About Shoichiro Takahashi                同様に、ゲーデルか、「ゲーデル」(スマリヤンデル)なのか?

「反対」(所謂『論考』に対して、所謂『研究』)からになるが、一文にまとめると、物心二元論で意味・主観を実体化して説明されているので「わかりあう」らしい。

 1929年にケンブリッジに復帰し講義をもつ。以後、一世を風靡した『論考』の基本思想、とりわけ「事態と命題の(同型対応)」、「要素命題の真理函数としての複合命題」という思想は再検討され、「ザラザラした大地への復帰」が追及されていく。なかでも「世界」の一部として対象化しえぬとされる「主観」の問題、そして各主観が「言語」を介して了解しあうという問題が徹底的に問われてゆく。
 「語の意味とは語の使われ方なり」というテーゼで知られる本書は、そうした後半生の思索の跡を断片的に記した軌跡であり、第二部は死後公刊された。本書では従来の物心二元論(事態と命題、語〔表現〕と意味、心と身体の二元論)が徹底的に(現象学的・行動論的・言語行為論的に)精査され、それまでの意味・主観を神秘的に実体化した上で説明されていたところのわかりあうという現象は、「生活様式の一致」という観点から捉えなおされ、新たな超越論的反省の地平が切拓かれている。
(略)
大庭健)。

P.331,哲学研究(Philosophische Untersuchungen,1953;翻訳書・藤本隆志訳・大修館),その他の哲学・思想の古典名著,『世界の古典名著総解説』,1993,自由國民社

下線強調は引用者。

そうして、「神秘」から「生活」が導かれたのであった。

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 集合は単に記号の上のことだけである。ということが受け入れられるならば、それから、数はほんとうの存在者ではなく、ことばの上で数を含む命題は、実際は数に対応する構成要素を含まず、その命題の一部ではないある種の論理的形式を備えているに過ぎない、ということが導かれ る。 (4)

(4) このあたりの議論は唯名論の色彩がこいが、数その他の対象が実在性をまったく欠く単なる論理的構成と考えられているのかどうかということは、ラッセル哲学のその後の発展に照らしても必ずしも明らかではない。第三講で展開された、かなり実在論に傾いた時間・空間論と比較してみると、ラッセルの存在論はおだやかな実在論で、高度の論理的構成に対してはその実在性をなるべく認めないようにしている印象が得られる。これに対してフレーゲは、数が実在する対象であるということをはっきり認めている。

P.273,第七講 積極的無限論,外部世界はいかにして知られうるか ラッセル,ラッセル/ウィトゲンシュタインホワイトヘッド

意味を持つためには文脈を必要とすることばである。いいかえると、これらのことばがあらわれることによって、構成要素ではなく、ある種の命題の形式が示されるのである。要するに、「論理的定数」は存在者ではない。すなわち、それらを表していることばは、名前ではなくて、検討されているのが、その意味ではなく、それらのことば自体であるという場合を除いては、意味を担って論理学の立場からの主語になることはできない。 (1)

(1)ルードウィヒ・ウィトゲンシュタイン『論理哲学論』(キーガン・ボール社、1922)を参照(ⅰ)。

(ⅰ)とくに、4・0312と5・441を参照

P.274,〃

4・0312

 およそ命題の可能性は、諸対象が記号によって代理されるという原理にもとづく。
 そして、私の基本的な考えを言えば、「論理的常項」はしかし何かを代理しているのではない。事実の論理は、何かに代理されることもない。 (5)

(5)「 ab ではない」という命題において記号”a”と”b”はそれぞれ対象 ab を代理しているけれども、「・・・は・・・ではない」という「論理的常項」”~”(引用者註¬:否定の結合子)は、さらに”.”,”⋁”,”⊃”と同様、何かを代理しているのでもなく、代理されているのでもない(4・062以下を参照)。

P.357,論理哲学論,論理哲学論 ウィトゲンシュタイン,〃

ここら辺は、集合論で、足し算記号や正負の符合自体が集合の要素(対象)とならないことと似ている(cf.圏論)。

実在物に対応する心的な代替物であり、反映の過程を表す術語である。このため、オッカムは唯名論者とも概念論者とも区別されて「記号論者」と呼ばれてきた[8]

オッカムのウィリアム - Wikipedia

また、「1+1=2」と言ったときには、それは提示とともに決定される固有の形式であって、固有の規則に従って構成されたとは限らない、と言ったのは、クリプキだったか。その場合においては、「+」の機能はあらかじめ決定されているのではなく、この配置に依って(提示後)「決定された」のである。

