スピノザは「デカルト論者」なのではなくもうひとりのニュートンである

自学教育論 樋口長市 M4(1872) 長野県 米英仏 1-6
自動教育論 河野清丸 2-3 2-4 2-5 2-6
自由教育論 手塚岸衛 3-3 3-4 3-5 3-6
一切衝動皆滿足論 千葉命吉 4-3 4-4 4-5 4-6
創造教育論 稲毛金七 5-3 5-4 5-5 5-6
動的教育論 及川平治 6-3 6-4 6-5 6-6
全人教育論 小原国芳 7-3 7-4 7-5 7-6
文芸教育論 片上伸 8-3 8-4 8-5 8-6
人格主義教育論 渡部政盛   山形県 ルソーの倫理的自由主義フィヒテの主観主義 8-6

 

フリードリヒ・フレーベル - Wikipedia

ヨハン・ハインリヒ・ペスタロッチ - Wikipedia

ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ - Wikipedia

ヨハン・フリードリヒ・ヘルバルト - Wikipedia

トゥイスコン・ツィラー - Wikipedia

ヴィルヘルム・ライン - Wikipedia

ヘルマン・リーツ - Wikipedia

クルト・ハーン - Wikipedia

パウル・ゲヘープ - Wikipedia

 

ここにきて、ようやくわかった。渡部政盛の主著は『』だったらしい。

北一輝と渡部政盛を考えることで、大正デモクラシーのもう一側面も考えやすくなるのではないか。すなわち、「女」「子ども」「地方」に加え、当たり前のことであったが、「庶民」のことであって、「平民」と「庶民」が同じではないときの「庶民」である。「平民」は富裕層を含み、「士族」と対置される。

明治維新を新規事業の総体と考えたときに、マンパワーを支えたのが「士族」である。例えば、「女工哀史」を考えた場合、その時期が問題となる。当初は、社会に範を示すために、「士族」の倫理観が請われて、「士族」もその負託に応えたのだ(少なくとも、そのようなストーリーテラーを準備した)。そのようなときに「女工哀史」が起きるのか?ということである(起きるかもしれない)。これはまさに実証的問題で、したがって、risk負担の問題である。鐘紡は何を変えたかを帰結する。

反対に鐘紡問題を考えたときに、明治維新とは庶民にとって何だったかが反射されるのではなかろうか。

すなわち、「士族」の倫理観としてストーリーテリングされるときに胚胎した社会結合のロジックに対峙して、実在的に〈自我〉を基礎づける主体を〈指定〉してそうして善(〈措定〉)の問題を喚起したのではないだろうか。ならば、明治維新のロジックは、主語構文を持ったはずである。 

こうして、日本とドイツの間にフランスを置いて理解する準備が整った。

主語構文の創始者はルターである。「論理学」を考えるときに出てこないヒトで、イギリス人が  を明確に意識するのとは様子が異なる。イギリス人にとっては、シェークスピアもJ.S.ミルもルイス・キャロルことドジソンも(数学者)もホワイトヘッドラッセルもチューリングもふわっと(同列ではないかもしれないが)同族に扱える。そこへニュートンさえ加えてよいかもしれない(彼がユークリッド幾何学による革新者であることが重要で、彼が行ったことを考えると、ハミルトンやアインシュタインと同族であっても、デカルトオイラーとは同族ではない。それくらい「幾何学的」(な記述)というのはニュートンにとって本質的である。彼は山本によれば引力にせよソ力にせよ『魔術』を復活させたという。これが山本の、オイラーに代表される19世紀的知性の限界であると思う。記述対象としてriskを名辞として求めているのだ。ライプニッツが表現上ニュートンより豊かで記述しやすかったのは偶然ではない。ニュートンの創始した微積分学がコーヘン、カール・グスタフヤコブ・ヤコビ、ベルヌーイ、ワイエルシュトラスに、もちろんオイラーにも、後年洗練させられなければならなかった理由もここにある。riskを明示できなかったのだ)。ドイツ人の場合、ルターは「宗教改革のヒト」で、方法的に言語学を援用したが、フレーゲと同じにすることはできないのかもしれない。もったいないハナシである。科学を作り上げたのはこれらキリスト教徒であって、実験的な発想、幾何的な発想以外に、言語的な発想もその枠組みを提供したのだ。アインシュタインの前に、ハミルトンがいて、ハミルトンの前にニュートンがいて、ニュートンの前にはルターが居たのだ(だから、エラスムスの学統にオイラーが連なる)。イギリスは別に数学の「メッカ」ではない。「いい加減」と言えばイタリア人のことであるが、イタリア人はガリレオ・ガリレイを生んだ(ガリレオ村の太郎ーその程度の標準的な名前で「劉邦」のようなものであるーそう考えると、中国は血縁で欧州は地縁×血縁×宗教縁のようで、変数が多い。ただオッカム村のウィリアムの方がまだ洒落た名前である)。

