検証・学歴の効用                            濱中 淳子

 

 

検証・学歴の効用
濱中 淳子 (著)

はしがき――個人がコントロールできる数少ない地位達成手段「教育」 [i-v]
目次 [vii-xiii]

序章 学歴不信社会の到来? 001
1 増大する学歴の効用 002
2 「学歴の効用」を疑う風潮の広がり 008
3 研究者は何をしていたのか 014
4 本書の構成とデータ 022
注 025

第I部 大卒という学歴を問いなおす
第一章 高卒と大卒は何が違うのか――人材としての質的違いにみる学歴の効用 031
1 「学歴で人材タイプが変わる」という視点 031
2 注目する三つの要因――現職以前の経験・他者との関わり・自己学習 035
要因① 現職以前の経験(転職)
要因② 他者との関わり
要因③ 自己学習
3 同じ学歴でも異なる所得 043
4 高卒人材・大卒人材それぞれの成長要因 046
現職以前の経験の効果にみる学歴間の相違
他者との関わりのなかで成長する高卒/自己学習で成長する大卒
職業領域による違いはあるか
5 効用をめぐる新しい見方――その可能性と意義 053
注 057

第二章 出世する大卒・しない大卒――「学習経験」が学歴内の多様性をもたらす 058
1 分散から考える「学歴の効用」問題 058
2 経済学における二つの理論と「学び習慣仮説」 060
3 みえにくい経済学系の効用 064
4 ミドル以降に上昇する効用 071
5 時間の隔たりが失わせてしまう効用観 076
6 効用があらわれるための「条件」としての学習習慣 080
注 082

第三章 大卒人材と読書 084
1 「自己学習の中核である読書」の効用を考える 084
2 工学系の読書と経済学系の読書 088
3 読書と所得のつながり方 091
所得を高める読書のジャンル
読書版「学び習慣仮説」は成立するか
4 きっかけとしての専門書 101
注 107


第II部 もう一つの学歴社会論――女子・専門学校・大学院
第四章 女子と学歴 111
1 女子の進学という未解明問題 111
急増した大学教育への進学需要
吟味が必要な理由
「学歴効用の解明」と「進学行動の解明」という二つの課題
2 女子高等教育の経済的効用――正規社員・非正規社員・結婚 118
正規社員として働く女子にとって有利な学歴
非正規社員にとっての経済的効用
結婚市場での価値
学歴の経済的効用はどの領域で顕著か
3 経済合理的に説明できる進学需要の変化 126
従来型(男子)モデルによる分析
労働力追加モデルによる分析
4 「女子の高学歴化」以降の課題 134
注 136

第五章 専門学校への進学は「得」なのか 138
1 「第三の進路先」としての専門学校 138
2 政府統計資料による分析の限界と本章のアプローチ 142
3 専門学校卒業者が従事している職業 146
職業の分布――「要資格職」への従事という特徴
「専門学校卒→非資格職」といういま一つのルート
4 専門学校教育の効用分析 152
経済的効用はどのようなものか
要資格職への従事が高める職業意識
5 「期待できる効用の範囲を知る」ことの重要性 159
注 161

第六章 院卒という学歴は「使えない」のか 164
1 注目されはじめた院卒学歴問題 164
2 院卒就職の厳しさ 166
安定雇用に就かない者の比率
文系では認められない経済的効用
安定までの道が遠い研究者ポスト
3 背景としての政策と現行の対応策の不十分さ 172
4 データにみる院卒学歴の強さ 177
修学費にみる「強い学習意欲」
「企業が用意できない教育機会」を補う機能
フレームワークの修得」
「考えることの練習」の場としての大学院
5 状況改善のかすかな兆し 188
注 190


第III部 「学歴の効用」の認識社会学
第七章 学歴不信社会の源泉――三つの社会的要因 195
1 「なぜ、不信が芽生えるのか」という問い 195
(1) 大卒学歴の効用は増大している(序章)
(2) 高卒と大卒は「異質な人材」だとみなすことができる(第一章)
(3) 大学時代をどのように過ごしたかが、経済的効用を左右する(第二章・第三章)
(4) 女子にとって大学進学は、「オールマイティー」な効用をもたらす(第四章)
(5) 専門学校の効用は、資格につながる領域に限定して確認される(第五章)
(6) 院卒学歴の効用は、現段階では小さいが、注目される教育機能もある(第六章)
2 効用低下の実体験 200
3 妥当な試金石の欠如と報道の影響 207
4 速すぎた高学歴化 213
注 217