ウィトゲンシュタインがこのことを言ったのであれば、『論考』においては(世界との対応の一致が)「神秘的」だったのであり、『研究』においては(他者との一致が)「生活的」だったのであるだろう。

『ろんりの練習帳』の「バカボンのパパ」の例では固有名であるが、「1+1=2」の例では固有形式について言っている。「固有」に求められる決定性については類似しているが、「名」と「形式」は異なる。

大学生用である。2002年と言えば、象徴的で、

ゆとり教育 - Wikipedia

就職氷河期 - Wikipedia

所謂「ゆとり教育」が開始され(それ以前にもゆとり教育はあった。)、景気の底を記録した年であり、就職氷河期と言われた中でも最も低い就職率と成った時期である。

そのときに、大学生(特に数学科の学生向け)に書かれた初学者用教科書である。

(「まえがき」より)
これが現場の実感だったのであり、徒に「ゆとり教育」に対して批判がなされなかっただろうか?

[メモ]
少しずつわかりかけている気がしてきた。忘れないうちにメモをしておく。

要は、数学実在論とは何か?であるようだ。

私たちは、実のところ、「実在」をうまく理解できていない。
「実在」と「存在」を区別できないか、さもなければ、「実在」と「観念」を上手く区別できない。そして、論理主義者たちが実在主義者であったことに驚く。「論理的」であるとは「実在的」だったのだ。

長い間、普遍論争は、「実在論」と「唯名論」の論争で在り、唯名論者のオッカムの勝利によって、近代の幕が開けたと教えられてきたが、これは最近、否定されつつある。

そこでオッカムは「質量的な」推断と「形式的な」推断とを区別しているが、これは大まかに言ってそれぞれ現代の論理包含と論理的示唆と同等である。

論理学の歴史 - Wikipedia

ここにも書かれていないが、オッカムはあくまでキリスト教徒のひとつの立場を表明したのであり、そのアイデアはルターの古文辞学的教義に決定的な影響を与えた。

  1. 「すでにキリストは与えられている」とはオッカムの「質料的」な解釈(推断)を逆転的な発想で発展させたのであり(仮定から確定へ)、したがって、「形式的」な教義を導く。似たような話に、教育勅語がある。「あれば」と「あらば」を問うのは、実際、(ヨーロッパの文脈から近代国家建設の当然の教養であった歴史法学を学んだ)歴史法学者(ゲルマニスト)であり、ルター的な古文辞的論理学者、言語学者であった、井上毅の仕込んだ論争である。
  2. 虚数は存在しない観念であったが、オイラーによって実在になった。実際に、計測可能である(ただし、ジンバル・ロックはある)
  3. ライプニッツなどの存在論と、ヒュームの懐疑論止揚して認識論を開始したカントは数学を判断の対象と考えなかったが(完全演繹体系のカント・プログラム)、観念と考えたわけではなかった。ノイマンが、  がカントの認識論を数学に初めて持ち込んだ直観主義がやがてゲーデル不完全性定理を達成したとき、驚愕して、或いは、「独断論のまどろみ」から覚め、『数学者』を講演して「二面性」と「三位一体」に触れて経験を強調したのは、実際のところ、カント・プログラムの否定であるがゆえの「二面性」「一体」であった。数学も「判断」の対象であるが観念ではない(☞スメール)。

一方で、カントはイギリス経験論を受容し、ことにヒュームの懐疑主義に強い衝撃を受けた。カントは自ら「独断論のまどろみ」と呼んだライプニッツ=ヴォルフ学派の形而上学の影響を脱し、それを経験にもとづかない「形而上学者の夢」とみなすようになる(『視霊者の夢』)。自然科学と幾何学の研究に支えられた、、、、、 経験の重視と、そのような経験が知性の営みとして可能になる構造そのものの探求がなされていく。

イマヌエル・カント - Wikipedia

これはミスリードを誘う。正しくは、おそらく、こうだ。

  • 自然科学と、(プラトンを嚆矢として)研究された幾何学を適用した(適用することで判断される)経験

よって、ここで、幾何学=数学自体は、経験(による判断)に属さない。これが(完全演繹体系の)カント・プログラムの内実であるはずである。しかし、観念ではないのだ。おそらく、カントは、伝統的な、、、、数学の実在について説いている。

受賞者は西ヨーロッパとアメリカの数学者が通例で[12]ダランベールライプニッツの系譜に連なる場合が多い[12]

