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本を整理しようと思い立ったら、コンサツなことになってしまった。

いろいろ読んでいたら、要は、

  1. 数学の意味がわかるのは、大学以降である
  2. 高校までは、(或いは、大学へ行って間に合うように)訓練して使えるようになっておくと(四方都合が)よい
  3. 数学の意味はわからずとも、(数学の)文脈は在る

ここから

  1. 解く数学
  2. 考える数学
  3. お話する数学

という考え方も生まれるのであるが、高尚なことをいったところでどうせわからないのであるから、使えればいいじゃないか、とプラグマティックな考え方に沿っている。

外積なら、電力会社から請求書が届いたときに、書いてある内容が分かれば便利である。どうも巷間の「使える」は、「仕事でお前をこき使える」となりやすく、「職場でのふるまいを考えたときの、お得感」という、ポジションの政治に傾きやすい。電気代の方も心配していただきたい。

それはいいとして、3のお話する(文脈化する)数学には、どうも三種類ある。

個人的好みから言って、一番好きなのは、

であるが、

 

 

  1. 機械的(Mechanical)
  2. 比喩的(Figurative:through the process of episodization)
  3. 言語的(Predicate logical)