第八章 学歴と「健全に」向き合える社会へ 219
1 学歴好きの学歴嫌い 219
2 諸悪の根源は、入試? 222
3 大衆化育ちの大衆嫌い 225
4 教育を軽視する社会――地に足がつかない「北欧好き」 228
5 普通の子の学びを見守る「健全な」社会へ 233
注 237

あとがき(二〇一三年四月 濱中淳子) [239-243]
文献 [v-xiii]
索引 [i-iii]

こういうことも「高1問題」(文理選択)に向き合うときに教えてよいかもしれない。

こういう感じだろうか。

  • 受験は「スポーツ」である
    1. 規範(ルール化)効果がある
      1. 独立性がある
      2. 競技性がある
      3. ゲーム性がある
    2. 訓練効果がある
    3. 記憶効果がある
      1. 蓄積効果がある
      2. 定着効果がある

これを十分踏まえないから、進学後に評価に悩むことがあったりするのではないだろうか。ありていに言って、それは動機の錯誤の類で、

動機の錯誤とは、法律行為の基礎とした事情についての認識が真実に反する錯誤をいいます(95条1項2号)。意思と表示の不一致はないけれども、意思表示にいたる動機に関して誤信・思い違いがあった場合です。

たとえば、駄馬を受胎馬と誤信して購入したというように契約の目的物の性状に関して思い違いをしていた場合や、他に連帯保証人が存在すると信じて保証契約を結んだが実際にはいなかったというように契約内容そのものではなく契約締結にいたった前提事情に関して思い違いがあった場合がこれに当たります。

錯誤 | 簡単に学ぶ民法

学問的方法論とその意義については、 他から独立した 、、、、、、、 体系として

  1. 基本から
  2. 初めて

学ぶのであるから、せっかくの好奇心や意欲は、先生が予定している一通りの、学問を定立するための基礎を習得するまでは抑えて、それを再考し、咀嚼したことではじめて、質問が、学問に対するものとして正当な「質問」になるのだと理解してよいと思う。まずは良い追随者にならないと駄目だよ。

受講している最中に、先生の言及した、或る、具体的な事がらに対して、「質問」対象として、とりあえず自己評価をし、すなわち、先生が教えてくださった事がらを自分はどう理解したかを表現し、それについて、自己の評価軸に照らして評価したときに齟齬が生じていることに関して、自分はどう考えているかを附せば望ましいけれど、その評価を自己に惹起する効果が学びの効果であり、その反射的性質にあっては、まずは感謝の念を持って応え、しかし、その依って立つ評価軸は、大学で学ぶこと自体であって方法論的に確固としたものである必要があり、学生には(当然)往々にして不十分であるから、何が自分に不足しているかを捕捉する意図を持って質問することが望ましい。

もちろん、そんなことばかり言っていたら、巷間よく言われる「日本の学生は大人しい」との  を強化するだけだから、疑問に感じたら質問を旺盛にすればよいけれど、

  1. わからないから質問をするのだ
  2. 質問もひとつの対話で在り、態度評価がある

ことを忘れてはならない。2について不満があるかもしれないが、それは、先ほどらい述べているように、(或る、具体的な事がらのみならず、むしろそれゆえの、或る学問体系全体への)理解不足を補うための質問であって、そもそも対等な議論ができる能力を欠くことを念頭に置かなければならない。要は、「理解」に替えて「態度」で質問するのだ。 それくらいしか学生にはできないから 、、、、、、、、、、、、、、、、、 だ。それくらい能力に差があって「当たり前」と思わなければならない。

悔しかったら、せいいっぱい勉強するしかない。それ以外の方法などない。
もう高校生ではない 、、、、、、、、、 のだ。


(おそらく)大学へ進学しない生徒(も多い学校に通う生徒)の社会的基礎に関して。