暫定に過ぎないけれど
# | 巻数 | タイトル | 妖怪 | 巡礼聖地 |
01 | 1巻 | 発端の巻 | 死霊 | |
02 | 1巻 | 百鬼丸の巻 | 隠れ里(今昔百鬼拾遺)、大首(今昔画図続百鬼) | 太田の大栃 |
03 | 1巻 | 法師の巻 | 平泉寺白山神社、平泉寺城郭跡 | |
04 | 1巻 | 金小僧の巻 | 2-3 | 2-4 |
05 | 1巻 | 万代の巻 | 2-3 | 2-4 |
06 | 1巻 | 人面瘡の巻 | 2-3 | 2-4 |
07 | 2巻 | 無残帳の巻 | 2-3 | 2-4 |
08 | 2巻 | 妖刀の巻 | 2-3 | 2-4 |
09 | 2巻 | ばんもんの巻 | 2-3 | 2-4 |
10 | 3巻 | 白面不動の巻 | 2-3 | 2-4 |
11 | 3巻 | 鯖目の巻 | 2-3 | 2-4 |
12 | 3巻 | 地獄変の巻 | 2-3 | 2-4 |
13 | 3巻 | 二ひきのサメの巻 | 2-3 | 2-4 |
14 | 4巻 | しらぬいの巻 | 2-3 | 2-4 |
15 | 4巻 | 無情岬の巻 | 2-3 | 2-4 |
16 | 4巻 | ミドロの巻 | 2-3 | 2-4 |
17 | 4巻 | どんぶりばらの巻 | 2-3 | 2-4 |
18 | 4巻 | 四化入道の巻 | ねずみ、蛙、かわうそ、もぐらの化け物。鉄鼠(画図百鬼夜行) | 法恩寺山(越前禅定道)法音教寺跡祠※ |
29 | 4巻 | ぬえの巻 | 鵺 | 高尾城、槻橋城※ |
でも高尾城の位置は、
高尾城址見晴らし台 - 2021年09月05日 [登山・山行記録]-ヤマレコ
白山より野田山の方がよほど近い。
最期は、富樫家の歴史を考えると、平泉寺なのか高尾城なのかほかの城なのか。
或いは、一向一揆だから、鳥越城なのか。
最終巻で海に出る回もあるから、どこをどう移動しているかもよくわからない。そもそもの始まりこそ、平泉周辺から白峰あたりなのか。それとも比叡山なのか。
明らかにモデルがあるはずなのに、何をモデルにしたかが無知でわからない。
槻橋城 槻橋重能の忠義 | お城解説「日本全国」1300情報【城旅人】
最期の1コマは、円覚寺舎利殿(神奈川県鎌倉市)、正福寺地蔵堂(東京都東村山市)に似ている。ゆかりのある大乗寺ではないように見える。
国宝-建築|円覚寺 舎利殿[鎌倉/神奈川] | WANDER 国宝
[48]について
48組、48手、48癖など考えられるが、
そうすると、
[物語性について]
から、
だろうか、と思えてくる。或いは、
かと思うのは、
白峯が出てくるからだが、趣が異なる。
身体の喪失の意味については、
平安朝文学における身体の主題 : 足と沓をめぐって(<特集>古代文学と身体)
『ブラックジャック』のピノ子(ピノキオ)を思い出させるような施術を百鬼丸が受けるのだが、『どろろ』ではそれが、むしろ神秘的な力の獲得につながっている。
身体性の回復は神秘の喪失と裏腹である。百鬼丸自身が妖怪であったところ、妖怪を退治してその神秘性をはがしてゆくたびに、それが自己にも反射するような進行になっている。
以前流行った漫画に『寄生獣』があったが、身体の喪失の意味について、何かしら語られていただろうか。
『大菩薩峠』では、かたき討ちから大乗仏教、ユートピア論へ移行し、農耕主義で「未完」のまま終わったらしい。
『どろろ』は上人殺しから始まり、「隠れ里」或いは神や修験道が鎌倉仏教へ至り、一向一揆(どろろ)と禅(百鬼丸)に分かれるような趣である。
刀をモチーフに不動明王と菩薩の関係を思わせ、最終話では、どろろも百鬼丸も刀を必要としなくなる。法然は初めて「一般の女性にひろく布教をおこなった」らしいが、
日本仏教史上初めて、一般の女性にひろく布教をおこなったのも法然であり[注釈 12]、かれは国家権力との関係を断ちきり、個人の救済に専念する姿勢を示した[12]。
それがどろろと百鬼丸の別れ(と再会)の性への拘りとどう繋がっているか、手塚治虫がどう考えていたのかよくわからない。
そもそも、一向一揆に武士と農民の対立などあったのか、その(「百姓」ではなく)「農民」感にも疑問だが、手塚は古い歴史観を以て「士農工商」を信じていたのだろうか、「士農工商」どころか江戸時代より前の話なので、倒錯しているようにも見える。
『大菩薩峠』の農耕主義に関しては、大衆小説であるところ、(その前の満州に「ユートピア」を期待するところからしてそうであるが)社会に迎合していたのは、以前見たとおりである(国会の議論と学校)。これは著者の思想性というより、エンターテイメントとしてモチーフの見つけ方のことだろう。
ただ、最後に円覚寺というのは、これが夏目漱石などの参禅の場となっていたことを考えると、なぜそちらへ逆行したのかが興味深いところである。
それについて、手塚治虫自身が、『どろろ』の物語の終わらせ方に関して述べたときに触れていたように思うが、どうだったか。
そう言えば、折口信夫は
を述べたが、『どろろ』に沼の描写が多いことも特徴のひとつかもしれない。
乗船寺のインドボダイジュ | NPO法人 縄文の森をつくろう会 公式ブログ
第1巻『百鬼丸の巻』の最終コマに一番近いのがインドボダイジュのような気がするが、白山の巨樹では、インドボダイジュ(クワ科イチジク属インドボダイジュ種。ボダイジュはアオイ科シナノキ属ボダイジュ種)が見当たらない。
しかし、養蚕が盛んだったので、桑かと思ったが、
互生・対生・輪生とは?葉の付き方の特徴・違いやメリットを解説! | BOTANICA
葉の付き方が、
インドボダイジュの花言葉|意味や種類、花は咲かせるの?|🍀GreenSnap(グリーンスナップ)
ではなく、
樹木シリーズ⑳ トチノキ | あきた森づくり活動サポートセンター
車輪上に広がっているので、トチノキかもしれない。インドボダイジュは耐寒性が低いということなので、白山には難しいのかもしれない。
沙羅双樹でもなさそうである。