フィールズ賞 - Wikipedia

ライプニッツこそ、現代的な「公理論的」数学の嚆矢である(☞『確率の出現』)。それは数学を「法学的」に理解することで達成された(或いは、「哲学的」に:ここで「哲学」とは『二コマコス倫理学』でアリストテレスが説いた債務論である。ライプニッツは奇妙な法学的数学者の弟子であり、もとより学位を持った法学者であり、アリストテレスの論理学の研究者でもあった。いずれにしても、債務条件を記号を用いて形式化することで始められた)。
カントがライプニッツを否定したのは興味深いが、実際に、ユークリッド幾何学に忠実に基づいて数学を構築したのは、グノーシス主義者と目されるニュートンであった(『プリンキピア』。ニュートンは奇妙な男で、ケンブリッジに居ながら伝統的な儀式に参加しない(なぜか義務も免除された)、敬虔なキリスト教徒であった。当時でさえ珍しくなっていた生涯独身を貫いた)。ニュートン微積分は酷く「職人的」であったらしい(直感的にわかるので、扱うのが困難だったらしい。後世の数学者が技術的困難を克服して、現代の微積分学が完成した。ニュートンの「微積分」は「学」だったのか「技術」だったのか)。

スメールは「滑らかに」テニスボールの裏表をひっくり返すことが可能であることを厳密に(数学的に)証明した。このようなテニスボールは存在しない。
これはゼノンのパラドックスの伝統に連なる。
代数学ならばゼノンの第二パラドックスは「解ける」だろうと思う。

(PP.368-371,現代数学小辞典,寺阪英孝編,講談社 BLUE BACKS)

ここでスメールなのが重要なのは、ブラウワーが居たからである。スメールが従事したホモトピー類の研究を創始したのが、直観主義の主唱者ブラウワーだったからである。

とんでもない人だ。
そして、 数学における経験主義 、、、、、、、、、、 である「帰納」である。


法学は科学であり、政策(立法)はモデルである。そこで問われるのは、適用可能な技術である。

谷口—実のところ師匠の永井—と「フェミニスト」の争いは、主体を巡る、実在と観念と存在の争いであるようだ。師匠のラッセルは実在論を棄てられなかったが、「論理的神秘主義者」のウィトゲンシュタインは、クリプキの謂う「新しい懐疑主義」を携えて、「生活形式」へ向かった。

本書では従来の物心二元論(事態と命題、語〔表現〕と意味、心と身体の二元論)が徹底的に(現象学的・行動論的・言語行為論的に)精査され、それまでの意味・主観を神秘的に実体化した上で説明されていたところのわかりあうという現象は、「生活様式の一致」という観点から捉えなおされ、新たな超越論的反省の地平 、、、、、 が切拓かれている。

P.331,哲学研究(Philosophische Untersuchungen,1953;翻訳書・藤本隆志訳・大修館),その他の哲学・思想の古典名著,『世界の古典名著総解説』,1993,自由國民社

そこでキルケゴールである。

共同親権/単独親権」「共用トイレ/自認女性トイレ/生物学的女性専用トイレ」にしても、法学的な問題であるが、政策的なモデルであって元来承認問題ではないが、「一般化」の権力構造に抗って個人を擁護する論争を仕掛けているのである(彼らが時に「反科学」の旗幟を鮮明にするのはワケがある。それは単純に優性思想への危惧ばかりではない)。
。これが憲法原理に従って、「極限事例」が反例として有効な阻却効果を認められるのならよいが、(民法的な)リスク(=コスト)負担問題であるところ、社会調和に求められる寛容を著しく逸脱して、(おそらく、法定競争的な、法曹の「正しい動機」にドライブされて)取引的な利益至上主義、強欲主義に陥っているのが実情である。
個人の権利を極端に追及すると、「国民ひとりにつきひとつの公衆トイレ」という矛盾が発生する。それは政策ではない。そのような主張は最初から斥けられなければならないのだ。
共同親権」とは(従前の「単独親権」がいきなり政策の実現であったところ) 法学的な 、、、、 原理とモデルを分けて考える考え方であり、「トイレ問題」は、経験的な公衆衛生にしたがう技術上合理的な公共政策である(反対から言うと、キャパシティーの問題であるから、個別具体的には、民主的に対応できる)。「 反例 、、 」の提示に 可能性がある 、、、、、、 からと言って、「個人の承認」とは無関係である。

九鬼周造が「現実存在」を「実存」と言い始めたが、要は、存在論であるが、「素朴実在論」ではない。


ちなみに、「哲学者」の野矢秀樹は、ウィトゲンシュタイン流の根源的規約主義者であるが、「ゼノンのパラドックス」を「数学的」に正しく理解できていると思わない。
彼はスメールの議論を知らなかったのであろう。数学と哲学が袂を分かって長い。

野矢は(数学ではなく)国語へ向かった。