背理法

<論説>ヴェニスの商人 : シャイロックの喜劇的役割

ヴェニスの商人』には元ネタがあったらしく、

The Pecornne of Ser Giovanni 第 5 巻

なぜか5巻だけ読める。
さらに元ネタがあって、

Nova Cronica  - Da Wikipedia, l'enciclopedia libera.

ジョヴァンニ・ヴィッラーニ - Wikipedia

この人の人生もなかなかハードで、最後は、「逃亡商人」となったらしい。

Nel 1331 cominciò il suo declino dalla scena politica, a seguito di un'accusa di malversazione (successivamente rivelatasi infondata) che gli era stata mossa al tempo in cui era stato camarlingo del Comune per l'edificazione delle mura. Fu coinvolto nel fallimento bancario dei Buonaccorsi e incarcerato per poco tempo alle Stinche, attorno al 1346, in quanto considerato mercante fuggitivo.

Giovanni Villani  - Wikipedia

敏腕なブオナッコルシ商社のメンバーがなんらかの危険を察知して「逃亡」を敢行した。その結果として、フィレンツェ商人に対する信用は一気に失われ、おそらくは、取付けも起きる。

中世イタリアの商人群像 ―神に祈り、儲けに生きる― Medieval European Merchants - Pray to God and Live for Profit -

これがなぜ『新年代記』かというと、『年代記』があるからだが、

Dino Compagni - Wikipedia

「 ネーリ」とはコトバンク

Guelfi bianchi e neri - Wikipedia

Corporazioni delle arti e mestieri - Wikipedia

ギルドの時代だったらしい。

より遡って調べた

人肉による賠償 : インドとヨーロッパで広く見られるモチーフ

がある。

クリック立ち読み はじまりが見える世界の神話 | 図書出版 創元社

さて、

神話の構造とは? 物語の基本 | ライトノベル作法研究所

【コミュニタスとはなにか】その意味や具体的な例をわかりやすく解説|リベラルアーツガイド

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ヴァン=ジェネップの言う第2局面である


  どの状態でもない「過渡」

における、媒介が焦点化されていると考えたら、これで少し見通しがよくなった。
ある種のパラドックスなのだ。「矛盾」を導入することで、

markovproperty.hatenadiary.com

「危険負担」すなわち、社会的にその帰属が決定される(負の)中間利益が、逆転したと見えなくもない。
一方で(つまり、[不適切な契約が無効である]ことを棚に上げて、)、現代の法常識に従えば、シャイロックがその負担をすべきではない。

まさにこの括弧の問題であって、括弧に入れるか、現前するかが、媒介であるか、媒介でないかと関わってくる。
三位一体説に於いて、天使は媒介なのか?

そしてまた、山内に戻ってくる。ということは、藁谷の議論であり、

伝統的存在論とその論理構造 藁谷敏晴

また、カントを考えることとなる。

『天使は針先で躍らない。踊るのは悪魔だ!』との言葉が踊る。
「堕天使」がなぜ、悪魔なのか。


つまり、背理法ということがある。

P を仮定すると、矛盾 ⊥ が導けることにより、P の否定 ¬P を結論付けることは否定の導入などと呼ばれる[2]。
  
これに対して ¬P を仮定すると矛盾 ⊥ が導けることにより P を結論付けることを狭義の背理法あるいは否定の除去ということがある。
  

背理法 -Wikipedia(否定の導入から転送)

  1. 媒介でない
  2. 媒介である
    1. 天子である
    2. 悪魔である

ことが背理法を使って言えるかである。

排中律や二重否定の除去が成り立たない直観論理では、狭義の背理法による証明は成立しないが[3]、否定の導入や、¬¬¬P から ¬P を結論することは、認められる。

これは、¬の推論と⊥の推論を形式的に扱って導けることを意味している。
 

は、「否定の推論図」中、”¬int”(否定の導入)を意味する。


P=P⋀P
¬Pint¬P ∨ ¬P(⊥)
¬¬Pint¬¬P ∨ ¬¬P(⊥)
であるであるとき、
¬¬¬Pint¬{¬¬P} ∨ ¬{¬¬P}(⊥)intt¬{¬¬P} ⋀ ¬P
=¬{¬{¬P} ⋀ ¬P} ⋀ ¬Peli¬⊥ ⋀ ¬Peli¬P |¬¬¬P=¬P


