今日のNew Chat(ChatGPT)

 

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「」内のフランス語の文章の叙象 (subject)、叙称 (rhetoric)、叙照  (style)、叙在(ontology)を説明してください。「Le langage n’est-il qu’un outil?」

叙照(Style)は、文章の表現方法や文体を指します。この文章の場合、叙照は「Le langage n'est-il qu'un outil?」というフレーズの明快な表現や、疑問文という文体の選択などに関わる要素を指します。

 

との回答を得た。

PP.6-7,生徒用教材『学習課題ノート』見本
令和5年度版 高等学校国語教科書のご案内|三省堂

文体ということの意味がピンと来ていなかったのだが、”Le langage n’est-il qu’un outil?”という問いだとなるほど問い方に意味が出るようだ。
仏蘭西出羽守を気取るつもりはないが、歴史があるだけに、問い慣れているらしい。
それだと戦前の「綴方」なのかな?と思ってしまう。フランス語はいろいろな人がほめているだけあって、結合操作の妙というか、機能的な利便性があるようだ。

 

「綴方」教育は侮れなくて、戦前から戦後にかけてその理想は教育の中心にあったかもしれない。すなわち、「真実」から「科学」を通じて「評価」へ至る道程が「綴方」教育にある。

PP.7-8、戦前生活綴方における教育評価論の構造 : 1930年代の「集団的合評作業」の分析を中心に

16/251,綴方教授法の原理及実際(大正7)- 国立国会図書館デジタルコレクション

16/248,綴方学習上の諸問題と其の解答(昭和4)- 国立国会図書館デジタルコレクション

182/248,同前

454/680,帝国議会衆議院委員会議録 第81囘-3(昭和16-19) - 国立国会図書館デジタルコレクション

これは戦前の「綴方」教育を前史として見るべきではないかと思う。
今までは、「八大教育主張」(大正期の師範学校の運動)から見てきたが、カリキュラム(の実践)から見てもよかった。大正からすでにあり、戦前を潜り抜けて戦後に花開いた。諸「生活」を通じて合理的人格が陶冶される。増淵恒吉と荒木繁の論争は突如起こったものでもなさそうだ。

一方で「読書感想文」はどこから来たものか。
よくわからないが、どうも、2つの根源がありそうだ。
一つは図書館令の改正であり、一つは上の「綴方」と同根の生命哲学の教育実践である(「労作教育運動」と謂ったらしい)。前者は図書館(司書)が主導し、後者は師範学校が主導したのではないかと思うが、よくわからない。

町村其他小図書館管理経営綱要 (昭10)- 国立国会図書館デジタルコレクション

労作教育による各科生活指導の実際 (昭和8)- 国立国会図書館デジタルコレクション

詳しくはわからないが、それが戦後のカリキュラムに新設された「自由研究」に引き継がれたようだ(昭和22年の学習指導要領)。
図書館の方でも、戦後の復興とともに、年中行事として「読書感想文」を復活したようだ。ただ、こちらは、「映画感想文」もあったらしい。確かに映画上映会は図書館事業の定番である。

 

 

—読書感想文はいつ始まったのですか

読書感想文は、日本の教育現場で比較的最近の時期になってから定着した課題の一つです。正確な始まりについては明確ではありませんが、日本の学校教育においては、昭和30年代に入り小学校教育のカリキュラムに「自由研究」という科目が新設されたことが、読書感想文が始まるきっかけとされています。

その後、教育改革が進む中で、読書感想文は中学校、高等学校においても課題として課されるようになりました。現在では、日本の学校教育においては、読書感想文は重要な教育課題の一つと位置づけられています。

—昭和30年代に入り小学校教育のカリキュラムに「自由研究」という科目はどういったものでしたか

昭和30年代に小学校教育のカリキュラムに新設された「自由研究」という科目は、学校で与えられたテーマに沿って、児童が自分で調べ、考え、発表することで自己表現力を養うことを目的とした科目でした。

自由研究のテーマは、身近なものや自分の興味関心に基づいたものなど様々で、例えば「家の中の調べもの」「四季の移り変わり」「好きな食べ物」「生き物の研究」などがありました。

自由研究は、児童が自分で問題を設定し、調べ方を考え、調べた結果をまとめ、発表することで、自分で考える力や表現力を育てることを目的としていました。このような教育の考え方は、その後の教育改革にも継承され、現在でも日本の学校教育において大切にされています。

 

 

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末弘厳太郎 - Wikipedia

学会は、末広の時代になったらしく、末広はシカゴに留学したらしい。
有名な『嘘の効用』でアメリカに留学したことを述べるが、どこの大学かはわからない。

嘘の効用 - 国立国会図書館デジタルコレクション

二枚目である。

大日本博士録 第壹卷 - 国立国会図書館デジタルコレクション

末弘厳太郎外二名任命ノ件

大正14年内務省社会局の参与となっている。