漱石の心情2

この文章は、夏目漱石正岡子規を偲んで記したものである。子規は闘病のかたわら「写生」を唱えて短歌・俳句の革新運動を行い、三十代半ばで逝去した

 

2021東大国語/第四問/解答解説|国語王☠️|note

 

 

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さて、問題は「子規の心情」である。

いや、その前に、問題文から漱石の文章まで丹念に読んでみる。
内容が豊富で、圧倒される。

ざっと概観すると、「写生」を目指した子規の写生が、俳句と違って、ある境地に達していないため拙いと評する漱石のふるまいが、いちいち花びらを数えてみるなど、「拙い」のである。それが「東菊」と「火の国」の距離を超えんとする二人の関係を説明していて「興味深い」。

 

一文一文が本当に考えさせる文章で、すごい文章を選んできたねとあらためて感心する。一文一文を順に見ても好いのだが時間がない(こういうのはだいたいが間違えを誘発するのだが。拙くて申し訳ないが、読解には手間を惜しまない方がよいと思う)

 

 例えば、『省略』がひとつのテーマなわけだが、子規のやろうとした「省略」への漱石の解釈を述べている。『省略』とはもともとは馬琴の言葉だと思うが、それはわきに置いて、漱石の述べるところをみると、『捷径』(ある物事に通達する、手速い方法)だと言う。『一線一画』の『作用』で、故に『瞬間』に『優に始末をつけられる』ことである。同じように写生であるはずの俳句における『一線一画』は何だったのか。

東菊活けて置きけり 火の国に住みける君が帰りくるかな

この情景だからこそ持つ『瞬間作用』は何だろう。言葉が本来持つ時間制を以てなお対比という図柄としてとり上げられて『瞬間』的である『矛盾』。ここにもひとつの矛盾がある。漱石が子規を評して述べた、子規本来の『いかにも』(どのような方法を以てしても、どのような場面においてすら)発揮される『性情』を無視した『矛盾』と何が違うだろう。ここに心情がある。

一方でこの文章に面と向かってつらつらと時間をかけてみると気づく、漱石の『省略』とは接続詞の簡略化であり、その『捷径』は、『単簡』が『簡単』に至る意味にかかってくる。それがどうも漱石における『一線一画』のようである。漱石は『科学』を指向したはずであるが、なるほど、科学もいちいち『真面目』ではない。どのようにして『真面目』ではないのか。ここでは『一線一画』の持つ「意味」(含意されること。)ととりあえず考えてよいのではないだろうか。そうすると漱石の文章を読むのには、一文一文が何を含意しているのかを考えざるを得ない。
いかにも拙いのであるが、なに、漱石だって子規の画を観るにあっては、一枚一枚花びらを数え、色使いは何色と数えて、『努力』や『根気』を惜しんでいないのである※。その心情たるや、如何。

 

さて、ようやく子規自身の言葉に帰って来る。

これは萎みかけた所と思いたまえ。
下手なのは病気の所為だと思いたまえ。
嘘だと思わば、肘をついて描いてみたまえ。

これにもまた『捷径』があると念じて、『一線一画』を慈しんでみよう。すなわち、対比の図柄で活写される、景色(対比)があるから情動(動き)がある情景を理解する努力を惜しまないのである。

  これを萎みかけたものと思えばよい
  拙く見えるだろうから、病気の所為だと思えばよい
  病気でないだろうから、肘をついて描けばわかる

 ではない。そこに心情があり、この心情は対比に依るアレとコレとを結びつける『作用』であるから、そこに漱石と子規の言い表せない関係がある。それは当の漱石をして『興味深い』と尽きぬことである。
私が着目するのは『嘘だと思わば』を申し訳ない程度に置く子規の弱音である。それは彼の性情に如何にも矛盾すると漱石は感じるだろうが、その惜しまない努力に、漱石と子規の間に東菊が枯れてしまうほどの距離を感じない。『几帳面』で『馬鹿律儀』な筆致は強がりばかりとは言えない。漱石だってこうして子規に弁明しているではないのだろうか。漱石だって嘘をついて強いふりをしているのではない。この一拙字(ひとつの拙い事実)が拙くただあることに寂しさを感じ、そのうえでせめて雄大であって欲しかったと個人を偲んでいる。それが償いになるのであれば、この子規の文にも償いはない(漱石の文にもない)。それはおそらく子規にもわかっているのではないだろうか。私にはそう思える。だからこれは弱音であると思う。

 

ただ、問題文は「特殊」である。

「下手いのは病気の所為だと思いたまえ」(傍線部ア)にあらわれた子規の心情について説明せよ。(2行)

この一連で完成する文章の一文だけ取り上げる意味は何だろう。如何ともしがたいはずの性情に反して『馬鹿律儀』であるこの文章が『やむを得ず省略の捷径を棄て』た『几帳面な糊塗主義』を『根気に実行』したものに過ぎないのは、『自分でもそう』わかっていたのは、『すでに悟入』していたはずのことができない自身の境遇を理解してのことだろう。漱石はそれを一方で才能に求めていたが、子規はそうではないという。なるほど『肘をついて描』けば、『一線一画』に力を籠められない。漱石もそれを受け入れているだろう。拙くも雄大な画は、肘をついた窮屈な姿勢では描き切れないだろうから。寂しいのは子規も同じだったのではないか。

だから、漱石は偲んでいるのであろう。それが彼の償いである。
償いとは本来そうでないもので埋め合わせることである。子規の文には償いがなかったのである。償いがなかったのであるから、ただ愚直なだけである。

おそらく子規にもそれがわかっていた。そこにあるのは寂しさだけである。

 

※一説では、漱石には、こだわりの強いスペクトラム気質があったそうである。