これはもちろん出鱈目である。
よくわからないので、イメージを掴むために、出鱈目に弄って見たのだ。
そもそも "=" なのかもわからない。
上の式中、(⊥) は「否定の導入」の推論図全体を含意しており、それから、推論図中の所与の前提である "¬P" に遡れることを入れてみたが、だいたい、それが"and"(⋀)の推論図が(仮に)妥当なのか、"implies"(→)の推論図が(仮に)妥当なのかもよく知らない。

6種の論理記号を操作して結論を形式的に導ける。

implies and or not all exists

これらについて(形式的に) ”introduction”(導入。図中は、int )と ”elimination”(消去。図中は、eli)を繰り返して、或る前提を仮定したときの相応の結論を導く証明を(形式的に)記述できることとなる。

ということは、∀の推論図も、∃の推論図も同様にあって、

  • P(a)int∀xP(x)
  • ∀xP(x)eliP(t)

が言える。

プログラミングにおいては、自由変数とは関数の中で参照される局所変数や引数以外の変数を意味する。

自由変数と束縛変数 - Wikipedia

このとき、「プログラミング」を「述語論理」、「関数」を「論理図」に置き換えると、∀int の論理図中の ”a” は自由変数である。

同様に、

  • P(t)int∃xP(x)
  • ∃xP(x),[P(a)]Celi

が言える。∃eli の論理図中の ”a” は自由変数である。

markovproperty.hatenadiary.com


シェークスピアからジョン・ブール、ブールからチャールズ・ドジソン、ドジソンからラッセルと行きたいが、何か違う。むしろ、ヴィトゲンシュタインか。しかし、ヴィトゲンシュタインは、どうも、ライプニッツの系譜だ(ニュートンの学統とは異なる。ギリシャ哲学の受容の系統が異なる)。

ブールは不思議な人で、スピノザをよく研究した。
スピノザは、ユダヤ人で、新プラトン主義者だったらしい。

多くのユダヤ人がスペインから(次いでポルトガルからも)脱出した(約10万人を超えると言われている)。このようなイベリア半島がら逃れてヨーロッパ各地に広がったユダヤ人は、セファルディウム(セファルディ=ヘブライ語でスペインの意味)といわれれた。

コンベルソ | 世界史用語解説 授業と学習のヒント

この親の子である。

幾何学的秩序によって論証された」

が有名であるらしい。

ブールはスピノザ

 

”Mens humana adaequatum habet cognitionem aeternae et infinitae essentiae Dei”
Prop. xlvii., Part 2nd

  人間の心は、神の永遠かつ無限の本質について十分な知識を持っています。

“Omnis idea quae in nobis est absoluta sive adaequata et perfecta, vera est;”
Prop. xxxiv., Part 2nd

  私たちに内在するイデアは、超越的で、十分で、欠けるところのない真実です。

これがプラトン主義の「一者(流出)論」を指すらしく、論理学的には、自由変数を企図することとなるだろう。

“Idea vera debet cum suo ideato convenire.”
Axiom vi., Part 1st

  正しいイデアはそれを意味するイデアと一致する必要がある。

このsuoを英語にするitsで、itの所有格であるが、「所有格」は歴史的に見て、副詞的に扱われてきたらしい。すなわち、onceやalwaysの”s”も所有格(属格)の名残であるらしい。その”s”であるから、itが何かを形容しているのだろう。

De natura rationis est res sub quadam aeternitatis specie percipere”
Prop. xliv., Cor. ii., Part 2nd

  「無限」の内に現れる或る外観で根源を認識することが理性の機序である。

これがあの有名な「永遠の相の下に」である。
相当わかりにくくなっていて、res≒thingsよりもres=matter=mother=Godだろう。
「無限」が何かしらの表現を持つから、それを通じて、神を知ることが理性の働きだと言っているだけなんだ。これが新プラトン主義の説明になっていることが本質的だ。
前の前の文に、”aetetnae et infinitae”とあって、「永遠」と「無限」を分けるべきかは、神学的な問題があって、つまり、時間に始原があるかないかにどう答えるかで、正反対の立場になる。それがアヴィセンナによる(哲学者への)反証だ。新プラトン主義者は「ある」と答えるのではなかったか?そして、それが、プラトンアリストテレスの真空への考え方の違いだろう。「真空」を認めるとは、神と述語の問題だったのである。これは保留にしておく。

それを形式的に考証したのが、以下の連立方程式である。

結論の一文だけ引用すると、

One substance may, therefore, conceivably be distinguished from another by a difference in some of its attributes, while others remain the same.



(PP.165-166,Project Gutenberg’s An Investigation of the Laws of Thought, by George Boole