「性的被害」「宗教被害」と同列の「政治被害」。若い人は高をくくって(若いうちは自信がある。)将来を潰さないように※。
外国と異なり、日本で共産主義が違法化されないのは、まぁ、ちょっとした福祉だよね。今日、元オウム真理教のニュースやってたけれど。本当に行き場をなくしてしまう人が居るってレベルの話。
※あの手この手だから。例えば、様々な論調での「昔はよかった」なんて真に受けなくていい。そんなことはないから。「ゆとり教育」でさえ、そんなことはない。
氏と名に関して言えば、より便宜的な方法を常に選択してきただけ。
ただ社会様相が時代によって異なるだけで。
今は個人登録が、日本国憲法の理念にも適って、もっとも望ましいことが言えます。
↖↗共産主義、↙↘「ごね得」、↖↘総力戦体制、↙↗自由民主主義
制度的統制主義を成員間の「すり合わせ」(集約的)でバランスを取らずに、規約的自由主義(分配的ヒエラルキー;モジュール化)で全体主義に屈折するのが共産主義じゃないかね。
だから、ライバルは制度的統制主義を成員間の「すり合わせ」(集約的)でバランスを取る集産主義(ファシズム;戦前の総力戦体制)や制度的な民主主義と既約的な自由社会(分配的ヒエラルキー※?)の組み合わせである自由民主主義ではないか。
※資源分配ではなく(所謂、「大きな政府」を直接導かない。)、ヒエラルキー上の語彙である。
なお、制度的な民主主義から、成員間の「すりあわせ」に屈折するのが、先日見た「ごね得」で、共産主義と対称的であるという意味では、それもまたライバルかもしれない。
共産主義(↖↗)は、自由民主主義(↙↗)に対しては、「自由」なのが気に入らないのではなく「民主的」なのが気に入らないのであり、戦前(総力戦体制)に対しては(↖↘)現場の圧力に苦しめられたのである。
(なぜ、共産主義が危険かーそもそも全体主義であり、不安定なために、統制主義や に陥りやすいからである。)
そうすると、ひとつ気がづく。
「ネトウヨ」という言葉に登場の仕様がない。
つまり、これは、純粋に罵詈なのだ。
おそらく政治学上の対立軸をもたない。
つまり、この言葉を使うと、使う者の卑しさだけが際立つ。
ただし、その卑しさも、政治学上のイシューではないかもしれない。