国家学会と東京帝国大学

例えば帝大七博士意見書提出を端にする戸水事件においては,学問の自由の観点から戸水を擁護するため『国家学会雑誌』はこの問題について特集号を組み(第19巻第10号),政府に対抗した。結果として,戸水の解任は政府により撤回された3。国家学会は学術団体であり,同時に政治的であった。

https://core.ac.uk/download/pdf/75903269.pdf

佐々木 研一朗 (Ken-ichiro Sasaki) - 大正期から昭和戦前期における国家学会の実態に関する一考察―役員の就任状況と『国家学会雑誌』に注目して― - 論文 - researchmap

辻の兼六園での講演会が3万人集めた、というのは、どれほどのインパクトだったのか(第9師団は生き残ったから、25,000人居たという彼らかね?そもそも辻を語る際に、日露戦争から語らないのは、学芸員の実感を離れるぞ。これだから東京史観は困る)。
「何処に行っても好評だった」とも言われる上杉の講演会での様子と比べようと思ったら、掘り出し物が見つかった。

「国家学会」というのはよいね。

佐々木 研一朗 (Ken-ichiro Sasaki) - 戦前期日本における政治学の制度化に関する研究―東京帝国大学法学部及び国家学会を事例として― - 論文 - researchmap

佐々木 研一朗 (Ken-ichiro Sasaki) - 1930年代後半における政治学をめぐる政府と東京帝国大学―法学部東洋政治思想史講座の設置過程を中心に― - 論文 - researchmap

 

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