「誠心誠意」の(「思想性」ではなく)「思想」性

各国のお粗末さ、欺瞞ぶりは、今でもすでにそうだが、これから次から次に露見すると思う(から、相互主義ではない真理主義に反発する気持ちがわからんではないが、いつものように言説のフェーズが異なるので、かみ合わない)。
『思想があって、哲学がない』とはこういうところで現れる

実は、明治期に哲学はあった。 

武士道 (岩波文庫 青118-1)

武士道 (岩波文庫 青118-1)

 

 「道」(思想)を「學」している。もちろん、「騎士道」を意識している。
これを『真実ではない』と考えるとき、それは(哲学ではなく)思想を求めているのだろう。つまり、それは『真実ではない』と考えているのではなく、(純粋ではない)まがい物と捉えている。それは「原罪」の感覚に近いと私は思う。
これができたから「明治はすごい」のだと思う。
今はこれができなくなった。
というより、内陸部へ進みドイツに傾倒するあたりから、(特にドイツの)神秘主義(の濃厚な影響を受けたロマン主義から啓蒙主義への流れや世界主義)との距離の取り方(とりわけ、言語理解ー中間的意味の処理の仕方)を間違えてあやしくなる。
件の新聞だって、現代のロマン主義じゃねえのか?

 

markovproperty.hatenadiary.com