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本を整理しようと思い立ったら、コンサツなことになってしまった。
いろいろ読んでいたら、要は、
- 数学の意味がわかるのは、大学以降である
- 高校までは、(或いは、大学へ行って間に合うように)訓練して使えるようになっておくと(四方都合が)よい
- 数学の意味はわからずとも、(数学の)文脈は在る
ここから
- 解く数学
- 考える数学
- お話する数学
という考え方も生まれるのであるが、高尚なことをいったところでどうせわからないのであるから、使えればいいじゃないか、とプラグマティックな考え方に沿っている。
外積なら、電力会社から請求書が届いたときに、書いてある内容が分かれば便利である。どうも巷間の「使える」は、「仕事でお前をこき使える」となりやすく、「職場でのふるまいを考えたときの、お得感」という、ポジションの政治に傾きやすい。電気代の方も心配していただきたい。
それはいいとして、3のお話する(文脈化する)数学には、どうも三種類ある。
個人的好みから言って、一番好きなのは、
であるが、
- 機械的(Mechanical)
- 比喩的(Figurative:through the process of episodization)
- 言語的(Predicate logical)