「受け止め。」に歴史あり

newspicks.com

コロナか。とまぁ、一言だけ、突っ込んでおいて。

いや、貴方、旧ジャニーズ事務所批判の急先鋒だったでしょ。

そもそも、最近のマスコミ用語に過ぎない「受け止め」なんて日本語は変だろう。

少し前には、「がわたしの受け止め方」と言ったのだが、

銘刀光世由来 : 米一丸外伝,今村為雄 (外園子) , 積善館 , 明24.12 - 国立国会図書館デジタルコレクション

明治の物語の調子じゃないんだから。

www5e.biglobe.ne.jp

著者が実は、玄洋社社員だったという。

玄洋社 - Wikipedia

実は、愛読書だったのだろうか?

nowcast.co.jp

あら?

たまたまでしょう。関係はまったくわかりません。

022 保育場面における子どものサインとその受け止め(その1) - 国立国会図書館デジタルコレクション

1D-02 仮説実験授業を通じた学習者の科学的認識の獲得状況 : 教師の指導法・指導効果の受け止め(一般研究発表(口頭発表)) - 国立国会図書館デジタルコレクション

もともとは、教育現場の用法だったのかな?90年代から徐々に教育現場からその他の公的部門に用法が広がっていっただろうか?

幼児教育から発信されたなら、わかりやすい。認知が未熟で、「(受け止め)方」を理解するまで精神が発達していない。曖昧模糊として、主観的要素が強い(「受け止め方」というときの「方法」は客観的な説明である)。

明治時代の物語の方は、単純に、「調子」(表現)に過ぎない。


「講談調」というのではなく、そのような表現が流行っているのは、変な時代になったものだと思いつつ、これほど「今」を表現している言葉もない。

すなわち、若干高尚な「エモ(い)」なのだ。
「エモい」が決して若者特有の発想ではないことの証明。

ただ、主観で他人を断罪してもらったら、困るね。