『どろろ』になぜ、池の描写が多いかについての一つの可能性。
加賀と能登(出版者 石川県 出版年月日 大正15) - 国立国会図書館デジタルコレクション
これは関係ないけれど。知る人ぞ知るソ連アニメの巨匠。
梶原一騎であれ、手塚治虫であれ、梶原の「熱血」であれ手塚の「生命」であれ、戦後のサブカルチャーが戦前の社会思想のどのような影響のもとにあるかは興味深い。
ちなみに、
梶原 一騎 1936年(昭和11年)9月4日 - 1987年(昭和62年)1月21日
安部 譲二 1937年(昭和12年)5月17日 - 2019年(令和元年)9月2日
梶原仲治は安倍譲二の祖父である。2人ともボクシングの経験者である。
交友関係に梶原一騎は出ていない。面識があったかどうかはわからない。
1936年生まれ・昭和11年生まれの小説家(海外出身の人物を除く)
あくゆうも居る。
「少年画報」昭和28年11月号にも、大映から写真を提供されての『キングコング』紹介記事があった。
— #NoWar(人民)HiroshiHootoo (@HiroshiHootoo) December 17, 2017
ちなみにこの号には、当時高校生だった梶原一騎のデビュー作『勝利のかげに』が掲載されている。
この14年後、彼は高森朝雄名義で「週刊少年マガジン」に漫画『キングコング』の原作を書くという奇遇。 pic.twitter.com/yTXDhgKGsQ
梶原一騎の「熱血」のはじまり。梶原の「熱血」も「生命主義」のひとつの帰結であるのではないかと思うが、どういう小説で、誰の影響を受けたのだろう?
手塚は、大正からの芸術運動に広範な影響を受けて居るように思う。映画は有名であるが、写真の技法、グラフィックデザインなども意欲的に取り入れたと思う。それが白土三平と分けたように思う。思想的には「大正生命主義」で、これが「日本主義」「太陽主義」と派生したように、習合的でありまた混合的※だったのだろう、後に、アヴァンギャルドの影響なのかよくわからないが、そういう画も見られるが、それは思想というより単純にエンターテイメントの要請による画への興味だったように思う。
※習合的というと、そもそも日本の仏教の伝来が隋における在野思想との葛藤をうけいれたものだったろうが、大正生命主義の原因のひとつである大正新仏教は西洋哲学との混合が試みられている。世界的なオカルトブームということもあったが、仏教自体が世界性の再獲得に向けて革新を図っていたのではないかと思う。ただ、手塚の場合は、その直接の影響というより、後の世代(或いは、「生活」)からの再解釈という意味合いだったのではないかと思う。そういった意味で、「熱血」を生んだ梶原と「生命」へ立ち返った(そこが白土三平と異なり、一方で、三島由紀夫と比較される点である。)手塚は対照的であるように思う。
やはり、『火の鳥黎明編』『どろろ』『ブッダ』そして『ブラック・ジャック』なのだろう。『どろろ』は白土的な理想を追い求めずに、(修験道から始まり)鎌倉新仏教の分岐を背景に置いて終わった。そのあと『ブッダ』を描くのである。
それにしても「割れた眼鏡」のモチーフは誰が最初なのだろう?