あぁ、そういえば、カミュ実存主義者ではなかったのであるが、それを言語学的に論証できるかもしれない。これはルターを援用して説明できます。
ルターにとって問題だったのは、「怠惰」です。なぜなら、実在を否定したウルトラオッカム派の彼にとっての鍵概念が(啓示に付随する)能動だからです。これには強弱がります(対峙する普遍論者にとってのパラメータは大小で、これは  の神の存在証明に由緒を持ちます)。これの両系の一方としての「反対」にあるのが「欺瞞」でした。

カミュの画期は、もう一方の反対を置いたことです。つまり、強弱に「負」の領域を与えました。それが「反抗」です。能動でも非能動としての受動でもなく、積極的反「能動」としての「反抗」です。ですから、サルトルの(新)実在論と対峙します。これはあくまで「啓示」があって自然と生じるもので、そういった意味ではルターの能動と同質です。言い換えればルターが憎悪した「怠惰」のうちの一部を積極的に評価したのです。言ってみれば、「好き」の反対にあるのは、それに接続して「好きではない」が論理的には正答ですが、そこに「嫌い」を置いてそれに正当な評価を与えたのです。すなわち、ルターが真面目なキリスト教徒であるがゆえに自明視した評価問題を相対化したのでした。「嫌い」も「好き」と正当において同じ評価であると考えたようなことです。
そう考えると、昨今の「負の  」論はこれをさらにひっくり返して、(正当をひっくり返して)不当な評価を与えていますが、ここで述べたように、  ではありませんから、(ひっくり返すことに依って、)それは恣意的です(が、理解されづらさ、、、、、は、カミュに通じます。カミュを誤解している人たち、カミュがわからないと思っている人たちは、まずこの卑近な「語り」から考えてよいかもしれません。どう反論するかですーその際に、相手方の主張を先どって、仮定的に可能な立論の必要を考えられるか。これはロジックがなければ表現が与えられないとする信念に基づきます)。

カミュは言います。

「事実としてのある状態と、ある種の現実との比較から、ある行動とそれを超える世界との比較から噴出してくる」

アルベール・カミュ - Wikipedia

これはルターの発明が系のdangerに 基づくことから生まれた、すなわち、曖昧模糊とした(結果、解釈の独占を通じて、 の利益を独占する途を提供した)「正当」の系から、回復の系と動員の系の分離に該当します。前者が正義と公平で後者が正統と  です。カミュは回復の系で〈自由〉に考えるはやめて、動員の系で捉えるべきだと言ったルターと同じことを言っています。
ただし、(その上で)ルターの反対のことを述べたのです。
そこにユダヤ人問題がありました。カミュユダヤ人ではなかったようですが、ユダヤ人と疑われたことはあったようです※。

セイン・カミュユダヤ人とする根拠はどこにあるのか教えてください。自分が調べた限りでは、カミュ家はアルザス出身のプロテスタントで、ユダヤ系ではないのですが。—以上の署名の無いコメント

ノート:日本のユダヤ人 - Wikipedia

これを、どこまで信じてよいかわからないが(この証言に依って、直ちにユダヤ人であったともなかったとも言えない)、『アルザス出身のプロテスタント』というのは興味深い。

そこが日本人にはわかりづらい彼の地の事情で、ルターに通底した問題だろうと思います。ただ、無神論者だっただろうカミュが、積極的にユダヤ人の信仰を擁護したわけではないと思うが、神を必要とせずにユダヤ人を擁護するひとつの弁法ではあるだろう。
神学論争ができないゆえにカミュを誤解するのは不当であると信じる。

カミュサルトルの二者間を見た場合にもっとも重要なのは、サルトルの以下の発言であると思う。

カミュの文章は文学的ではあるが主張が曖昧である

カミュ=サルトル論争 - Wikipedia

主題は『主張』である。それが〈指定〉されるがゆえに評価を与えられている。すなわち、『が曖昧』である。ならばサルトルの『主張』は〈自由〉な解釈であるゆえに述語上の〈帰依〉の問題を惹起する。しかし、それが本当に〈自由〉であるかを、その〈自由〉が実在論であるがゆえに〈帰属〉から指摘できたのがカミュである。だから、カミュソ連を挙げる。

