2. 丸暗記のような学習を強いる
    3. 理解しなくても暗記すれ
      1. 良い点を取れる  (ママ;「が」が正当)

と意外に面倒なことを言って、「実際に、オックスフォードであった例ですが、ある学生がユークリッドの証明問題を完璧に正しく解きました。ところが、添えられている作図を見ると、必要な三角形がすべて円でした」(P.102)という実例を伴って騒動と化していたようである。
数学者のジェイムズ・ジョセフ・シルヴェスター(1814-1897)は科学振興会で大演説をぶって「英国憲法の精神の最先端の表現がユークリッドにある」というユークリッド擁護派の意見にも触れたうえで、ユークリッドを徹底的に批判した。

興味深いのは、当時、「ニュートン神話」が形成されたころのはずで、ニュートン自身はユークリッド幾何学の忠実な僕だったはずである。

ともあれ、反ユークリッド協会が作られ、1871年1月になると、幾何学教育改善協会ができたそうである。ドジソンは、主流派から逸れてしまっただろうか、ユークリッドの頑固な擁護派だったのである。

シルヴェスターはコプリ・メダルも受賞した優れた数学者であったようだ。ジョン・ホプキンス大学に移って、アメリカン・ジャーナル・オブ・マスマティクスを発刊するなど、アメリカの数学の発展に努めるような人だったらしい。

ジェームス・ジョセフ・シルベスター - Wikipedia

ともあれ、この論争、いや、素人を含めた言い合いを見ると、対立軸は、

であり、シルヴェスターもこれについては、「数学と文化がつねに二人三脚で進まなければならない」(P.103)しかし「良い方向に向けて影響し合わなければならない」(同前)と言った。
ここで「しかし」と入れたのは、引用者(私)であるが、要は、新しい時代の人間像が求められたのである。だから、ユークリッド擁護派は敢えて「最先端」という言葉を使ったのだろうと思う

※「英国憲法の精神の最先端の表現がユークリッドにある」(同前)

背景をもう少し説明すると、

19世紀の半ばのイギリス社会には、変化が訪れていました。中産階級が増え、彼らは数学に実用性を求めました。従来からの古典的な教育は、時代に合わなくなってきました。

P.102,数の国のルイス・キャロル

そうした中、1869年の英国科学振興会の新理事長就任演説でシルヴェスターがユークリッド幾何学を弾劾したのであった。

ただ、本当に、「実用性」だけの問題だったかは、疑問である。多くのことが同時に起きていたからだ。

 


※その中には、日本の「ゆとり教育批判」でさんざん揶揄された、円周率を3で教えるべきか、3.14で教えるべきかの、馬鹿げた論題もある。それは、ドジソンも「炎上」に悩まされたことだが、3か3.14かではなく、有理数無理数かの問題だからだゆとり教育批判」は、小数を教えることの計算の習熟、、、、、が、無理数の概念理解を「食って」しまった—つまり、算数の学習には、大きく分けて「操作の習熟」と「概念の理解」があるからである。もちろん「小数」の概念を理解することは大事であるのだが、高々2桁増やして打点の位置に注意する程度のことが、大騒ぎするほどのことではない。従来から小数の学習についてはしばしば揺らいできただけのことである。教わるのは小学生なのだ。数学者ではない—馬鹿げた繰り言に過ぎなかったことがわかるのだ。P.111
ゆとり教育」で問題だったのは、(社会的)態度の方だった。つまり、ゆとり教育」は、ヒエラルキーへの挑戦が、本質的には、問題視されたのだ。だから、基本的に、政治問題である。
いや、中身をより腑分けすると、本質的に、ヒエラルキーへの挑戦を問題視する向きと、経済格差を問題視する向きが居たように思う。それらが結託してわざわざ混乱させていたような印象だ。「経済格差」が問題であるように見えるが、それはイデオロギーであって、実際は学習権の侵害は二の次である。

子どもの学習権の侵害ではなく、「ブランド」を巡る、〈俺的〉教える側の「権利闘争」という政治問題だったのだ。

別に「理系」なんて「一枚岩」ではない。