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- Some new cakes are unwholesome.
- No nice cakes are unwholesome.
から求められる結論はこうだ。
Some new cakes are not nice.
「新しいケーキのいくつかはよくない(まずい※)」ということである。
※二値が排中であるので、よい:美味しいならば、よくない:まずいである。
不思議な話だ。盤面上の情報を読み取ると、
- (不健康なケーキの中には)新しく、美味しいものが、ない(0/⊥)
- (不健康なケーキの中には)古く、美味しいものが、ない(0)
- (不健康なケーキの中には)新しく、不味いものが、ある(1)
- (不健康なケーキが)古く、不味いか、わからない(∅)
- (健康なケーキが)新しく、美味しいか、わかならい(∅)
- (健康なケーキが)古く、美味しいか、わからない(∅)
- (健康なケーキが)新しく、不味いか、わからない(∅)
- (健康なケーキが)古く、不味いか、わからない(∅)
問題がいくつもあるのだが、ひとつは、
- All new cakes are unwholesome.
- No nice cakes are unwholesome.
から求められる結論はこうだ。
All new cakes are not nice.
「新しいケーキはよくない(まずい)」ということである。
上の3との比較で言うと、
3’.(不健康なケーキは)すべて新しく、不味い(2)
このとき、7との比較において
7'.(健康なケーキが)新しく、不味いか、わからない(∅)
ことが言えなくなってしまう。
これは、すべて主体化されている、ということであり、ドジソンの謂う、"Subject"(主語)と"Predicate"(述語)の意義がこのとき問われている。
真空を認めることと光は関係が深い。
真空を認めることに拠って、否定形の「とは言えない」を論理に組み入れることができたのである。
物質的空間は有限で、それを超えたところに空虚な空間があると述べている。後年のニュートンにとってそうであったようん、クレスカスにとっては、空間は諸事物の無限の容器だったのである。
P.228,アリストテレス主義とその反対者たち,ユダヤ哲学
真空を認めることは、空間を物質から独立に考えることで在り、媒質を必要としない、指向性を認めることである。
以降、ニュートンの権威も手伝って18世紀においては、光の粒子説が受け入れられ、レオンハルト・オイラーを除いては光の本性について議論されなくなった[7]。
「光」が情報であるとき(少なくとも、神学的には、そうである。)、情報は ∅(真空)を認めることで、連立方程式が成り立つはずであった。
また、フロギストン説は当時、化学者以外の知識人の間でも評価が高かった。その理由として、フロギストン説は魂や生気などといった概念を持ち出さず、フロギストンという物質で物事を説明した点[16]や、この説により広い範囲の化学現象が説明できた点[51]などが挙げられる。イマヌエル・カントもこの説を大いに評価した[51]。
しかし、その連立方程式は、矛盾を克服できないようだ。
このとき、「述語」の意義が問われる。
「無限」「真空」「指向性」「述語」と来ているのに、誰が何を言っていたかわすれてしまって、考えがうまくまとまらない。