それは二人の問題であるのでそれ以上は言わない。
ここで取り上げるべきなのは、むしろ以下のサルトルの言葉である。

カミュの言う「人間的自然」とは何か。

カミュサルトル論争-Wikipedia

ここで、渡部政盛に繋がる。彼も『自然』をその「語り」(まだ、ロジックと謂えるかどうかは判然とせず、表現のレベルで考える。)の鍵概念として援用していたからだ。

その前に、渡部の論争に原型を与えたドイツ人たちを見なければならない。
渡部がルソーとともに直接の影響を言及した、もう一人の誤解を受けた人物フィヒテである。
無神論論争 - Wikipedia

フィヒテの前にスピノザが居るらしい。なんとも面倒くさい連中だ。渡辺政盛や北一輝を持った日本の〈まとめサイト〉或いは〈三酔人(問答形式)〉の文化的伝統はありがたい。

汎神論論争 - Wikipedia

これは経緯を述べる解説論理であって、事情をうかがい知るには好都合だが、何をいっているのかさっぱりわからない。
ひとつわかったのは、それがドイツロマン主義をうんだことである。
これは鍵である。
つまり、新しい実在論を生んだのであるから、バランスをとるにはこれが唯名論に連なるかをみればよい。仮にその原型をもたらしたにしても、新旧で異なるのだから、そこに唯名論がかかわってくるはずである。
神学論争ができないとは、かくも理解に際して破綻的である。

さて、スピノザである。スピノザはこれに尽きる。

代表作『エチカ』は、副題の「幾何学的秩序によって論証された」という形容が表している

バールーフ・デ・スピノザ - Wikipedia

スピノザはもうひとりのニュートンである。
そう思って、スピノザを経歴を再ファイリングしようと試みると。
やっぱりニュートンと似ている。
オランダのユダヤ人であるところが、学統的に誤解されたのだろうか。
むしろ、ユダヤ人でありながら、伝統的でなかったのであるから、ルターの嫌悪したユダヤ人の反対である。
それでいて神を信じたのであるから、ニュートン唯物論者でないように、スピノザ無神論者ではない。ただ、世界は幾何学的な系にあると信じたのだ。
それだけのことではないか。
したがって、オランダ人ではあるが、エラスムス人文主義の学統ではない。したがって、「デカルト論者」でないが、それはニュートンも同じである。
要はむしろ、「機械論者」なのだが、実在性を否定したのだ。
したがって、プラトン主義者でもない。むしろアリストテレス論者であるではないか。ここで下の言葉が活きて来る。

よろしい、ではアリストテレスの定義を聞いてみよう・・・
”論理学とは新しい必然的な推論である。
新しいとは、これまで知らなかったことを学ぶからで・・・
必然的な、とは・・・
・・・結論が不可避的だということ!

PP99-100『ロジ・コミックス』筑摩書房

アリストテレスの〈鏡〉の効用である。これは三段論法を説明しているのが本質的だ。
この「新しさ」をこそオイラーニュートンに見出し1790年まで認めなかった。
スピノザはこれであって、機械論者であっても、プラトン主義者だとは考えにくい。
グノーシス主義者であったニュートンの場合を考えると、デミウルゴス - Wikipediaにすでに見られるように、グノーシス主義とは 

グノーシスは、古代ギリシア語で「認識・知識」を意味し、自己の本質と真の神についての認識に到達することを求める思想である。物質と霊の二元論に特徴がある。

グノーシス主義 - Wikipedia

 であって、だから 

シュライアーマッハー以降、文献学により、プラトン自身のオリジナルの教説と後世の追随者の思想とが区別して捉えられるようになって確立した概念である。多くの場合、時代的に新しいプラトン主義であるというだけでなく、いくつかの面でプラトン思想とは異なる特徴を呈しており、本来のそれからの逸脱である、という含みをもって用いられる[1]:6

新プラトン主義 - Wikipedia

 

なのであるから、認識をもたらす幾何学と通しての〈鏡〉であってそれが(アリストテレスの)『新しいこと』だったのだが、、スピノザはどうだったか。
この『新しいこと』の生成を〈一元的〉と誤解したのではないか?
いやそれが「誤解」でないとしたら、それはあくまで(ルターに近づく)信条告白であって、認識方法としてのプラトン主義ではない。
むしろ、(その〈一元〉は)「含み」を持たせないという意味で、主義的であって、『本来のそれからの逸脱』にあるにもかかわらず、より「原理的」との信念を持ちやすかったのではないか。
要は、スピノザは「原理的」信条としてのキリスト教徒で、だからルターと同じ「異端」で、「異端」の極北としての(ルターは異教徒の神を信じたとされたが)「無神論者」という評価ではなかったか。
しかし、認識方法としては、ルターやニュートンと同じように、プラトニックではない。そもそも幾何学的秩序を信奉している。これがオイラーのような座標的秩序でないこともジンバルロックを考えると至当である。オイラーエラスムスの学統に沿って、目的論から数学を救ったが、ジンバルロックから数学を救ったのは、ウィリアム・ローワン・ハミルトンの四元数である。明らかにスピノザはこちら側である。 

そこらへんをヤコービは説明している。『媒介』にフラグがついているが、おそらくそれが『超感性的』と呼応している。

スピノザに代表されるすべての思弁的論証(それがヤコービの言う「哲学」である)は、論理の「媒介[要曖昧さ回避](Vermittlung)」の体系的な網目を循環しているだけであり、その体系を根底において支え保持している超感性的なものを捉えることができない。

フリードリヒ・ハインリヒ・ヤコービ - Wikipedia

赤字強調は引用者。
少なくとも、スピノザはヤコビ的ではなく、ここでより重要なのは『捉える』という述語であって、これはその実在性を説明している。なぜなら、主体のうちにあって、何かを『捉える』からだ。ならば、スピノザ実在論者ではない。
そしてこれほど明確にdangerを解説しているのはないのであるが、『循環』である。
もはや決定的である。
当時の者たちが見ても、スピノザはこちら側だったのだ。
ちなみに、私は数学の起源として、数詩の「読解(意味)」、簿記の「表解(公平)」、幾何の「図解(開閉)」、吉凶の「盤解(巡回)」の4原説を提唱している。

デカルトは神を無限な実体[注 2]として世界の根底に設定し、そのもとに精神と身体(物体=延長)という二つの有限実体を立てた。しかし、スピノザによれば、その本質に存在が属する実体は、ただ神のみである。スピノザにおいては、いっさいの完全性を自らの中に含む[8]神は、自己の完全性の力によってのみ作用因である[9] ものである(自己原因)[注 3]。

(バールーフ・デ・スピノザ - Wikipedia

要は、スピノザは、(ユダヤ人であるが)考え方がルターと同じと言っている。
これを〈一元〉〈二元〉というから話が一緒くたになっていつの間にか転倒していることになる。言語学的に系の構造を与えて無限の処理から考え、risk/dangerで区別することを提唱する。要は、〈一系〉〈二系〉であり〈主体〉〈主語〉である。したがって。〈プラトン主義〉〈アリストテレス主義〉であるが、これを言うとまた〈一元〉〈二元〉に転写されるので、あくまで解釈上にとどめたい(解釈論理であって構成論理ではない)。

さて、そのような(いまだに)誤解されかねないスピノザの誤解をそのまま引き継いだのがフィヒテであるらしい。
フィヒテを考えるうえで、反射的に輝くのが、ヘルダーであるらしい。
その際、カント理解が問われる。

ライプニッツなどの存在論形而上学と、ヒュームの認識論的懐疑論の両方を継承し、かつ批判的に乗り越えた、西洋哲学史上最も重要な書物のひとつである

純粋理性批判 - Wikipedia

ライプニッツはもちろん、アリストテレスの論理学の大成者たらんとした、「二元論者」である。 

【ヘルダー】
〇反カント主義(反超越論)
〇言語主義(発生論)・歴史主義(人文論)
〇ドイツロマン主義実在論
〇「人間性」主義・フランス革命主義
〇汎神論
フィヒテ
〇親カント主義(親ライプニッツアリストテレス論理学)・知識学主義
〇後期知識学主義(自我が絶対者の〈鏡〉ただし、述語に『(根底に)据える』と謂うスピノザ主義)
〇道徳的世界秩序主義
スピノザ主義
ヘーゲル

 フィヒテをうまく説明しているのが以下である。 

この道徳的世界秩序抜きになにかしらの実体としての神を考えることはできない矛盾であるとしたのである

無神論論争 - Wikipedia

赤字強調は引用者。 
この「し」は厄介である。これは①「構造を与える」助詞を背後に持つ語用的な「し」か、②「構造を与える」助詞としての「し」か迷うところである

①神を考えることはできないので、矛盾である(理由)
②神を考えることはできない上に、矛盾である(並列、強意)

ここでこれに意味を与えるのが「実体」であって、「実態」と比ゆ的に考えるとわかりやすいがそれはあくまで飛躍であって、本質的には、非実在である。
つまり、数学を考えるとむしろわかりやすいが、「体」か「在」かである。ここでは「在」は(例えば)「量」であるから、「数」か「量」かである。言い換えると、〈強弱〉か〈大小〉かであるが、〈順序〉であるか〈内外〉であるかである。
この議論が厄介なのは、(無限の)神の外側などないからである。
だから、端的に、主体|述語(主語)と主語を述語の要素対象化して主体が述語を与えるとしたら、わかりやすい。述語の「量」よりも神の「量」は大きいのである。
このような主体論(外延としての実在論)を「語り」(文中)から排除しただけで済ませてしまうから、そこを突かれた格好だフィヒテの主観では、それを「実体」と呼んだので、うまく追及をかわしたつもりだったのだろう。
なるほど、ヘルダーの方が「無神論者」もそうだし、反教会である。
確かにスピノザの影響が大きいが、これはルター以来の伝統である。
ここで重要な役割を果たすのがザクセン選帝侯とゲーテでである。ザクセン選帝侯はルターを許したが、ヘルダーを許さなかった。
ゲーテライプツィヒ大学に3年通って、その後、汎神論者になったらしい。
ライプツィヒ大学で同窓なのは、
なぜか。
どうもヘルダーは、羊の皮を被った狼然としていたと言っては語弊があるが、聖書主義者の顔をした人文主義者であったようで、聖書をルターのように啓示と見ずに認識対象と見たようだ。彼の秩序は道徳秩序であって、それが指摘されなければならないのは、  アンセルムス以来のグランドセオリーに抵触して、神=秩序を(外から)修飾(制限:有限化)しているのだ。これは「異端」とされた考えで、要は、神の相対的優位論である(すべての実在よりも大きい、ひとつの実在であるが、無限として規定されないゆえに「異端」。単に他の実在「より大きい」では説明不足である。)
選帝侯によって建学されたイェーナ大学は宗教改革時のルター派擁護の「信教の自由」を保障していたが、いつの間にか、人文学的〈自由〉も含めていたようだ。
つまり、スピノザ主義者を自称するフィヒテが本当にスピノザ主義者であるかが問題となる。スピノザは本当に汎神主義者であって、だから彼は自己の「一元論」を(ルターと同様に)信じたが、どうもフィヒテは優神主義者であってそれはかつて退けられた「異端」であって(それを「より大きい」と同じ述語を用いつつ克服してグランドセオリーを真に打ち立てたアンセルムスの天才性が光る。真の天才はそうそう現れないのだ。ここではヘルダーはもちろん、スピノザよりも、ルターの天才性が同様に光る。あまりに天才的すぎて、まだまだ低い評価しか与えられていない。その影響をカミュまで受けている)、確かにヘルダーがいいわけするように、より「無神論者」ではない語るに落ちるとはこのことで、「無神論」はあるか/ないかであるから、騙されなかった当局が馬鹿ではなかっただけであったようだ。むしろ、フィヒテの言い訳癖が目立つ。

シュトゥルム・ウント・ドラング - Wikipedia

さて、フィヒテの述語である「矛盾」の評価である。これはアンセルムスの議論に乗せて、グランドセオリーの標準で考えると、つまり、神体系が無限を許容するかを考えると、それは神は矛盾するかの表現問題に帰着し、評価上、神の有限性を立証する態度となる。アンセルムスはそれを排除したからグランドセオリーを打ち立てられたのだ。
翻って、かつて「異端」とされたのは、同じ述語を用いてそれを帰結するがゆえに「異端」だったのであって、フィヒテがまさにこれである(判断されたと考えるのが妥当である)。
フィヒテは聖書の文献的な研究者だったのだが、文学的利用を考えついても、ロジックの発見に至らなかったのであろうか?むしろ不思議である。
ルターに依って鍛え上げられた当局は騙されなかったようだ。むしろ、イェーナ大学のスピノザへの評価を聞いてみたい。スピノザネーデルランドで生まれ、ネーデルランドで死んだようだ。
スピノザは実質的にルター主義者(或いは、ウルトラルター主義者)であり、フィヒテスピノザ主義者ではない。ただ言い訳が多い人格問題でトラブルの多そうな人物であった。